第35話 黒の浸食 色を狩る刃

――全身が熱い。


頭が中でガンガンと鐘を鳴らされているかのように痛い。

全身が…いまにもバラバラになってしまいそうなほどに痛い。


そして一番異変を感じるのが…胃袋。

そこから全身に苦痛が広がっていく…そんな感覚が確かにある。

叶うのならば胃袋だけを吐き出して、取り除いてほしいと願うほどに。


ガタガタと碌に舗装されていない道を奔る馬車に揺られながら私は壮絶な苦しみを味わっていた。


「だ、大丈夫ですかい!?リンカお嬢様!やっぱりいったん休憩して…」

「うぅ…っ…いえ、だ、だいじょうぶ…っ…です…っ…!すすんで、ください…」


馬車の中の環境は快適とは言えず、商人さんが出してくれたシーツの上で横になっているけれど、地面から伝わってくる衝撃が全身を打ち付け、とてもではないがゆっくり休むことなんてできない。


でもすでに父と約束した時間を大幅に過ぎてしまっている中、これ以上ゆっくりとなんてしていられない。

全身を蝕む苦痛を必死で抑えつけつつ、父のもとまでとにかく急ぐ。


あの後、メアは本当に何事もなく目を覚ました。

しかしその後、彼女になぜ無事なのかと問い詰めることも、改めて領内の案内をしてもらうことも出来るような精神状態ではなく…アザレアから持ち掛けられたことに対する返答もできないまま、無為に時間を過ごした。


