第6話 ADHD児小学校に上がる

 外で遊び呆けている俺の方は時々悪魔に誘惑されることがあった。


 田舎では昔子供にとって危険なものが多くある。

 釘の出たままの廃材、リード線の長い犬、水の深み、ドブ、触ると傷になる鉄板の廃材など、これを回避するため知識と判断力が求められる。


 ある日廃材の上に乗って遊んでいると頭の無い釘が廃材から飛び出ているのに気づく。

 そう思って警戒しているつもりが、気がついたときはもうそこへ行って釘に膝を突き刺して怪我をする。


 おそらくそれで泣いて家に帰って手当てを受けたのだろう。


 危険を認知し察知し、それに対しようとする。

 それからそれを忘れて怪我をする。

 幼心に悪魔に捕らわれた感覚になる。


 これを注意欠陥と言うものであるだろうが、そんな分類上の認識など無い時代である。


 前述の集合写真を撮影する時の逃亡と合わせて正にADHD児だったであろうことがわかる。


 別のある日友人の家の方に遊びに行った。住宅地の軒先で南側の庭に面した方向が荒れ地になるところの境だと思うが、ある一軒には犬が飼っており、この境にまで犬が出て来ている。

 これを危険だと認知し、そこへは行かないと決意する。


 しかし遊んでいるうちに忘れ、結局犬に右腕を噛まれ、その傷は大人になっても残っている。


 犬に噛まれている時にその家の2階の窓から若い男が怒鳴っていたが俺が怒鳴られているのかと思った。


 犬から逃れめそめそ泣いて家に帰り、次の日病院へ行って左腕にワクチンを打ったのを覚えている。



 こういった注意欠陥にしても暴力的痛みで支配して矯正していくと言う教育とはいかほどなのだろうか。


 大人になり社会に出た時困るからとて、その方法は戦争にでも備えているのだろうか。


 社会に出るにせよ、戦争に勝つためにせよ、一体子供たちの人生は誰のためにあるのか。


 国家のために結局誰かが盾となり矛となり、その国家とは誰のためにあるのか。

 一体そこで人は自分のためにいつ何が出来るのだろうか。



 さて、幼稚園を卒園し隣接する小学校へ入学した。


 そこは寒々とした捕らわれの空間で、幼稚園にいる和気あいあいとした雰囲気は無い。

 教室で机に向かって椅子に座っているだけで何も出来ないのだ。


 何故そうしているのか、多分皆がそうしているからだろう。


 しかし1人だけその場の空気のわからない児童がいた。

 学校にミニカーを持ち込み1人で遊んでいる。


 他のクラスメートは呆れてその子を見ていたが、考えると少し前は自分もそうしていると思った。


 6歳でこの切り替えを皆でしていたのだ。大人になって考えるとこの切り替えの方が奇妙に思える。


 この児童の親だと思うが、どうも無職らしく授業中に教室に来て教師にお礼を言いに来る。それが何回もある。

 教師は困り果てた態度で丁重に追い返すのだった。

 親の方もちょっとずれていた。


 授業か何か覚えていないが、ほぼ毎日グラウンドに出て体育か何かあったらしい。

 これの終わりにクラスメート数人である地点までかけっこ競争をした。


 一番早いやつがいて、次に俺ともう一人で2番手を争っていた。


 一番早いやつがあまり食べない。2番手を争っている俺たちはよく食べる、などと話して、速い人は食べないかよく食べるかのどちらかだと驚いていた。

 今考えると家での食事の事情など何も考えていないわけだが。


 体育館で大人数を見ることすら前例のないことだった。

 児童の判断できちんと整列しろと言うのだかちょっと無理な話だと思う。


 それでも他の皆はきちんと整列したようである。

 整列の順も決められていて誰が一番前で、誰が前から☓番目とか決まっていた。


 集団生活の規範などすぐに身に付くものでないと思うのだが、俺以外入学当初から従っていたようである。


 整列するときこれらの規範がわからないか、忘れたかであたふたしていると、俺の整列順の前の児童の頭をわしづかみにしてこちらに向け「お前はこいつの後に並ぶんだよ」と言い捨てた。


 そこには何の理性もなかったが、そこで俺は整列の仕方を覚えた。


 書くことを迷ったが、体育の授業だと思うが、チンタラとした集団走行に嫌気がさして列から外れて走ると、その瞬間教師にぶん殴られたことがある。俺は倒れ込みそのままでいた。あとは覚えていない。


 初めからこれだが、後々ずっと小学校の教師で理性的な者に出会うことはついに訪れることはなかった。


 入学した学校の一学期の終わる前のある夏の日のこと、両親はこの市内にて引っ越しの日取りを決め学校側に連絡していた。


 二学期かいつか使うようなプラスチック製の理科の実験用か何かの教材を全部俺に渡してくれた。

 これの量が多く手さげ袋がパンパンになり、持って歩くのにも苦労した覚えがある。

 しかし、これらを使った記憶も転校先の学校へ持って行った記憶もない。


 歩いて行けなくもない他の学校へわずか一学期だけ経験しただけで転校を強いられることになった。


 さらにまた新たな地獄の扉が開いたのであった。


 今度の住宅は2階建ての長屋で覚えているのは4棟入っていたと思う。

 (前の住宅は平屋としか覚えていない)


 2階建てで長屋とは今考えると奇妙だ。

 アパートなら高級なものの中にこの形式があるが、古い木造の2階建てとは社宅か何かだったのだろうか。


 だが子供にはそんなことをどうこう考えることはなかった。


 弟も1〜2歳になり自力歩行も活発に行うようになったが、この頃から残酷ベイビー振りを発揮するようになる。

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