第五十四話『悪運のコイン-rear money-』

 壁面へきめんつるった、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、かざり気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿ですみを垂らした様な黒髪くろかみが印象的な店主と男性客とが居た。

 男性客はある商品の目の前で立ち止まり、それを興味きょうみぶかそうに眺めていた。

 その商品は箱の中に納まった何かの記念コインの様で、箱はガラスせいふたがされており、ガラス蓋には『非売品―相談に応じます』と貼ってあった。

「そのコインが気になるかしら?」

 店主の女性はコインの前から動かない男性客に対し、レジから語りかけた。

「え? えっと……」

 男性客はいざ尋ねられると、少々言葉にきゅうした。

 単に素敵な意匠のコインだと思って見入っていたと言えばうそではないが、しかし何か曰くがありそうな張り紙に目が寄せられたというのもある。

 しかし、このコインには何か心を引き寄せられるものがある。

 店主はその様子を見て、男性客の内心を見抜いたのであろう、面白がるような表情を浮かべて言った。

「そのコインはですね……不思議ふしぎな力で必ずうらが出るコインなの」

 男性客は女店主の言葉を聞き、合点がいった。なるほど、その手の話は聞いた事が有る。

 恐らく、この厳重げんじゅうな様子のコインは一種のエラーコインなのだろう。何かの手違てちがいで両面裏になってしまったコインと言うのは、好事家の間では高値で取引されるという話を聞いた事が有る。

 もしくは、そのコインは単純に手品の道具か何かなのだろう。コインについて何か質問をしたら、コインを使った手品を実演してくれ、買ってくれそうな人には種明かしをするという手法だ。

「なるほど、しかし俺はそう言うタネや仕掛けのあるコインは結構けっこう。間に合っています」

 男性客がそう言って断ると、女店主は少々残念そうな顔をした。

「それは残念だわ。そのコインは、絶対に誰にも分からないタネで裏が出るのに……」

 その言葉に、男性客は関心を寄せた。

 彼には少々手品の知識ちしきがあり、即ち子供こどもだましの手品を見破る事は得意と言ったところ。

 絶対誰にも分からないタネと言う売り文句が本当ならば、それは彼にとっては垂涎物すいぜんもの

「店長さん、うそを言っちゃいけませんよ。絶対見破られない手品だって言うのなら、それはイカサマし放題じゃないですか」

「いいえ、それでもこのコインはタネも仕掛けも絶対に分かりません。誰にも分らずに、必ず裏を出すでしょう」

 男性客は女店主の目を見る。

 彼は他人が嘘を吐いているか本当の事を言っているかの識別は出来ないが、自信の有無の見分けはついた。

 彼女の目は自分の商品に絶対の自信を持っている人間のそれで、天地がひっくり返ってもいちゃもん一つ存在しないと確信している気配すら感じられた。

「そうですか……しかし、絶対見破られないコインと言うのならば、相応に高額なのでしょう?」

 男性客は下手に出て、それとない調子でたずねた。

 あくまで購入こうにゅうまでは決断してないが、値段は気になると言った態度たいどだ。

「ええ、そのコインは安売りしません。そして、そのコインを心から欲しがっている人にしかお売りしないわ」

 女店主の言葉に、男性客は少々苛立ちを覚えた。

 ここまで自信じしん満々まんまんにセールストークをしておいて、高いだの売れないだのとは太い女だ。

 ところで、男性客は絶対見破られないという様な売り文句に心をかれたのだが、それは彼が手品に対して少々見地があったからだ。

 つまりどう言う事かと言うと、彼は手のひらに収まる様な小さい商品ならば簡単かんたんに盗むだけの事が出来た。

「そうですか……いやはや、少々興味きょうみが有ったのですが、高額だと言うのならば、そもそも非売品だと言うのならば仕方ありません、諦めます、ところでそちらの商品ですが、それは何ですか?」

 男性客は大仰な仕草で天を仰ぎ、箱の中のコインを抜き取って袖の下に隠し、そして女店主の視線をレジの近くの商品に誘導ゆうどうしつつ距離きょりを詰めた。

「あら、こちらに商品に興味きょうみが? これはね……」

「おっと、すみません。もうこんな時間だ、約束が有るのでこれで」

 男性客はそう言って、そそくさと店を後にした。

 勿論、袖の下に潜り込ませたコインは代金を払ったりしない。

(もう来るかよ、バーカ)


