第10話 性について
これらの事を考えると早いうちの性と言うのは何かしらの象徴に基づいていると思われるが、すべてではないだろう。
俺の場合のスカートとハサミであるが、これはすぐに消失した。
若い頃ある親しい男と話したことによると、彼は全裸女性に対する性欲がないと言う。
彼の性の対象は若い女性にあると言うノーマルなものだったが、スカートから覗かせるちらっとしたものに興奮すると言う。
今でもスカート切りやいわゆるパンチラと呼ばれる、そんな動画などが公表されているようだ。
俺と彼に共通していることと言えば母親が高圧的なことだ。
俺よりも彼の場合症状は重く、母親と関係もない中年などの歳上女性と接すると無口になったりして精神的に不安定になるのが常だった。
女性との正常な人間関係を結ぶことの出来ないなか人生を送ると幼い頃のこうした一時的な性の発芽が残ったりするのだろうか。
俺はあれでも母親とのコミュニケーションを持てた方だと思う。
時には憎しみの対象でありながら、あてに出来る大人としても存在していた。
この両方の分裂した存在からダブルバインドの危機にもなるが、俺の場合は違ったようである。
ダブルバインドとは意識の読み取ることの難しい親や保護者からの子供の感情や行動が混乱し、これが成育に悪影響を及ぼして精神障害へ至るプロセスを言う。
俺の場合混乱することなく憎しみと依存を程よく分けていたようである。
性とは異性に対する何らかの攻撃を含むものがあるとするフロイト論だが、このことの考察は後に記すことにする。
パンチラは見えるものや対象は白い下着だ。
スカート切りは衣服と硬い金属のハサミだ。
どちらも当たりさわりのないレベルでの子供に提供した性欲のもとであるが、これを排除しても大した意味はないと思う。
排除すべきは母親を中心とした身近な女性との歪んだ人間関係の方だ。(男にとって)
子供や若者から性を排除すると言う考えは暴力と同義なのではないだろうか。
扇情的に性をかきたてるものを排除して、外の健全な活動へと引き出すことを言うのでない。
罰を与えながらこれを除こうとすることに暴力があるのだ。
性ばかりに興味を向かうようにするのは良くない。
目標や趣味や興味のある方へ意識を向かわせることが大切なのである。
性への興味を体罰と言う形で遮断するところに性の歪曲へと至るプロセスが生まれる。
大人になってもスカートうんぬんと言った性が残り続けるのは、思春期に得られる成熟した身体への健全な形での欲求を養ってやれなかったことによるものだろう。
あるいは性に対する罰が性になり、サドマゾ性癖へと至ってしまう。
最悪なのは暴力的罰が他害的になることだ。
自分の受けた罰が他へ向かうことによる。この点についてコンプライアンスが厳しくなるのは仕方のないことだが、正しい理解がないとまた誤った方向へ向かうことにもなる。
(子供にとっては)大人はどうせ何も出来ないのだと。
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