第98話 怒りの発露

 靄で形作られた巨大な怪物…龍を前に、メアはギリギリと歯を鳴らしながら拳を握りしめていた。


明らかに様子がおかしい。

そんな姉の小さいはずの背中を見つめ、ソードはそう思った。


「────────!!!!!!」


どうやって音を出しているのか不明だが、靄の龍は咆哮をあげる。


「んにゃああああああああああああああああ!!!」


それがうるさいのか煩わしいのか、咆哮をかき消す勢いでメアも叫び声をあげながらドラゴンネイルを放つ。

メアの右腕から放たれたそれは鋭い斬撃となって靄の龍に襲い掛かったが、触れる直前で何かに弾かれたかのように軌道を変えて逆にメアに向かって飛来する。

靄の龍はメアの攻撃を銀龍のように反射したのだ。


幼い少女の身体は次の瞬間には両断され、猟奇的で無惨な死骸に変わるかと思われた。


しかしメアは反射されたドラゴンネイルを力任せに腕で薙ぎ払い、霧散させた。


「ぐるるるるるるるるる!!!」


やはりおかしい。

ソードの中に焦りと違和感が混ざったかのような、何とも言えない感情が積み重なっていく。


姉(メア)はどんな時だって理性的…いや、ぽけ~っとしていた。

めったなことでは精神を乱さず、いつだってマイペースで…食事に対してのみ目の色を変えて必死になる…人(りゅう)だったはずなのだ。


それが今はどうだろうか。

明らかに怒りで我というものを失っているように見える。


普段のメアを知っている者ほどそれがどれだけ異様な事なのかを理解できるだろう。

彼女から最もほど遠い…似つかわしくない感情に支配されているのだから。


実際メアは自身の中からあふれ出る怒りという感情を制御できていなかった。

誰もがメアが怒っている様子を想像できないと思うように、なによりも本人がその感情に慣れていないのだ。


呪骸という存在…初めてメアにとっての絶対であった食事と言う行為に泥を付けるそれに対し、心の奥底から怒りが止まらない。

どうやらノロの身体の一部らしいという事情を考慮しても今すぐ目に前から消し去ってしまいたいという衝動を抑えられない。


いや、そんな事情があるからこそまだ理性を保てている方なのかもしれない。

それほどまでに呪骸を前にしたメアは普通ではいられないのだ。


こうしているこの瞬間にも靄の龍に飛びかかろうとしていて…。


「ね、ねえ…さん!!」


まだ苦しい喉から必死に絞り出して、ソードは姉を引き留めようと声を投げかける。


「あぁ!?」


一応何の言葉も聞こえないほど我を失っているわけではないらしく、凄みながらだがソードの方にメアは振り向いた。

幼女故に可愛らしくはあるが、やはり普段の彼女は決してやらないであろう行動に、一瞬だけ言葉を詰まらせながらもソードは姉を再び引き留める。


「なにか…いやな…、予感がする…!見られてるような…龍の力は使っては…だめだ…!」


それはソードの勘だった。

たしかにストガラグは目の前で銀龍に討たれたように見えたが、それでもなにか嫌な予感がするのだ。


メアは本人自体がセラフィム達にとっての切り札のようなもので、ここでその存在を敵に悟られるわけにはいかない。

だからソードは今にも怒りを爆発させて暴れだしそうな姉を引き留める。


だがメアはそんな言葉では止められはしなかった。


「…なら誰にも見られないようにすればいいんでしょ。フレアサークル」


メアの手の中から彼女を中心として炎の輪が地面に広がった。

その範囲は瞬間ごとに拡大していき、靄の龍とソード達にも迫る。


「っ!」


炎が通り過ぎる寸前、咄嗟にエクリプスと姉妹を庇ったソードだったが炎が触れてもほとんど熱を感じなかった。

燃える炎の数メートル上に一瞬だけ手を翳したかのような…その程度の熱だった。


それは靄の龍も同様だったようでダメージを受けた様子もなく輪は素通りし、広がっていき…ソード達のいる地点から10メートルほど後方…そして靄の龍の全身が入るほどまで拡大した段階で炎の輪が動きを止めた。