そして意味も分からず落ち込んでいるとしか思えないであろう私に、あの少女…メアはずっと優しくて…それが辛くて逃げ出すように商人さんと領を後にした。


しばらくは何もなくて…空いてしまった間を埋めるように商人さんに気になることを…どうして父を裏切って黒神領に味方をしているのかを問うた。

しかし帰ってきた答えは要領を得ないもので、商人さんは自分が何をしているのか自体を理解していない…そんな風に感じた。


何が起こったのか気になったけれど、それを問い詰めようとした矢先に謎の体調不良に襲われ、何もできなくなった。

私たちが部屋を借りている無色領までは馬車でおよそ二日…そのあいだ私はずっと子供に毒を盛った罰だとばかりに苦しみ続けた。


やがて体調も少しだが落ち着いてきたところで…馬車が止まった。どうやらついたようだ。


「お嬢様…平気ですか?」

「は、はい…なんと、か…」


ふらつきながらも身を起こし、小さな扉を開いて外に出る。


汗で髪と服が肌に張り付いて気持ち悪い。

水分を大量に失っているせいか視界がわずかに定まらない。

身体を動かすのも億劫に感じるほどに疲れている。


でも…不思議なことに、この二日間…何も口にしていないのだけど、それにしては元気だ。

いや、元気ではないのだけれど、身に起こっていた以上に対して身体に残っている負担が少ない…そんな風に思えた。

特にお腹…胃はいつもよりすっきりとしていて元気に空腹を訴えてきているほどに。


でも今はそんな事どうでも良くて…とにかく父に報告をしなければとふらつく足を抑えながら馬車を降りる。


「え…お、お嬢様それは一体…?」

「え…?なに、が…でしょう…?」


商人さんが私の顔を…いいえ、頭…?を見て絶句していた。

もしかしてなにか異常が起こっているのだろうかと頭を触ってみるけれど、何も異常は見つけられなかった。


とにかく疲れていて…そして父に報告をという二つに思考が支配されて、商人さんが何を気にしているのかを追求しないまま、私は父のもとまで歩いていく。

後ろで商人さんが何かを言っているが、壁の向こう側で話をされているみたいになにも耳に入らない。


とにかく家へ…早く帰らないとと…ただそれだけを思いながら重たい脚を引きずっていく。

そしてたどり着いた家の扉をノックして「リンカです…ただいま戻りました…」と口にしながら扉を開く。


瞬間、お腹に衝撃が奔り、鈍痛が駆け抜けた。

腹を蹴り飛ばされたのだと…すぐに分かった。

すぐにわかるほどに…慣れ親しんだ感覚だったから。


「遅い!何をしていた!この役立たずめが!言いつけた時間すら守れないほど無能だとは思わなかったぞ!」


父の怒鳴り声が蹴りの衝撃で地面を転がった私に近づいてくる。

謝罪を口にしようとして見たけれど、息がつまって呼吸すらままならなかった。


「すぐに謝罪を口にしないか!このノロマ…お前…その頭はなんだ!!?」

「…ぁ…ぇ…?」


父が私の頭を指さして叫んだ。

先ほどの商人と同じような反応…そこでようやく私は気が付いた。


視界の端…汗で張り付いた髪が真っ黒に染まっていることに。


毛先だけじゃない…目に見える範囲はすべて黒く染まっていて…私は恐る恐ると髪を一本…根元から抜いてみた。

その一本は…言い訳の仕様がないほどに黒一色だった。


赤かった部分が完全になくなり、すべて黒へと変わった。

考えられる原因はあの胃から広がっていったような体調不良…でもなぜそんなことになったのかは全くわからない。

私の身に何が起こったのだろうか…。


「この親不孝者が!とうとう本物の悍ましい化け物まで成り下がったか!おい!人を呼べ!」

「どうしたのですかあなた…こんな時間に大声を出して…ひぃ!?ば、化け物!!」


父の声が気になったのか家の中から母がけだるそうに現れ、私を見て悲鳴を上げた。

そして続々とやってくる元紫神領の生き残りたちが私を見て悲鳴をあげたり、化け物や悪魔だと指をさしながら…とうとう武器まで持ち出してきた。


「殺せ!もはや生かしておくだけ害だ!完全な黒が我が家にいたなどと…これ以上尊い血筋を汚すわけにはいかん!誰でもいい!はやくその化け物を討滅しろ!」


――家族は売れないかしら?でもあなたどうせ人間扱いなんてされていないのでしょう?


アザレアの言葉が頭に響いた。

そう…とっくに私は人間扱いなんてされていなかった…父と母を家族だと思い込んでいたのは私だけで…文字通り私は彼らにとって家に現れた悍ましい悪魔なのだ。


無性に悲しくて…無性に寂しかった。


なんでこんなことになってしまったのか、どうしてこんな思いを抱かなくてはならないのか…この世界に私を人として見てくれる誰かなんて存在していないのだろうか?


そこでふと指にぬくもりを感じた。

いいや、そこにあったぬくもりを思い出した。


小さな手で私の指を握り、小さな足でぴょこぴょこと歩きながら手を引いて…対等に会話をしてくれて、ご飯を共にしてくれた小さな女の子。


父の目的のため、毒を盛ったにもかかわらず私は都合よくあの時のぬくもりを思い出していた。

そして…縋ってしまっていた。

あの場所に戻りたい…都合のいい願いだとしても…私はちゃんと人として扱われたい…そんな欲望が、願望があふれて止まらない。


涙がにじむ視界の先で知らない誰かが剣を振り上げていた。


「殺せー!!!」

「早く殺して!!!」


父と母の叫び声が聞こえる。

いやだ…こんな…化け物扱いされたまま死にたくない…せめて…せめてあの子に…メアにちゃんと謝ってから…人として最低限の礼儀を果たして、そして人として死にたい。


「やめて…」


死にたくない…まだ…死にたくない…!


「やめてぇええええええええええええええ!!!」


お腹の底からの叫び声と共に私の中から何かが爆発的に流れ出たような感覚がして…私の意識はプツリと途切れた。


────────────


「な、なにが…起こったのだ…?」


リンカの父…エルフォーネ家の当主である男は尻もちをついたまま呆然と呟き、見るも無残に崩壊してしまった周囲を見つめた。


「あ、あなた…」


腰が抜けたのか、地面を這いながら縋りついてくる妻を気にする余裕もなく…ただただ呆けることしかできなかった。


元紫神領の信徒の何人かがリンカに武器を振り下ろそうとした瞬間、リンカの全身から黒いオーラのようなものが放出され周囲を飲み込んで爆発させたのだ。


その中央にいたリンカは何事もないまま、意識を失ってしまったようだが…近くにいたはずの者たちの姿は痕跡の一つすら残さず消えており、また爆発の衝撃で当主の背後にあった家までも壁が剥がれ落ちるほどのダメージを追っていた。


