第97話 正しい使い方
「終わった…?」
まだ多少の息苦しさを覚えながらも正常に戻りつつあった呼吸を整えながらソードはゆっくりと立ち上がった。
先ほどまで理不尽な死が蔓延していたとは思えないほどの静寂と冷ややかな空気の中で歪に咲いた氷の木が風を受けて奇妙な音をたてている。
「…エクリプス…は…」
真っ先にソードは相棒の姿を探した。
吹雪のせいで雪の中に埋まりつつあったエクリプスを見つけ、急いで抱き上げる。
長時間呪骸の力に晒された影響か意識を失っていたが、胸は静かに上下を繰り返しており、命に別状はないようだった。
しかし…ソードはならよかったとは言えなかった。
「僕は…」
――なにもできなかった。
そんな弱音を思わず吐きかけたところでソードは自らに冷たく尖った殺気を叩きつけられたことに気が付いた。
「っ!?」
ほとんど反射的にエクリプスを抱えたまま身を躱し、先ほどまで足を置いていた場所には鋭い氷柱が殺意そのままに聳え立っていた。
その殺意の流れてくる先は…銀龍。
「ま、待ってほしい!僕は敵じゃない!あなたが銀の龍だと言うのならこれを…!」
ソードは通常ではありえないほどに深い胸の谷間に手を差し入れ、そこから小さな袋に入ったセラフィムの鱗と、それに重なるようになっている自らの鱗を取り出して銀龍に見せた。
「…聖…」
「僕はあなたの旧友…聖裁龍の一人息子で…あなたに母からの伝言を預かってきました」
「む、す…こ…?」
僅かに首をかしげながらも銀龍は殺気を引っ込め、襲い掛かろうとしていた氷柱を納めた。
自身に向けられたそれがなくなったことに安堵し…すぐにソードはショックを受けた。
(僕はいま…ホッとしたのか…?)
普段の自分なら向けられた殺気に対して嬉々としてそれを正面から受けたはずだ。
相手は尊敬する母の旧友…どういう立場だったのかは不明ながら、教皇との戦いを生き抜いてきた古き龍の一体。
そんな相手を前にして戦いを挑むどころか殺気を納められて…見逃されて安心したのだ。
ソードの中で今まで自分を支えていたはずの何かが崩れかけようとしていた。
「僕は…」
腕の中で眠るエクリプスを抱きしめ、その先の言葉を飲み込んだ。
────────────
「それにしてもいろいろとめちゃくちゃになっちゃったなー」
「うん…そうだねおねえちゃん…」
二人で意味もなく雪玉を丸めながらカナレアとユキはこれからどうしようかと頭を悩ませていた。
計画外の乱入者によって姉妹が立てていた「計画」は大幅に狂ってしまっていた。
ほとんど白紙に戻ってしまったと言ってもいい。
「どうしたもんかなー」
「どうしようね…」
そんな二人の背後から大きな影が落ちた。
恐る恐る二人ほぼ同時に振り返ると、そこには静かに怒りを滲ませている(ように見える)銀龍の姿があって…。
「あ…えっとー…」
「こ、これはその…」
「…」
銀龍は何も言わない。
そしてゆっくりと二人に向かって手を伸ばし…その頭を一度だけ撫でた。
「「あ…」」
「…」
ほんの一瞬…でもその一瞬が二人の姉妹にとってはとても嬉しい事だった。
二人はどちらからともなく母に手を伸ばそうとした。
しかしそれに水を差すかのように背後からバキッ…と何かが崩れるような音がした。
そちらにあるのはかつてストガラグだったはずの氷の木で…その一部が重みで崩れて音をたてたのだ。
その衝撃で浮いて風で煽られでもしたのかユキの足元に黒く鍔の大きい帽子が運ばれてきて、その内側からポロリと何かが転がり落ちる。
「ん…?これって…」
手のひらで簡単に覆えるほどに小さい石のようなそれは…ストガラグの持っていた呪骸だった。
「っ!」
瞬間、両手で払いのけるようにして銀龍は娘たちを押しのけ前に出た。
同時に呪骸から吹き上がる夥しい量の黒い靄が銀龍に殺到し、その銀色を黒く塗りつぶしていく。
「「ママ!」」
少女たちの叫び声に呆然と立ち尽くしていたソードも気を取り直し、そちらを見る。
「あれは…呪骸…?母はあれを見つけたとしても決して触れるなと言っていた…まさか!!」
銀龍を飲み込んだ呪骸は瞬間ごとに雪を巻き込みながら膨張していき、やがてある形を取り始める。
巨大な体躯に鋭い牙と爪。
全てを吹き飛ばしてしまいそうなほど大きな翼。
凸凹とした大小さまざまな不気味な棘で覆われた尻尾。
それは物語で謳われる怪物としての龍の姿そのものであった。
────────────
一つの呪いが暴走しているさなか、そんな光景を少し離れた崖の上から二つの影が覗いていた。
スレンと…脇腹を手で抑えているストガラグだった。
「あれは…あれはなんなのですかストガラグさん!」
「うっ…く…大声を出さないでくれたまえ…大けがを負っていると見てもらえばわかるだろう。いくら社会人と言えど資本は身体…さすがの俺でもこの状態は少々厳しいのだ」
「で、でも化け物が…!」
「社会人ならば落ち着きを持てというのだ…ギリギリで命が助かったのだからまずは生還を喜びたまえ」
