第三十七話『チェス人形-The Bite-』

 壁面にツタが這って幻想的な雰囲気のする、昔の映画かアニメで見る様な、おまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店の中には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿をしたすみを垂らした様な黒髪が印象的な店主と、どこかナイフの様な印象を覚える詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年とが居た。

「ところで、カナエはチェスは得意かしら?」

「いえ、すみません。こまの動かし方は知っていますが、定石じょうせきとかは全然で……」

 店主の女性の質問に対し、従業員の青年は申し訳なさそうに応えたが、店主の女性はむしろ安心した様な表情を見せた。

「ええ、それならそれでいいの。今から届く商品なんだけど、チェスが上手い人は絶対に使っちゃいけないの」

 店主の女性の言葉に対し、疑問の言葉を口にしようとした従業員の青年だが、彼女に手のひら大の封筒ふうとうを手渡され、言葉に詰まった。

「どうぞ、開けて下さいな」

 従業員の青年は言われるがままに封筒から中身を手に取り出すと、そこにあったのは何の変哲へんてつもない写真だった。

 何の変哲もない写真とは言ったが、その写真に写っている光景はみょうな物だった。

 テーブルの上にはチェスばんがあり、和式甲冑かっちゅうを着た人物がチェスの駒を操作している。

 しかしこの和式甲冑を着た人物には何か違和感があり、まるでテーブルから生えている、あるいはテーブルと一体化している様に見えた。

 加えて言うと、和式鎧の胸についた紋章は一見桜紋の様だが、その実花びらの形状が異なる苺紋とも言うべき物だった。

 明らかに当時に作られた物ではなく、わざとアレンジをほどこしたデザインと言える。

「これ知ってますよ、チェスをするロボットか人形でしょう? 『トルコ人』って名前の人形だ! 分かった、このよろいの中身はアニマトロニクスの骨格が入っていて、人間の様な動きをしてチェスをする商品なんでしょう?」

「あら、ご存知だった? その通り、でもその商品……『サムライ』は『トルコ人』とはちょっと違うところがあるの」

 従業員の青年は既知きちの物に思わぬところで遭遇そうぐうした事で浮き立った様になり、店主の女性はそれを微笑ほほえましい様子で見ながら言った。

「ちょっと違う所ですか? 『トルコ人』と同じで、実はロボットだと言うのは嘘で中に人が入って動かしている……なんて事はなく、本物のロボットだって事ですか?」

「それもそうなのだけれども、それとも違うの。そのロボットは『トルコ人』と同じ位強い……いいえ、もっと強いかも知れないわ。それは対局を通じて成長して、負ける毎に強くなるの」

「それはすごい!」

 店主の女性の言葉に、従業員の青年は興奮した様子で感心して言った。

「しかし分からないです。棋譜きふを読んだり敗北のデータを重ねて強くなるだなんて、そんなの普通の人工知能に聞こえるのですが、そんなにすごい事なんですか?」

 従業員の青年が疑問を口にすると、店主の女性は小さい子供を見る様な生暖かい目つきで彼を見て、そして言った。

「カナエ、あなたはさっきアニマトロニクスって表現を使ったけど、それは何でかしら?」

「え? それはロボットアームみたいな外見でもなしに、まるで人間みたいな動きをするロボットだと仮定すると、それはアニマトロニクスが適切だからですよ。ほら、東京なんかの遊園地でもアニマトロニクスが歌って踊ったりするじゃないですか?」

 従業員の青年の言葉に、店主の女性は何かひらめいたような、もしくは目からうろこが落ちた様な顔をした。

「あら、ごめんなさい。あの都市伝説を知っていてアニマトロニクスって表現をしたのかと思ったの、私の早とちりだったわ」

「都市伝説……?」

 一人合点やら何やらをする店主の女性に、従業員の青年は首をかしげるばかりだった。

「ええ、カナエはご存知無いかしら? ある遊園地でアニマトロニクスが故障か悪意のある故意のプログラムミスか、子供を噛み殺してしまったと言う都市伝説」

「それ、本当に有った話なんですか?」

 従業員の青年は固唾かたずを飲み、質問をした。彼の脳裏には鎧武者のロボットが、チェスに負けた挑戦者の頭部に噛みつき、頭蓋骨ずがいこつ陥没かんぼつさせて殺し、周囲にはピンク色の人間の体組織が散らばっている様を想像した。

 しかし、帰って来た答えは彼の予想の反対だった。

「いやねえ、そんな事が現実にある訳ないじゃない! これは技師の間でまことしやかに話される、実在しない失敗談。言わば、転ばぬ先の杖ね」

 店主の女性はおどけた口調と仕草で笑いながら、そう言った。

「そ、そうですよね! ロボットが人間を噛み殺すだなんて、そんな」

「ええ、それがそのロボットの違う所なの。そのロボットはすっごくチェスが強いけど、自分を負かした挑戦者の脳味噌を欲しがって本当に頭に噛みつく、いわく付きの商品なのよ。その脳味噌を欲しがった行動が功を成したのか、ただ棋譜からの学習をしただけなのかは分からないけど、その子に同じ戦法は効かないし、負ける度に強くなる。そんな曰く付きの商品だから、声高に取り扱う事は出来ないのだけど、好事家って言うのはそう言う商品を欲しがるものだし、その子もきっと近い内に新しい居場所を手に入れると思うわ!」

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