「姉さん何を…」


ソードの目には姉の手の中にゆらゆらとした青い炎の玉のようなものが産み出されているように見えた。

そこには想像もできないほどの魔力が込められていて…それを次の瞬間にメアは力いっぱいに握りつぶし、その拳を地面に叩きつけた。


「コレダぁぁあああああああああーーーーーーー!!!!!」


────────────


ストガラグとスレンは呪骸が産み出した怪物の前に突如として流星のように現れた幼女に目を奪われていた。

アレは何者なのか、まさかあんな小さな体の少女が戦うつもりなのかと。


銀神領に赴く際にストガラグは一定以上の情報は仕入れていた。

大きな出張仕事に対する事前調査は社会人にとって当然のことだからだ。


しかしどれだけ記憶を探ってもあんな子供のことについての情報はなく、長年の職務生活に身を置いていた自負が、ストガラグには絶対に見落としもないという確信を与えていた。


ならばいったいこの光景は何なのか…見届けねばならない。

それもまた仕事なのだ。


しかし採用されたばかりの新人はまだそのことを理解していないらしく…慌てた様子で駆けだそうとしたのを脇腹の痛みを抑えながらストガラグは腕で引き留めた。


「どこへ行くつもりだスレン特務執行官」

「どこって…あんな小さな子供があんな所にいるんですよ!?助けないと!」


「馬鹿も休み休み言いたまえ。どう見てもあれは我々にとって保護対象ではなく、観察対象だ。見た目ではなく、中身を見給え。それに俺から離れると死ぬと言っているのが分からないのか。この瞬間も呪骸が振りまく死は健在なのだから」

「いや、でも…!」


「感情で動くな。理で行動したまえ。キミは自由でいられた若者ではなく、すでに教会に所属する職員なのだ。優先すべきは教会…ひいては教皇様からなる世界そのものだ。それとも何かね?キミは教皇様と教会の意向に逆らうと?正義を顧みず、民の平和につながる職務を放棄し、己が欲望のまま、思い込みのままに動くと?」

「そ、それは…」


「自分の立場をよく考えたまえ。今はまだ新人と言うステータス故に許されるがすぐにそうもいかなくなる。社会人と言う自覚と意識を強く持つのだ」


上司としてスレンに言い聞かせていたストガラグだったが、ふと気が付くと視線の先の子供を中心に炎の輪のようなものが広がっていることに気が付いた。


「あれはなんだ?あの子供が作り出したのか…?」


炎の輪そのものには攻撃の意思のようなものは感じられない。

それよりは何かの前段階のような…。


「魔素が燃えているのか…?魔素で炎を象っているのではなく、魔素それ自体を燃やしている…?なんのためだ…?何かの目印…あるいは…」


チリ…とストガラグは肌がひりつくのを感じた。

同時に周囲を満たしているはずの空気が…重くなったかのようにも。

何かがおかしい。

いや、おかしくなろうとしている。


現に視界の端で降り続けている雪はその流れを変えている。

嫌な予感に全身に鳥肌が立った。


そして子供が何かを握りしめているかのような拳を振り上げ…何かを叫びながら地面に叩きつけようと――


「っ!スレン特務執行官!頭を下げたまえ!」

「え…?」


次の瞬間、周囲を消し飛ばすほどの大爆発が起こった。

炎の輪の外から爆炎と爆風が文字通り、地面を消し飛ばす勢いで広がったのだ。

地面も雪も建物も…何もかもを飲み込みながら爆発は広がり…瞬きをする一瞬にはストガラグたちをも…。


それこそがかつて一つの山を吹き飛ばす原因にもなったメアの必殺技の一つ…ドラゴン・エクスプロードコレダーであった。

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