第64話 紅の深淵

「貴様…本気で言っているのか?」


漆黒に包まれたその場所で教皇は虚空に向かって呆然とした声をあげた。

それに応える者の存在など、どこを見渡してもいはしないはずだが、闇に包まれた虚空からからかうような女の声が反響するように返ってくる。


「ほんきほんき。ほら此方って冗談とかって苦手じゃないー?常にほんきほんき。ふふふふっ」

「ふざけるなよ。何をどう本気で考えればこのタイミングで龍に対して戦を仕掛けるという話になる」


現在教会は大司教と言う表向きの指導者を失ったことにより組織体制に混乱が生じていた。


裏で何をしていようとも、大司教の地位に長年ただ座っていたわけではなく、あれで組織の運営力と人心の掌握の巧みさは目を見張るものがあり、それが見込まれて大司教に…という部分も大きい。


もっとも決め手となったのは闇の中に響く声の主が気に入ったというのが大半なのだが。


そしてその声の主は今、教会がまともに機能しているとはいえず、さらに数年ほど前に龍との戦いがあり疲弊をしているこの状態でさらに龍に対して戦争を仕掛けると言い出したのだ。


教皇は素直に頷けるはずなどなかった。


「んふふふふふ!いやぁほら、今あの変な子に黒の地を襲わせてるでしょ?呪骸を使った人殺しなら感じ取れるからわかるんだけど、あの人間ちゃん結構派手にやってくれてるみたいなのね?でねでね?そのさ?人がぷちっ…って虫を潰すみたいに命を散らす感覚がさ?なんだかとっても気持ちよくて気持ちよくて~もっと盛大にやりたいなって思っちゃったんだよね~…んふふふふふ!」

「そんな理由で龍にだと…?」


「それだけじゃないよ!当然もっとあるよ!此方を馬鹿にしちゃあいけないよ。ちゃーんと他に理由もありますともさ。安心して安心して~ほらほらリラックスだよ人間。ただでさえ寿命が80年そこらしかない貧弱クソ虫なんだからストレスなんかで寿命を減らしちゃぁいけないよ~。がんばって長生きしようよっ」

「…ここで貴様の寿命を減らしてやってもいいのだぞ」


「んふふふふふ!こわぁい。やりたいのならいつでもどうぞ?んふふふふふ!…いやぁ実はさぁ、ほらさっきキミが言ってた数年前の龍との戦いでさ「紫」にこっち側についてもらったお礼に紫神領丸々一つあげちゃったでしょ?そんでもって国を一つ手に入れて何をするのかと思えば瞬く間に人間たちを殺し尽くしてあんなににぎわってた国を死の都に変えちゃった!あれがね、面白かったからもう一回見たいなって思ったり」


