第7話 引っ越し先と残酷ベイビー

 この2階建てに来る前までは姉と共同して弟の歩行訓練をしたり、出生直後の赤ん坊の頭蓋骨が一部分しかないことに驚いたりしていた。


 その中に大切な脳があることもきちんと認識していた。

 赤ん坊を養うことは大変だなと。歩けもしないし、脳を保護するだけの骨すらないと。


 母親の聖人妄想に付き合わされて苦しみだしたが、まだある程度の家族だったかも知れない。



 男とは常に自分が一番でありたいと思うものだが、結婚して子供が出来ると妻の関心事は一気に子供に向かう。

 これを嫉妬して夫は苛つくものだが、もう生まれてしまっては子供にはそのイライラはどうにかしてやれるはずがない。


 これが俺が弟に対する妬みを伴う憎悪の一因となっているなら弟に申し訳ない。弟に苦労かけたなと。


 しかしどう言うわけか弟の軟弱なわざとらしい態度が徹底的に俺のしゃくに触った。


 この頃かどうかはっきりわからないが、弟の母と姉に対するわざとらしい態度と俺に対するタメ口的態度の非常に大きい温度差にいつも呆れていたのも事実だった。


 母と姉の女性陣には純真無垢を演じるさまは俺にとっては気持ちが悪くなるほどであった。


 考えると彼の純真さが真の姿だったのだろうか。俺が厳しく当たるから俺に対して辛辣なふるまいをするのだろうか。

 でもはじめから厳しく当たっていたとも思わない。


 わずか2歳かそこらで渡世術を身に付けたのごとく振る舞えるのか疑問だが、俺には少なくともこの激しい温度差による違和感に我慢がならなかった。


 歳の差があるとは言え俺も単なる小学校低学年のガキである。この歳の開きも俺を家庭内で苦しめられる原因になるのだった。

 歳の差があったも大人になっていない。弟が生まれる前から大人の道理を求められた身ではあるが。



 さて、この住宅の裏手は農家があって、そのあいだに田んぼが広がっていた。

 農家の家は少し遠く、そこの人とは親同志付き合いがなかったようだ。


 その田んぼに小ガエルが大量に住んでいて、夏の夜はカエルの大合唱が響いていた。


 田んぼが広がっている空間は子供には少々怖かった。

 2階の田んぼ側の窓の傍に俺たちが眠るベッドがあった。

 

 もう弟のベッドが用意されていたが、まだ1人で眠ることはなかった。


 夜の暗闇の中、この窓のすりガラスの向こうは暗黒の世界が広がっている。

 カエルはうるさいが、闇夜浮遊する魔物にさらわれるのではと思った。

 ただ、そんな想像もそれほど生活を支配するほどでなかった。当時オカルトへの興味はあまりなかったのだ。


 家にはまだ我々が生まれる前からいる猫が元気にしていた。

 この猫が一家の倫理の強い支えになっていたことは確かだった。


 彼(オスだから)の滑らかな黒白の毛並みへ肌を突き合わせて育ってきた。生き物の感情と尊さを学んだのだ。


 それにひきかえ人は自分のエゴを主張して感情的になるばかりで、何の支えにも学びにもならなかった。


 昨今一生独身で過ごし、犬や猫と暮らし、そして若い男女が家族をもうけることはこれからはマイノリティーに至るのだろうか。

 日本の民族感情の危機を感じてしまう。



 前の住宅付近では湧き水や用水路が主体だったが、ここに越して来て少し環境が変わった。


 田は前にもあったがそれほどカエルがいなかった。しかしここではかなり多い。


 田んぼと農家の向こうは大きな川の土手になっていて、土手の向こうはこの川の河川敷の広い土地が広がっている。


 この土地には低木の雑木林がや雑草が茂る荒れた地帯だ。


 荒れていると不法投棄のゴミや産業廃棄物もあった。野犬もいるし、さまざまな昆虫もいた。


 しかしその大きな川へは訪れたことはない。川の流れもあまりに大きすぎて大河の渕が不気味に広くゆったりと流れる濁流であった。


 釣りをする人もおらず、川遊びする人もいない。


 この川と河川敷に橋がかけられており、この橋の上からや橋を渡るバスや乗用車からこの流れを望んだ。


 この大河を渡ってそれほど遠くないところに別の川が流れていて、ここに遠足に来たことがある。

 この川は清流で水の量もそれほど多くなく、自然の美しい景観を作り出していた。


 ただ少し遠いので遠足以外で行っていないかも知れない。


 大河にかかる橋の手前の道沿いから入ったところに我々の住居があり、この通りの向こう側にも河川敷が広がっていた。

 この河川敷は緑が美しくなる印象だ。ここがあまり荒れていないのは誰かが管理していたのだろうか。

 この緑の中に各種のバッタ類やキリギリスがいた。


 このバッタ類に強く惹かれ、捕らえては家に持ち帰って飼育しようとしていた。


 トノサマバッタもいたが捕らえられなかったと思う。捕らえたとしても広い土地を飛びまわる彼を家の中へ閉じ込めておくことを考えなかったかも知れない。


 キリギリスを持って帰りキュウリなどを与えて飼育しようとしたところ、2歳の弟がこれを指で捻り潰して殺した。


 これにものすごい腹が立って憤慨しているところに親が来て俺を宥められた。


 俺がキリギリスのように弟を捻り潰すとでも思ったのだろうか。

 キリギリスは噛み癖がある。子供がこれに指を噛まれると痛い。

 弟はキリギリスに噛まれたから殺したのだろうか。


 これを見て母は弟の残虐ぶりを印象付けられたのだと後に言った。

 その割に成人してからも育っている最中ても弟に対する猫っかわいがりが過ぎたように思う。


 こんな育成はその後の本人に良くない影響をおよぼす。


 兄が厳しく当たり、母と姉が何をしても「良いよいいよ」で猫っかわいがりをする。


 後から考えても俺にかける金額と弟にかける金額には大きな開きがある。


 これでは自分が生まれ持った何か既得権を得たかのようになってしまう。

 兄に何も与えられなくとも俺には何でも与えられるのが世の常なのだと。


 こんな思いが学校や社会で上手く行くはずがない。


 家庭内で何でもかんでも許されてきたことが、その外で手厳しい仕打ちが待っているだけだ。


 同級生の中の社会で、このような甘やかされたことが身に染み付いた状態では相当な嫌われ者になるはずた。


 家庭内の内外での温度差の大きな違いに相当な葛藤があったはずだ。


 これで彼は社会でもそれなりに順応するようになるが、どこか家族の中となると何でもかんでも自分が最優先されていないと不快感を示し続ける。


 三つ子の魂百までとは良く言ったものだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る