当主とその妻は名だたる魔法の使い手でもあり、そのおかげでとっさに身を守ることができた。

もしその判断ができていなければ自分たちは…。


その末路を想像して当主とその妻は身体を震えさせた。


「くっくそ!!まさか本当に化け物だったとは…だ、だが!所詮は穢れた存在…俺たちを害することはできなかったようだな!」

「ええそうですねあなた…本当にその通りですわ…で、でも…あの子をどうしますか…?」


強がってみたものの、二人にはリンカに近づく勇気はなかった。

意識を失っているとはいえ、またあの爆発が起これば…次はないかもしれないと。


「だ、大司教様に報告だ!あ、あの方ならばなんとかしてくれるだろう!」

「そうですわね!は、はやく連絡を…!」


腰が抜けて立ち上がれない女に代わり、当主が立ち上がって半壊した家に向かって歩き出そうとした。

しかしその時、当主の視界に奇妙な人物の姿が映り込んだ。


顔を含め全身を隠すように真っ黒でボロボロなローブを頭から被り、その手に錆びているように見える剣を持った女だった。


ローブの下の体つきから女だとは判断できたが、それ以上のことは何もわからず…すでに剣を手に取っているその様子からはおおよそ友好的な人物だとは思えなかった。


「な、何者だ貴様!」

「…先ほどまでの行いを全て見ていた。いいえ、その前からも…すべてを「覗いた」」


当主の質問には答えず、女は冷たい刃のような…鈍く鋭い声でそう言った。


「は、はぁ…?何を…」

「私は許さない。お前たちのような者がいるから…何もかもを失う者たちが現れる。髪色に胡坐をかいた悪鬼たちよ…我が刃の錆となれ」


錆びた剣をゆらりと構え、ゆっくりと一歩…また一歩と女が当主に近づいていく。

その異様な雰囲気に当主はとある指名手配犯のことを思いだす。


「貴様…まさか「色狩り」か!?」

「色狩りって…あの!?」


世間的に尊いと言われる髪色をしたものを襲う連続殺人鬼…色狩り。

それは実質的に世界を統治している赤神領が直々に全国に指名手配を出している者の通称だ。


「な、なぜそんな奴がここに!まさか俺たちに手を出そうと言うのか!?」

「…この先には私の…かつての故郷があった。幸せだった数少ない時間…ひと時の幸福だった頃。それに浸っていたのに、あぁ邪魔をされたよ。貴様らのような邪悪に…また一つ私は奪われた。そしてもう一人も…」


女は足元で涙を流しながら気を失っているリンカを一瞥し…また歩みを進めた。


「は、ははっ!やろうというのか!?この俺たちと!紫神領にエルフォーネありと言われた俺たちと!」

「そ、そうですわ!顔も晒せない分際で身の程を知りなさい!」


女は答えず…代わりにその周囲を羽の生えた半透明の小さな少女が飛んでいた。

それは物語に語られる妖精のようにも見えた。


「大丈夫だよスピ。この程度、私だけで何とかなるから」

「っ!舐めるなよ女ァ!!」


当主と妻が同時に腕を掲げ、魔力を放った。

そうすることで魔素が反応し、魔法が発動する…そのはずだった。


「え…?」


男の視界の先で妻だった女の首が飛んだ。

そして考える暇もなく、錆びた剣が男に迫ってきて…視界が一回転して落ちていく。


落ちていく。

落ちて…そして落ちて…最後に首のない自分の身体が見えた。

そしてもう一つ…首をはねた女のフードの下から覗いていたものは…。


「く…ろ、か…み…」


これがエルフォーネという芸術と謳われた血筋の最後だった。


────────────


「こ、これはいったい…!!」


その数日後、血濡れた惨状を見て商人は顔を青ざめさせた。

すぐに教会に報告をしなければ…と思ったが地面に倒れていたリンカをみて思考が切り替わる。


この少女を黒神領まで届けなければと。

もう五日以上何も口にしていないにもかかわらずリンカはいまだ生きており、気を失っているとはいえ、確かな鼓動を感じられた。


商人はリンカを馬車に乗せ、一直線に黒神領に向けて走らせる。


しかしの途中、馬車の進路上に二人の女性が現れ道をふさいだ。


「な!?アンタら何を!まさか…盗賊か!!」


商人は叫んだが女性たちは首を横に振り、そのうちの一人がその零れ落ちそうな豊満な胸を腕で支えながら前に出た。


「実はこの先にある黒神領に用事があるんだけど道に迷ってしまってね…それなりのお礼はするから僕たちを載せていってはもらえないだろうか」


豊満な体つきの女性は透き通るような白髪を揺らしながらにこっと笑った。

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