それが他の理由か?と教皇が問いかけ、声の主は「そうだよ?」と平然と答えた。


瞬間、闇の中に閃光が奔った。

教皇が腰に携えていた剣を全力で振りぬき、放たれた斬撃が闇を焼き尽くす光となって断ち斬ったのだ。


どれだけ目を凝らしても何も見渡すことのできなかった闇が、この瞬間のわずかな間だけ晴れ…ついにそれが露わとなった。


黒に覆われた部屋の中心…全てを飲み込む闇を吐き出し続けている不気味な円柱状の台の上にそれは座っている。


網膜に焼き付くような紅の髪をくるぶしのあたりまで伸ばし、何が楽しいのかニコニコと笑いながら教皇を見下ろしている10代半ばほどに見える少女。

だがその少女には決定的に人とは違った部分が存在していた。


それはまるで紅蓮の炎が揺らめくように流れる深紅の角に、同じくその場の何もかもを燃やしながら広がっているかのような紅色の翼。

そう、少女は人間ではない…その正体こそ、赤神領に君臨する神にして、龍ですらもその存在を把握していない赤の龍。


「死紅龍(しこうりゅう)デスオブクリムゾン…!」

「んふふふふふ!!久しぶりに目を合わせたねぇ~…いいこいいこ、ちゃーんと腕を磨いてるんだね。うんうん、その調子その調子。あははははははっ」


そこにいたのは紛れもなく頂点だった。


死の名を冠し、そしてそれを自らを構成する概念として操る…生きている、命を持った生物であるならば絶対に抗う事の出来ない絶対の力、絶対の存在。


それを前にした瞬間、命あるモノならば足がすくみ、恐怖に歯を鳴らし、呼吸は乱れ、すぐにその場から逃げ出したくてたまらなくなるだろう。

いいや、それだけならばまだいい。


恐怖のあまり発狂し、精神に異常をきたす。

恐ろしさのあまり、死から逃れようとして自死を選ぶという何もかもがおかしな行動さえとらせてしまう。

それが死という概念を纏いし龍。


しかし教皇は砕けそうになるほど奥歯を噛みしめ、恐怖を捻じ伏せ、勝手に今にも逃げ出そうとする脚を意思の力で制御し、一歩前に出た。


死に対して一歩前に進んだのだ。


それをみた少女の姿をした死は目を細め、さらに笑みを深める。


「そうそう、その意気だよ。がんばーれ、がんばーれっ!此方はキミのそういうところを評価しているんだよ。人間の分際で死に歯向かう…ほーんと生意気だよね。――死ねばいいのに。なーんて!冗談だよ冗談!生きて生きて、どこまでも生き抜こう!それが素晴らしんだからねっ!死なんかに負けちゃダメ、もっと生きたいでしょ?死にたくなんてないでしょ?ほらほらその調子、もっと頑張って頑張って、希望を胸にどこまでも明るい未来に向かって生きていきましょう!んふふふふふ!」

「龍に戦を仕掛けるのはやめろ。今この状況でそんな真似はできない。前回は数年前…まだ「呪槍」も使うことができないんだぞ。あれに使用後のインターバルがあるのは当然知っているはずだ」


「使わないよ呪槍なんて」

「ならどうするつもりだ。貴様が出ていくなどとは口が裂けても言わないだろうが」


「あったりまえだよー。此方が出たらすぐに終わっちゃうでしょ。そんなのつまらないよ。だって今回の目的は人間にたくさん死でもらう事だもん。そうすればね?人は思うでしょ?死ぬのって怖いな~って。生きてみたいなって思うかもでしょ?んふふふふふ!此方はね?もっと人間さんたちに生きようとしてほしいの、死に抗ってほしいの。だってそれは素敵な事でしょ?死ぬのは怖いよーって思ってほしいの。死んでたまるかーって奮起してほしいの。死にたくないって泣き叫んでほしいの。だから殺すの。ね?わかるでしょ?此方のいう事」

「わかるモノか」


教皇はさらに一歩、剣を握りしめ前に出た。


「貴様とは協力者ではあるが、その理念、考えに一切同意も共感もしたつもりはない。ある程度は俺も見逃して…いや、その片棒を担いできた。だが今回の件は度が過ぎている。これ以上は俺が貴様の手を取っている理由自体が覆る。ただ一時の享楽で今までの何もかもを台無しにするつもりなのか」

「んふふふふふ!此方にとっては今この瞬間も、キミと悪だくみをしてきた数十年も同じく「一時」だよ。台無しになったならまた新しく始めればいいじゃない。焦っちゃだめだよ~もっとのんびり生きようぜっ」


片方からは殺気が、もう一方からは何を考えているのか読み取ることのできない笑みが。

闇に閉ざされていく空間を満たしていく。


「あはっ!いいよーそんなに怒っちゃったのなら少し遊ぼうか。此方もずっと引きこもってばっかりだったしたまには運動をしないとね」

「いつまでもそうやって笑っていられると思うなよ「赤」」


この戦いの結末がどうなったのか。

それは語る者がいない今、誰も知る由はなかった。


ただ赤の龍も教皇も何事もなく、健在で…そして赤の計画した戦も行われることはなかった。


なぜならば赤が祝福の地と呼んだ黒神領で誰もが予期できなかった事態が起こったからだ。

そして時間は少しだけ巻き戻り、メアとソードが銀神領に降り立つところからこの話は始まるのだった。

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