第六話『心臓の価値-I hEArT YOU-』

「なんだこれ?」

 勤め先の店長からお茶に使うシロップを頼まれ、冷蔵庫を開けると脈動する肉の塊が真空パックに詰められていた。

 俺はこの肉塊に好奇心を向いたが、今は店長が要求したシロップだ。しかし冷蔵庫のポケットを見てもシロップが無い、無い物はしょうがないと報告しようとすると、店長が後ろに立っていた。

「気になるの? そのお肉」

 店長は飾り気の無いイブニングドレス風の服に身を包み、墨を垂らした絹の様な豊かな髪を揺らしながら、俺をからかう様にそう問いかけた。

 余りに楽しげな口調で尋ねて来たので、店長は俺にドッキリをしかける積もりでシロップを要求したのではなかろうかと考えが脳裏をよぎった。

「え、はい。これ何ですか? 俺の目には脈動している肉塊に見えるんですけど」

「そうね、全部いっぺんに話すと長くなるから、順番に話す事になるのけれども、それは人間用の心臓ね」

「人間の心臓……? この店にはそんな物も置いているのですか! 何らかの法に触れたりするのでは?」

 言われて、見て気づいたが確かにこれは心臓だ。

 俺が本や写真で見た事ある心臓とは色や様子が異なっているが、目の前にある肉塊は確かに心臓のサイズと動き方をしていた。血管や血液を取っ払われた心臓が、目の前で真空パックに詰められながら確かに正常なそれの様に鼓動している!

 それに対し店長は、俺を見て楽しそうに微笑んでいる、まるで幼児をあやす親の様な雰囲気だ。

「違うわ、それは人間の心臓じゃなくて人間用の心臓。豚の心臓をおまじないでいじって、人間の心臓と同じ組成にした物なの」

 なるほど、心臓一つでひとりでに鼓動しているのは腑に落ちないが、まあ腑に落ちた。店長の言うおまじないがどう言った物かは理解が及ばないが、店に置いてある物に一々ケチをつけていては、ここでのアルバイトは務まらない。

「なるほど、人工心臓でしたか。でもこんな小物屋に人工心臓を求めに来る客なんて来るのですか? 直接病院の人達が来るとか想像できなのですけれど」

「いいえ違うわ、それは移植に使う心臓じゃないの。同物同治って言葉はご存知かしら?」

「動物ドウチ? 何ですか、それ」

 俺がそう尋ねると、店長の目の色が変わった。これまでは俺をからかう積もりと言った雰囲気だったが、今では真面目半分他愛半分と言った目の色だ。

「中国の思想よ。肉体の調子の悪い所が出たら、動物のその部位を食べれば快方に向かうと言う考え方ね。医食同源と言っても良いかしら」

 なるほど合点が行った、つまり肝臓を患ったらレバーを、胃腸を患ったらホルモン焼きを食べれば治ると言う考え方か。しかし胸焼けや消化不良が起きそうな思想に感じられる。

「つまり、その肉は心臓病の特効薬って事ですか」

「んー、それも少しだけ違うわ。カナエは全ての哺乳類は心臓の価値が、一生に心臓が動く回数が同じだって事は知っているかしら?」

「え! 嘘だ、ネズミみたいに二年そこらしか生きない動物と人間の心臓の価値が同じだって言うんですか? どう考えても心臓のサイズも価値も違いますよ!」

 脳が理解を拒むような事を言う店長に対し、俺は思わず反論したが、店長の目は笑っていた。何だか俺の考えを予想されていたようで、少し恥ずかしい。

「ええ、カナエの言う通りネズミと人間の心臓は違うわ。ネズミの心臓はすごく速く動くから、一生も早く終わるの。人間もネズミも持っている時間は同じで、時間の使い方が全然違うからそうなるの。分かるかしら?」

 店長の説明を聞いて、俺はネズミの心臓が、人間のそれの数十倍の速度で動く様を想像した。しかし俺には店長が心臓の速度に関する話をした理由が理解できなかった。

「えっと、人間とネズミとで心臓が動く回数は同じで、速度が違うって言うのは分かりました。それで、それがドウブツドウチの話と関係があるんですか?」

 俺の質問を受け、店長は嬉しそうに微笑んだ。これが学校の授業なら、良い質問ですね! と誉められていたところだろう。

「そこなのよ! その人工心臓は心臓病の薬じゃないの、それは寿命を延ばすための薬なの。人間の心臓と同じ様に作ったから人間の心臓と同じ速度で動くし、人間の心臓と同じ様に作ったから人間の心臓の回数を伸ばすの。私は寿命を延ばしたいと言うお客様が来たら、その心臓を売りつける積もりでいたのよ」

 俺は嬉しそうな笑顔で言う店長の言葉に違和感を覚えた。

 確か共食いと言うのは、狂牛病の様な病気を誘発するのではなかっただろうか? そうだとすると、店長は妙な病気を誘発してでも心臓の回数を増やしたがっている客に、その心臓を売りつけるのだろう。実際に心臓を食べると心臓の回数が増えるかどうかは疑わしいが、実際に冷蔵庫で真空パックの中で鼓動している心臓を見ると不思議な説得力を感じた。

「それは本当に大丈夫なんですか? そもそも本当に寿命が延びるんですか?」

「なんならカナエが食べてみる? その動いている心臓をそのまま食べれば、寿命がざっと数十年延びるわ」

「いえ、いい、結構です」

 この話は店長が俺を担ぐためにでっちあげた作り話かも知れない。寿命の話が本当だとしても、生の豚だか人間だか知らない人工心臓を食べて病気か何かにならない保証も無い。仮に俺の寿命がもうすぐ尽きると宣告されていたら、その時は心臓を口にするかも知れない。

 しかし、それを食べてはいけないと、俺の心がそう言うのだ。仮に食べたらどうなるかと考えたら、心臓が早鐘を打つ様だ。

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