第92話 盤面を投げ捨てる者

 ソードは周囲を覆い尽くす人間と魔物が争う喧騒の中で深くため息を吐いた。

彼女の…彼のテンションはここ最近で間違いなく一番低くなっている。


その下がり切ったテンションがソードに何度も何度もため息を吐かせ、雪で冷やされ白い吐息となり空に昇っていく。


カナレアが率いる軍隊は順調に行進をすすめ、数日以内には魔族の本拠地にたどり着き先端が開かれるはずだった。

しかし途中で魔族の一個小隊と接触…そのまま戦端が開かれた。


当初は全軍が揃っており、圧倒的数の有利があった人間たちが一方的に魔族たちを蹂躙していたが、そこに魔族たちの群も合流…予想よりも早く本格的な戦端が開かれてしまった。


流れとは言え人間たちに協力することになってしまったソードは当初は乗り気でないなりに真面目に仕事をしていた。

襲い掛かってくる魔族たちの武器を破壊し、関節を外す、牙を折る等を繰り返し殺さずに投降を呼びかけた。


そうやって魔族たちを無力化していったのだが、投降させた魔族たちを人間たちは迷うことなく殺していった。


「ここで情けを見せればこいつらは必ず付け入って牙を剥く!そうならぬように念入りに殺し尽くすのだ!」


カナレアの傍に常に控えていた男がそう叫びながら首をはねていく様子を見ながらソードはため息の中テンションを大幅に下げた。


ソードとて彼らの言っていることが分からないわけではない。

これはルールの定められた戦いではなく、生きるか死ぬかの戦争なのだ。

甘えを見せるべきではない。


おそらく同じ状況で人間と魔族の立場が入れ替わったとしても魔族は同じように人間の首をはねるのだろう。

納得はできる。理解もできる。


だがそれは魔族と人間の都合であり、ソードの都合ではない。

たとえそれが不都合につながるとしても無抵抗の者を殺すなどソードはしないし、弱い者いじめなどもってのほかだ。


アザレアはソードの中では強い女性だった。

ソードを敵と見るや否や迷いなくその牙を剥き、力の差を見せつけてもなお、一度向いた牙を引っ込めることはしなかった。

だから最後には敬意をもって戦いの幕を引くつもりで殺そうとしたのだ。


結局メアの横入りでうやむやになってしまったが、とにかくソードには一種の線引きがあり、そこに拘りがあった。

美学と言い換えてもいい。


剣の概念(な)を持つソードだからこそ…戦いには拘りがあり、譲れないのだ。


「あぁ…これは無理だ」


だから初めて触れた戦争というものに対し、ソードは明確な拒否の感情を覚えた。

参加したのは自分。

仕方がないとはいえ飛び込んだのはどう言い訳しようとも自分。

だが無理だった。


「身勝手かもしれないけどこれは僕の正義じゃない。これ以上は僕と言う存在の根幹が崩れる」


いまだ銀龍への道は開けていないが、こうも人間と魔族がお互いの殺戮にしか目が向いていないとなると情報を得ることは難しい。


ならばエクリプスと姉を連れていったん帰ろうとソードはカナレアと共にいるであろう姉の姿を探した。


「あれ…?」


しかしどこにも姉の姿がない。

もはや興味を失くした人と魔族の間を縫うように移動しながら、カナレアの姿を見つけたが、その背に背負われていたはずの姉の姿がやはりない。


「…姉さんだし万が一って事もないだろうけど…この状況でどこに…?」


ソードはいわゆる人を見る目と言うのには自信があった。

それはソードが母親に秘密にしているとある「計画」に由来し、その協力者を募るに当たり鍛えられ身についた確かな目であったが、そんなソードをして姉であるメアの事はまったく計ることができない。