 それから、コインを盗んだ男は自宅でコインを軽く調べた。

「ふーむ、両面共に裏と言う訳でなし、片面だけやけに重くなっている訳でもなし、試しに数回コイントスをしてみたけど必ず裏が出る……ダメだ、分からん」

 コインを盗んだ男は、自分の手品の知識には自信があった。

 しかし、どれだけ調べてもコインが必ず裏が出る理由が分からなかった。

 まるで、自分の運や実力で連続でコインの裏を出しました! そうとしか言いようが無く感じられた。

「これはいい、すごくいいぞ!」

 コインを盗んだ男は嫌な笑みを浮かべながら、部屋の隅でマジマジと盗んだコインを凝視ぎょうししていた。


 場所は変わって、ここは賭場とば

 賭場と言ってもフォーマルでメジャーできらびやかな遊び場ではなく、ダーティーでアングラでイリーガルでマイナーな場末。

「それでは次の一投、私が裏を出せば倍付け。良いですね?」

 コインを盗んだ男は賭場で賭博とばくきょうじていた。

 そして今、千載一遇せんざいいちぐう好機こうきで自分のコイントスを言い当てる場面に恵まれた。

 もうこうなれば、件の『不思議な力で必ず裏が出るコイン』の出番だ。

「そら、乾坤一擲けんこんいってき

 そう言ってコインを投げ、それがコインを盗んだ男の手の甲に接する時に不思議な事が起こった。

 彼は急に立ち眩みがして、コインを巻き込む形で地面に突っ伏してしまった。

「いてて……失礼しました」

 コインを盗んだ男は起き上がり、件のコインを手に取った。言うまでも無く裏面が出ていた。

 それはそれとして、周囲の人間は彼の事を胡乱うろんなものを見る目で見ている。

(いかんな、急に立ち眩みがしたせいで疑われている……)

 しかし、成功も実行も果たしていないイカサマを疑われるのもしゃくと言う物。

 コインを盗んだ男はバツが悪そうに愛想笑いをしながら、わざとらしくコインを手慰てなぐさみし、今しがた投げ、今から投げるコインは両面がキチンと存在し、そしてすり替えも無いとそれとなくアピールした。

「失礼しました、それでは改めまして乾坤一擲」

 そう言ってコインを投げ、それがコインを盗んだ男の手の甲に接する時にまたしても不思議な事が起こった。

 彼は大きくクシャミをし、コインを取り落としてしまったのだ。

 落ちたコインの向きは、またしても当然裏側。

 こうなると、周囲の視線はさらに増して刺々しくなった。

 周囲の人々はコインを盗んだ男がイカサマを失敗していると疑ってみており、彼がヘタクソなトリックで裏を出していると思っている様に見えた。

 そしてコインを盗んだ男は今この時になって感じ取った。この『不思議な力で必ず裏が出るコイン』は表が出そうになると、コイントスを試みた人物の身に何かが起こって裏を無理矢理出させるのだ。

 コインが無理矢理裏を出させると言う事は、それとなく裏を出すの逆であり、誰の目にもバレバレな手段で裏が出ると言う事だ。

 しかし、そんなコインの神秘的な力は不可視であり、コインの持ち主のバレバレな失態しったいと言う強烈な目眩ましが原因に見える。

 コインを盗んだ男がこの事に気が付いたのは、大仰な仕草や小道具で観衆の目線を誘導するという手品の手口を知っていたからだ。

 しくじったら真っ二つになったり丸焼けにされるという手品の手口は、その典型と言える。

 いわば彼は今、バレバレな手品を無理矢理むりやり披露ひろうさせられ、それによって本命の手品のタネが割れないよう演技をさせられている状況だ。

 しかしこれが芳しくない。

 今やコインを盗んだ男は周囲から刺々しい視線を向けられており『不思議な力で必ず裏が出るコイン』と普通のコインをすり替える事もままならぬ。

 ならば、この観衆の視線の中『不思議な力で必ず裏が出るコイン』を投げるか、コインのすり替えを行なう以外に道は無い!

(む、無理だ……)

 コインを盗んだ男は手品の心得が有ったが、別段場数を踏んだプロの手品師と言う訳では無い。

 更に、彼の手品は視線の誘導によるもので、視線の誘導がままならない状況では彼は不能だ。

 つまり、彼は自分の運と実力とでって、普通に裏を出すしか道は無い!

「え、ええい、乾坤一擲!」

 そう叫び、コインを盗んだ男は三度目のコイントスを敢行した。


  * * *


 壁面に蔓が這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿で墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どことなくナイフの様な印象を覚える、詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

「どこ行ったのかしら、あのコイン……」

 そう口に出す女店主の声は少々不満そうなものの、躍起やっきになって探すでもなし、本気で惜しんでいる風でもなかった。

「ああ、あの不思議な力が働いて絶対に裏が出るコインでしたっけ?」

「ええ、あれはとっておきの商品だから、どうしても欲しがっている人のところへ行って欲しかったのけれども……」

 女店主の言葉は真剣憂鬱ゆううつで、その言葉に嘘偽りは無い様子。

「えっと、一つ気になる事が有るんですが、そのコインって絶対に裏が出るんですよね? 普通に裏が出る場合は不思議な力が働いていないって事でいいんですか?」

「ええ、あのコインは裏が出そうな時、あのコインには何も不思議な事は起きないわ」

 従業員の青年の疑問に、店主の女性は特に何も思う事が無さそうに答えた。

「じゃあそれって、人によっては普通のコインに思えるって事ですか?」

「あら、面白い事考えるのね!」

 それを聞いた店主の女性は面白おかしそうな笑顔を浮かべた。

「でもね、運っていうのは偏るものなの。連続で普通に裏を出す事もあれば、連続で表が出そうになって連続でちゃぶ台返しをする事になる事もあるでしょうね。実際、数回くらいなら連続で普通に裏が出たり、逆に無理矢理不思議な力が連続で裏を出すかも知れないわね」


 時を同じくして、某所の裏通りで顔が焼けて身元が一目で分からない遺体が発見されたが、二人は知る由も無かった。

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