第34話 黒の浸食

(いいか!お前の役目は黒神領の…あの穢れた地に住む悍ましい畜生どもの上で浅ましくも我ら人間のまねごとをしている女とその下にいるものを出し抜き、大司教様の探す「宝」を取り戻すことだ。うまくいけば貴様が生まれたせいで被った損害を取り戻せるかもしれん…あわよくばその宝を大司教様に対する交渉材料にさらに上を目指すことも…くっくっく。その汚らわしい貴様の髪を見せつけながら向かえば、奴らは同族意識を抱くだろう。穢れは穢れなりに仕事を果たせ)


お腹を蹴り上げられながら父に告げられた私の…リンカ・エルフォーネの役目…黒神領に出向き、そこを統治している女性のもとにあるであろう大司教様の宝を持ち出すこと。


手段は問わないと毒物が混入しているお菓子などを持たされ、これが良くない仕事なのはなんとなくわかっていた。

でも…「黒」を髪に持った私が…人間以下の存在である私が赤紫をもった家族に…父に口をきくことなど許されず、ただ頷くことしかできない。


私の家計…エルフォーネの家は間違いなく恵まれた家だった。

それは代々、赤に紫という珍しい髪色が遺伝する一族だったから。


紫という髪色は普通ならばどちらかと言えば世間から疎まれる色だ。黒の次に位置する悪い色…灰色とお互いにどちらのほうが黒から遠いかと底辺争いを繰り広げるような…そんな色。


しかしエルフォーネはそこに純粋な赤が入ることによって事情が変わっていた。

この世で最も尊い色に、底辺に近い色が同居することで背徳的な美しさを演出…それ自体が一種の芸術のようにとらえらた結果、他者から羨望と尊敬のまなざしを向けられ、また有能な人間が多かったことから紫神領(ししんりょう)にあった一番の権力を持つ協会にて当主の男性は神父の地位を与えられるほどに評価されていた。


そんな家に私は生まれた。


はじめは家族を含め誰もが私の誕生を祝福したらしい。

なぜなら…この世界に生を受けたばかりの私は綺麗な赤髪をしていたから。


混じりけのない純粋な赤…紫が同居することが美しいとされてきた紫神領においてもやはりそれは特別なことで…私の誕生はエルフォーネに…いや紫神領全体に更なる祝福をもたらす。


そうなるはずだった。


すべてが狂いだしたのは私が10になるかどうかくらいの頃だった。

ある日何の前触れもなく…私の赤い髪の毛先が黒く染まってしまったのだ。


理由は一切不明…それ以外に私の身体に不調も一切なく…ただただ毛先が黒く染まっただけ。

しかしたったそれだけの事が私たちには「それだけ」ではすまなかった。


紫に赤が混じればそれは芸術となるが…赤に黒が混じればそれは冒涜となる。


この世で最も尊ばれ、崇められ、神聖だと讃えられる色に黒という穢れを投げつけた悪魔。

それが私に下された評価。


今までの世界が一世に手のひらを返し、外を歩けば食べ物をくれた老夫婦に石を投げつけられるようになった。

気さくに声をかけてくれていた教会所属の信徒たちに唾を吐きかけられるようになった。


優しかった両親が暴力を振るうようになった。


でも仕方がない。

だって私は「赤」を冒涜した悪魔なのだから。

汚らわしく、そして卑しい存在なのだから。

その証拠に何度毛先の黒を切り落としても、またすぐに残った毛先が黒く染まる。

これが悪魔でなくなんだというのだろうか。


そしてそんな私の存在が…ついに本物の悪魔を呼び寄せた。


数年前…無色領の教会近くで「赤い光の柱」が立ち昇った日から少しして紫神領に形容できないほどに異質で異様で…そして強大な紫色の魔物が降り立ち、そのすべてを死の都に変えてしまった。


たまたまその日、赤神領にて私の身に起きた異常の検査を受けていたために私たち家族は難を逃れたが住んでいた場所に権力、財産のすべてを一瞬にして失い、路頭に迷うしかなかったところを大司教様に拾われることになった。