ストガラグは大けがを負いながらも銀龍の手から逃れていた。
脇腹からは大量の地を流しつつ、脂汗もとめどなく噴き出しているがそれでも彼はむき出しとなった顔で不吉に笑う。
「スレン特務執行官…俺の傍から離れるなよ。苦しんで死にたくなければな」
「は…?」
そうストガラグは口にした瞬間だった。
おどろおどろしい怪物から黒い靄が放たれ周囲に…いや、どこまでも遠くまで広がった。
すると怪物の近くにいた二人の姉妹にソードが苦しみながら雪の中に倒れたのが見えた。
それだけではない。
高い崖の上から少ないながらも見えていた魔族に人間も同じように喉を押さえ、苦しみながら倒れたのだ。
「な、なにが…!?」
「くっくっくっ…これが呪骸の正しい使い方と言うやつなのだよ」
「呪骸…」
「あれは俺のような教皇様に選ばれた者にしか扱えない…そして俺たちが使えばそこに込められた「死」を具現化することができる…しかしそれは本来の使い方ではない。どちらかと言えば応用だ。本当の使い方はああやって呪骸に「逆適合」するものに取り付かせるのだよ…そうすれば見ての通り、最も効率よく死を振りまく怪物が生まれてくれる…」
呪骸による怪物としての龍の顕現。
それにより銀神領全体に【窒息】の力が広がっていた。
そこで生きる生命はストガラグと、その隣にいるスレンを残して等しく呼吸を失い、死に瀕しているのだ。
「そ、そんな!?今すぐ止めないと!」
「止める?何を言っているのだキミは。なんどもなんども説明しただろう。我々の仕事はこれなのだ。この地の争いを止め、魔物と思わしき存在を全て無力化する。そうだろう?」
「でもこれじゃあただの大量殺戮だ!魔物だけじゃなくて人間も…!こんなの人のために正しいことをするはずのの教会が許すわけ…!」
「これは教皇様からの命だ。ならばそれは教会全ての意思となる。…安心するがいい。あの化け物はこの領の外にはでない。しばらく放置して呪を振りまいたのちに教皇様が直接対処してくださる」
「しばらくっていつですか!?」
「さぁ…早ければ数週間、遅くて数か月と言ったところか。その前に結界を貼らねばならないがな…もう一仕事残っているという事だ」
「俺たちの仕事は人々を守ることでしょう!?」
「そうだとも」
スレンの言葉を肯定するように、ストガラグは笑いながら頷いて見せた。
「この状態が人のためになっていると!?」
「ああそうだ。教皇様の真意は計ることができないが…それでもこれは必ずあの方の思い描く最高にして最良の未来につながることなのだ。いいかねスレン特務執行官」
ストガラグはふらふらと立ち上がり、スレンの頭を掴んで引き寄せ…至近距離でその瞳を覗き込みながら話し続ける。
「我々が救うのは個人ではなく全体だ。10人を犠牲にして11人が助かるのならば10人を率先して殺さねばならない。それをするのが俺たちだ。そして実際にはそんな小さなふり幅ではなく、今の100の犠牲を受け入れれば未来の1万が救われるのだよ。理解しろ、それが仕事だ。人々を救いたいのだろう?ん?どんな物も手に入れるには対価が必要であるように、救いたければそれに値する血を捧げねばならないのだ。綺麗事だけで世界は回らない…何も知らない無辜の民に綺麗な世界を見せるためには俺たちのような汚れを引き受ける者がいるのだ。理解したまえよ…キミが踏みこんだ職場というものをな」
そこで話は終わりだとストガラグは手を放し、改めて座り込んだ。
スレンは…それ以上何もいう事ができなかった。
────────────
死が広がっていく。
【窒息】が国中に広がり、誰もが苦しみの中で果てていく。
ソードは薄れゆく意識の中で…自らの無力を嘆きながら…苦しむエクリプスに手を伸ばした。
こうなってはもう龍の力を解放することすらできない。
異論を挟む事の出来ない…決定的な敗北。
その代償は…死。
どんな存在も抗えない…この世界で最も強力な概念を前に全てが飲み込まれようとした――その時。
「こらーーーーーーーーー!!!!」
何かが空から高速で飛来し、雪の中の地面に激突するようにして降りてきた。
衝撃で雪が舞い上がり、ソード達の身体も空中に投げ出される。
瞬間、ぶわっと温かい何かが広がったような気がして…同時にソードは呼吸が僅かだができるようになっていることに気が付いた。
「っは!!!…はぁ…!はぁ…!い、息が…」
足りなくなった酸素を周囲からかき集めるように、荒く早く呼吸を繰り返す。
同時に空に投げ出されたエクリプスと姉妹を回収し、かばいながら地面に落ちた。
そして見た。
空から落ちてきたその人物を。
「なんで!こんなものが!ここに!あるの!!こんなところにもあるの!!!マジおこだよ!?んにゃぁああああああああ!!!!」
それは強烈な怒りを吐き出しながら地団駄を踏んでいる…姉(メア)の姿だった。
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