第五十三話『覗き見トムのメガネ-the log in eyes-』

 壁面へきめんつるった、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、かざり気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿ですみを垂らした様な黒髪くろかみが印象的な店主と、どことなくナイフの様な印象の詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

「アイネさん、今触っているソレって私物ですか? 商品ではないのですよね?」

 店主の女性は溜息混じりにメガネの残骸ざんがい手慰てなぐさみにいじっていた。

 それはメガネの残骸と言うだけあって、今あるのはひしゃげたツルだのみ、溜息を吐いてもくもるレンズも無し、説明されなければメガネの残骸だとは分からない様な代物だった。

「ええ、これはね『トムのメガネ』だった物よ」

「トムのメガネ……ですか?」

 従業員の青年は、聞いた言葉が上手く飲め来なかったらしく、聞いたままのオウム返しをした。

「ええ。その昔ゴディバと言う貴婦人の裸を覗き見して、その天罰で盲目になってしまった男の事よ。このメガネをかけると、その人が欲しがっているけれどその人の毒になる物が見えなくなるの。これは本来覗き見トムの様な人間を自分の欲望が毒になる人間を守るための、黒い丸メガネだったのよ」

「欲望から身を守る黒メガネですか……」

 従業員の青年は店主の女性の話を聞き、その男性が黒メガネをかけて覗きをしている滑稽こっけいな場面を想像した。

「それで、なんでそのメガネが壊れているのですか? まさか壊れないと外れないメガネって訳じゃないですよね?」

 従業員の青年の言葉に、店主の女性は複雑ふくざつそうな表情を浮かべた。

 自分の思い通りに事は運ばなかったものの、しかし思ったほど悪い結果でもないと言いたそうな顔色だ。

「このメガネはね、本来は覗き防止が目的じゃないの。このメガネをかけると愛煙家にはタバコが見えなくなるし、お酒が好きな人にはお酒が見えなくなるの。不眠症の人にはお茶やコーラやエナジードリンクが見えなく筈だわ」

「でも、そのメガネを外せば元通りだし、メガネが顔から外れないみたいな事も無いのですよね?」

 従業員の青年は、店主の女性の言葉から状況が飲めずにいた。

 最後まで聞けば納得が出来るであろう事は分かるが、しかし体に悪い嗜好品しこうひんからメガネが壊れるかはどうしてもつながらない。

「それがね、このメガネを買ったお客様は他人の事をだと思っていたらしいの」

「……何ですか、それ?」

「他人をだと思っていたみたいなの。これは文字通り人間を食べていたって訳じゃなく、他人をていの良い財布とか財産だと思ってたみたいで、でもそう言う生き方って他人の恨みを買う物でしょう? だからトムのメガネは、その人から他人を見えない様にしたんだと思うわ」

「……」

 従業員の青年は絶句した。メガネをかけた途端とたん、身の回りから地平線の果てに至るまで世界中に人間が誰一人存在しなくなる。

 そんな場面を自分の姿で想像そうぞうし、全てが虚無きょむの様な感覚すら覚えた。

「このメガネは、そのお客様が亡くなった際に紆余曲折うよきょくせつあって返品されたの。何でも、横断歩道おうだんほどうを突っ切って、そのまま車にねられてしまい、自殺として処理されたわ」

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