しかし当然エルフォーネはそれまでと同じような裕福で、権力を振り回すような生活は送れず…不満やストレスから生み出された怒りは全て私に向かってきた。

何度も何度も殴られ、言葉で私の存在のすべてを否定され…泣けば殴られ、叫んでも殴られる。


だけどこれも仕方のないことで…だってすべては私のせいなのだから。

黒なんて色を持ってしまった私が何もかもすべて悪いのだから。


だけど…私は出会ってしまった。

その小さな女の子に。


メアと名乗ったその女の子は私なんて比べ物にならないほど…髪のすべてが黒に染まっていた。


この世界で最も蔑まれるはずの女の子はしかし、何にも恥る理由はないとばかりに黒髪を長く伸ばし、また堂々と胸を張って笑っていた。


髪を隠すように猫背になって俯いている私とは何もかもが正反対…。

物事を知らない子供だから?そうに違いない…そう思い込もうとしたけれど、私を客人としてもてなしてくれている少女は妙な言動は多いものの、しっかりとした自我を持っているように感じられた。


だとすればこの少女は…黒髪であることを自覚しながらも、曇ることなく笑っているのだ。

悍ましい色のはずなのに…私の手を引く少女のそれはキラキラと輝いているようにさえ見えて…美しいと感じた。


そしてそんな少女の周りにはたくさんの人がいた。

その誰もが黒髪を相手にしているはずなのに、嫌悪ではなく優し気な目をメアに向けていて…彼女がこの場所で堂々と生きているのだと実感させられた。



だけど私は…違う。

惨めで汚らわしくて悍ましい悪魔なのだ。

彼女のようには生きられない。


「ふわぁぁ~…むにゃ…」


クッキーに混ぜられた薬がとうとう効力を発揮してしまったのかメアが大きなあくびを漏らした。

相手は子供…持たされた「手土産」の中でも一番弱いはずのものを渡したけれど…とうとう髪だけではなく、私はこの腕までも汚してしまったことを理解してしまった。


もう…後戻りはできない。

ごめんなさいと何度も心の中で自己満足の謝罪をつづけながら、事の成り行きを見守る。


「メア様がおねむだ!総員、お昼寝の準備を!」

「「「はっ!!」」」


メアが欠伸をしただけだというのに、重大な事件が起こったとばかりに周囲の人たちは行動を開始し、慌ただしく散っていく。

そしてずっとメアの傍に控えていった女性がゆっくりと私に近づいてくるとぺこりと頭を下げた。


「申し訳ございませんお客人。メア様がおねむになってしまったので少しだけお待ちいただけると…すぐに代わりのものがやってくると思いますので」

「あ、はい…」


女性はついに気持ちよさそうな寝息を立て始めたメアを抱え、他の人たちも引き連れてどこかに去って行ってしまった。


残されたのは私一人だけ…今なら誰にもバレずに動くことができる。


周囲を警戒しながら立ち上がり、メアが去って行った方向に向かって小さく謝罪の言葉を口に知る。

あんな小さな女の子の命を奪った…果たして私は何をしているのだろうか…。


自己嫌悪からくる自問自答を繰り返しつつも私は少し離れた場所にあった大きな屋敷に向かって歩き出した。

私に…何かを判断する権利など与えられていない。


そうしてたどり着いたこの領で一番大きな家…その当主が住むであろう屋敷に足を踏み入れた。

その場所は大きさに見合わず、閑散としており、人の気配と言ったものが全く感じられない。


多少の掃除はされているようだが、隅々までは行き届いておらず、角のほうや窓枠に汚れが目立つ。

どうやって「宝」を探そうかと頭を悩ませていたけれど、そんなこと気にする必要がないくらいに人気はなく…一つ一つ目についた部屋を調べていたのだけれど、ある部屋の前で私の足はピタリと止まった。


他の部屋と何も変わらない普通の扉…だけどその奥に何かあるような…妙に引き寄せられるような感覚を覚える。


ごくりとつばを飲み込んで…その扉のドアノブにゆっくりと手をかけて…そして…。


「やめておいた方がいいわ」

「っ!?」


背後から声をかけられて反射的に振り向くと、そこに眼鏡をかけた長身の女性がいた。

黒くふわっとしたドレスに身を包んだ灰色の髪の女性は感情を読み取れない、何の色も浮かんでいない瞳を私にじっと向けていた。


「その扉の先はメアたんと一緒でない限り入らないほうがいいわ。死にたくなければね」


その言葉は私に届いていなかった。

この突然の状況にどう対処すればいいか頭がいっぱいで…。


この女の人は間違いなくこの家の当主…アザレアだ。あらかじめ教えられていた特徴に合致しているので間違いないはず…。

だめだ、ここでバレてしまっては家に迷惑が掛かってしまう…そうなれば…。


…そうなればどうなるのだろうか?