何を考えているのか、どういう思いで行動しているのか…いまどんな感情を抱いているのか。

そのすべてがわからなかった。

とにかく謎の多い姉だ。


だが同時に信頼もしていた。

腹違いとはいえ姉だからなのか、それとも刃を交えたからなのか…。


「ともかく今は…先にエクリプスと合流するべきかな」


方針が決まれば即行動…奇しくも姉と同じ行動力をみせ、ソードは走り出した。

向かう先はエクリプスがいるであろう魔族が拠点を構える領域。


今までは人のペースに合わせていたが龍の力をもってすれば日をまたぐ距離であってもさほど問題ではない。

もし魔族に見つかるようなことがあればそのつど対処はしよう…そう考えていたがソードはすぐに違和感を覚えた。


魔族の死体があった。

それ自体はこの戦争が繰り広げられている国においてはそう珍しいものではないのかもしれない。

だが何かがおかしい。


何がおかしいのかには気づけないまま、ソードはなおも走る。

進めば進むほど死体の数は増えていった。


「これは…」


人との争いが起こっている場所から離れ、魔族の領域に近づくほどに魔族の死体が増えるのだ。

そのおかしさに気が付いた時にはソードの周りには夥しいほどの魔族の屍が周囲に乱雑に投げ捨てられていて…。


一人の不気味な笑みを浮かべた男が黒い髪の小さな女の子を掴み上げていた。

その足元にはエクリプスが血を流しながら倒れている。


「エクリプス!」


その叫びにエクリプスがソードの方に顔を向けた。

男も同様に視線を向け、その姿を捉える。


「ソー…ド…」

「おやおやこれはまだ生き残りがいたか。やはり殲滅任務となると俺の力ではどうしても穴が出る。それで?お前はどちらだ?人か魔物か」


男はつばの大きな帽子を目深に被っているために顔が見えにくいが40代ほどの人間に見えた。

本来ならソードには脅威にすらならない相手…だが、その下に張り付いた不気味な笑みが、地面に倒れたエクリプスが、周囲の夥しい数の死体が男が異常だと伝えてきている。


「…」

「返答はなし、か?まぁどちらでも構わない。殺すことに変わりはないのだから…スレン特務執行官。上官命令だこの少女を逃さぬように見張っていろ」


男が掴み上げていた所為所を傍らにいたスレンと呼ばれる困惑顔の青年に向かって投げ渡す。

あまりにも男が異常ゆえに近くにいた特別なものは感じない青年の存在をソードに認識させなかったのだ。


「あ、あの…なんでこんな…!」

「仕事だからだよ。何度も説明しただろう?スレン特務執行官。我々の仕事はこの地で巻き起こる不易な争いの収束。何度も伝えただろう?」


「し、しかし!こんな子供や…人間まで!」

「人間ではない。人間のふりをした魔物だ。何を盛り上がる必要がある?少し落ち着き給えよ」


「いや!あなたは人間も殺していた!俺にだってそれくらいは…」

「魔物、なのだよ。キミが見分けのつかなかっただけで全て魔物なのさ。もし人間が混ざっていたとしてもそれを見分け、判断するなど時間の無駄だし、不確実だ。もし人間だと思い生かしたものが魔物だったらどうする?それらが外の国に出てみろ。被害がでればそれは俺とキミの責任になってしまう。いいや、責任以前に自らの不始末で悲しい事件など起こってほしくないだろう?ん?わかったらその少女を見張っていたまえ…安心しろ、その子供は殺さない。ほかにもいろいろと使い道があるのでな」


何も言えなくなってしまったスレンに、これで話は終わりだとばかりに男は意識をソードに向ける。


「さて、待たせてしまったかな?」

「…そうだね。退屈だったから欠伸が出るところだったよ」


「くっくっく…それは失礼なことをした。ところで少々誤解を招くかもしれないことを聞くのだが…どこかで会ったことがあるかね?」

「いいや?僕に殺戮が趣味の知り合いなんていないよ」


「趣味ではなく仕事なのだがね。いやしかし確かに記憶に引っかかる容姿をしているのだが…年なもので記憶力がね。ふむ…そう言えば彼女は君に「ソード」と声をかけていたか」


男が足元に倒れるエクリプスを踏みつける。

か細いうめき声がソードの耳に届き…ギリッと拳を握りしめる音が小さく鳴った。


「あぁ…思い出した。キミ白神領の執行官ではないかね?いいや、そうだろう。実際に見るのは初めてがなるほど…確かに人目を引く容姿と格好をしている。こんな雪国で寒くないのかね?」

「これでも鍛えているのでね。確かに僕は白神領所属の執行官だ。今キミが足蹴にしている女性もね」


「ほう?いや失礼、それは知らなかった。何も話してもらえなかったものだから魔物だと思ってしまった。許してくれ。まさかこんな場所でよその執行官がバカンスを楽しんでいるとは思わないだろう?」


男が足をどけるがエクリプスはピクリとも動かず、ぐったりとした様子で倒れたままだ。

ソードの位置からは何をされたのか判断ができないが、無事には見えなかった。


「…そういうキミはどこの誰なのかな?教会の所属…なのだろうけどただの執行官がこんな真似をするとは思えない…まさか噂の枢機卿…なのかな?」

「くっくっく…白神領の有名執行官は情報通でもあるらしい。いかにも俺こそが七つの星が一…「禄存のストガラグ」どうぞお見知りおきを…妖艶なお嬢様」


「最悪だ」とソードは言葉を噛み殺す。

まさかこの場で枢機卿と接触することになるなど完全に予想していなかった。


「いちおう聞いておくのだけど僕とそこのエクリプスは帰ってもいいのかな?」

「くっくっく…あぁもちろん。所属や立場は違えど教会の仲間じゃないか。ぜひそのままステップでも踏みながら帰ってくれたまえ」


「心にもないことを言うね」


ストガラグからは殺気を感じない。

だがソードの勘はここで背を向ければ間違いなく…いいや、背を向けずともストガラグは攻撃をしてくる妥当。

そう告げていた。


逃げることはできない。


エクリプスを連れて戻るにはここで戦うしかない。

ソードは覚悟と方針を決めた。


「だめ…ソード…にげ…」


エクリプスが消え入りそうな声でソードに逃げろと促す。


この戦いは圧倒的に不利だ。

白神領を統べる聖女セラフィムはソードが龍であるという情報を徹底的に隠している。

教皇との戦いにも一度も参加させたことはなく、絶対に隠し通せと何度も何度も言い聞かせた。


その理由はソード自身がセラフィムの弱点となりかねないこと。

そしてなにより母としての心配、愛情。

それらをわかっているからソードは教皇とつながっているであろう枢機卿を相手に今はまだ龍としての力を欠片でも見せることはできない。


だからエクリプスは逃げろと口にした。

しかしソードは逃げない。

自分の相棒を見捨てて逃げるのはソードの在り方ではないから。


屍を積み上げ、幼い少女を痛めつけて捕らえようとしている相手を見逃すことなどできないから。


「それはあまりにも「かっこいい」行いではない」

「ふむ?」


「遠回しな騙し合いは好まない。そちらがあくまでも取り繕おうとするのなら僕から宣言しよう。ここでキミに背を向けるのは僕の正義に反する。それをすればキミではなく僕の目指すかっこよさに背を向けることになってしまう。だから僕はここでキミを降そう。それがきっと今この瞬間に僕がここにいて、キミがここに来た意味だ」

「くっくっく…さすがは教皇様に対立する「白」の所属…反抗心は一丁前だ。ならば受け入れろ。これはいわゆる正当防衛なのだ」


ストガラグの身体から漆黒の靄のようなものが立ち昇る。

それは彼の持つ呪骸から漏れ出したものだった。

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