よくわからないけれど、そんな疑問がふと湧いてきた。

でも考えても仕方がない。だって私にそんなことを考える権利なんてないのだから。


「あ、あの!ご、ごめんなさい…み、道に迷って…その…」

「ああ大丈夫よ。全部あなたを送ってきた商人に聞いたから。言い訳なんて今更必要がないわ」


「っ」


全部バレている…そう告げられたこともそうだけど、商人さんが父を裏切って情報を流したという事のほうが驚きだった。

大司教様の命を受けてい行動している父と黒神領を天秤にかけて黒神領を取ったという事なのだから。

そんなことがあり得るのだろうか…?


「なんとなく何を考えているのかわかるけれど、あなたが決めないといけないことはこれからの身の振り方よ。あなたのやろうとしていることは全部私にバレてる。それで?そこからどうするの?」

「…」


何もできない。


私にこの状況を何とかする手段なんて何一つとしてない。

全てがバレているというのなら…「手土産」も意味をなさないだろうし、たとえ相手が女性一人だとしても…無理やり何とかする力なんて私にはない。


私はへなへなと崩れ落ちることしかできなかった。


「ご、ごめん、なさい…」

「はぁ…何が送り込まれてくるのかと思いきや、向こうも余裕がないって事かしらね。…顔をあげなさいな。謝られたって仕方がないのよこっちは。まずは話を…」


「いえ…あの…小さな…女の子に…わ、わたし…」


もうすべてが終わってしまったのなら、せめて何もかもを白状して終わろう。

そう思って口を開いたけれど、アザレアは「ああ…」と興味なさげな声を漏らしただけだった。


「なにか食べさせたみたいね。見てたわ。でも…メアたんはこの時間はいつもねむねむになるのよ。あなたは何も関係ないわ」

「ち、違うんです…!食べさせたのは…!」


「大丈夫なのよ。私も最初は信じられなかったけれど、クロロに言われるままに猛毒を仕込まされたスープをメアたんが飲んだことがあったけれど…一切体調を崩すことすらなく元気にしていたわ。ポンポンが強いのよ。かわいいでしょう?」

「は…え…?」


「意味が分からないでしょう?いいのよ伝えようとして話してないし。それよりも私はあなたと交渉がしたいの。リンカ・エルフォーネ」

「交渉…?」


「そう。あなたが持つ情報…そのすべてを渡しなさい。そうすればあなたの身柄をこちらで保護してあげる」


そうして初めてアザレアはニコっとした優しい笑みを見せた。

でも…レンズの奥の瞳は一切の光を浮かべてはいなくて…。


「…」

「家族は売れないかしら?でもあなたどうせ人間扱いなんてされていないのでしょう?なのに庇うの?」


人間扱いされていない。

その言葉は私の心に重く、とても重くのしかかった。


「図星ね。それはそうよね?黒を持った人間は持たない者から見れば畜生以下のゴミ…でもウチは違うわ。メアたんを見たでしょう?この場所では黒だからと排斥されることはない。少し前までは自分のことを棚に上げて、そんな言動をする馬鹿もそこそこいたんだけどね。そういう人間はメアたんが全員追い出してくれたから。というか勝手に出ていったのだけどね」


なんとなくその光景は目に浮かぶようだった。


黒髪を悍ましいと糾弾する人間は、あんな綺麗で長い黒髪を持つ者がいる場所では生活できないだろう。

この地にいた人たちがよそで生活できるのかわからないけれど…出ていった者たちにとってはそれほど黒髪は許せないものという事だ。


どうしてそこまで…世界は黒を拒絶するのだろうか。

そう…ふと疑問に思った。


「あなただって知りたいでしょう?この世界が歪な理由。復讐したくはない?やり返したいって思わない?髪色一つで自分を糾弾する鬼畜どもに」


まるで心を読んだかのようなアザレアの言葉に私の心は面白いほどに揺さぶられて…。


「あ…う…」

「すぐには決められないかしら?ならもう少し滞在したのちに家に帰りなさい。そしてゆっくりと考えるといいわ。商人があなたを家に送り届けてさらに数日後…もう一度商人があなたの家にやってくる。私に協力する気になったのなら、その馬車に乗りなさい。当然要求をのまずに私のことを報告しても構わないわよ?そういうリスクも込みの行動だから」


何も言わずうずくまる私に背を向けてアザレは優雅に立ち去った。

残された私のお腹は…ズキズキとまた痛み始めていた。

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