五話 ②

 メイアは再び、両手で顔を覆った。


「クロエ、杖を」


 微苦笑を浮かべたアルフレドの指示を受け、赤毛の女性従者がメイアの杖を拾い上げた。

 アルフレドはメイアを抱えたまま、金色の飛竜の背に乗った。


「シラヌイ様、アウラ様、今日のところはこれで。後日、改めてご挨拶に伺います」


 そして、ベルリ帝国の皇太子は、臣下とともに去った。


「一応は、一件落着といったところか……」


 三頭のワイバーンを見送りつつ、シラヌイは長い息を吐いた。

 過酷な戦いだったが、収穫もあった。

 アウラリアが世界塔に続いてベルリ帝国から国として認められたことも、ベルリと友好関係を結べたことも大きいが、一番の収穫は、不可能魔術だった色即是空ヴァニタス・ヴァニタートゥム(ヴァニタス・ヴァニタートゥム)の発動に成功したことだろう。

 全ては、アウラのおかげだ。

 シラヌイは妻を振り返る。

 ワイバーンを見送るアウラは、夢見がちな表情で呟いた。


「……いいなぁ。お姫様だっこ」


 シラヌイは首の後ろをさすりつつ、考える。


(お姫様抱っこというと、あれか……よし)


 シラヌイはアウラに歩み寄って、彼女を抱きかかえた。アルフレドがメイアにそうしていたように。


「帰りましょう。私たちの家に」


 目をぱちくりさせているアウラに、シラヌイは笑いかける。

 アウラはシラヌイを見上げ、


「はい」


 嬉しそうに笑って、シラヌイの首に腕を回した。

 妻の重みを全身に感じる。小柄でもなければ肉付きの良いアウラは、決して軽くはない。疲れ切っている今のシラヌイに、城までアウラを抱えて歩くのは一苦労だが、情けない姿は見せられない。

 しっかり胸を張って、シラヌイは歩き出す。

 途中、街中でヒバリと出くわした。

 精霊たちの、凄まじい力の高まりとざわめきを感じて、一体何が起きているのか、慌てて様子を見にきたのだという。

 事の顛末を話すと、ヤマの骸が変貌した件にも、ベルリ帝国と友好関係を結んだ件にも驚いていたが、ヒバリが一番驚いていたのは、不可能魔術が実現したことだった。


「不可能を可能にしちゃったんだ。やっぱりすごいなぁ、アウラさんは。かなわないや」


 そう言って、ヒバリは笑った。その笑顔はどこか悲しげにも見えたが、シラヌイにはヒバリが何故そんな顔をしたのかわからなかった。魔術師としての力量差を、改めて痛感したということだろうか。

 城に戻ったシラヌイは、捕らえていたベルリの兵士たちに、アウラリアがベルリの友好国となったことを告げ、彼らを解放した。解放の際、セシリア湖畔で、ベルリの兵が二名、バジリスクの毒液で石になっていることを伝えた。然るべき処置を施せば、助かるはずだ。既に砕けてしまっていた場合はその限りではないが。

 翌日、アウラリア王城を、三名の人物が訪れた。

 内二名は、白虎の長老フロロと、副頭のブランだ。

 ふたりは、朱雀の里の状況を知らせにきてくれたのだった。

 朱雀の里がメイアの襲撃を受けた際、フロロはその場にはいなかったが、ヒバリが事態をシラヌイに伝えるために里を発ったのと入れ替わりで、やってきたのだという。

 魔獣の攻撃で何軒かの家屋に被害が出たが、メイアの言葉どおり、朱雀の民に死者は出ていない。ただし、負傷者は出た。一人だけ。


「それは、誰ですか?」


 シラヌイの問いに、


「こいつだ」


 フロロは隣に控えていたブランを目線で指した。


「朱雀の民ではないがな」


 ブランは頭に包帯を巻いていた。

 逃げ遅れた朱雀の民を魔獣の攻撃から庇って、傷を負ったのだという。


「ありがとう、ブラン。心から感謝する」

「別に、あなたのためにやったわけじゃないですよ」

「わかっている。アウラのためなのだろう?」


 ブランは腕を組み、顔を背けて答えた。


「……白虎の副頭として、当然のことをしたまでです」


 ブランのその言葉に、シラヌイは改めて感謝し、頭を下げた。


「ありがとう」


 白虎の副頭が白虎の民を助けたのであれば、それはたしかに当然のことだろう。しかし、ブランが我が身を盾にして守ったのは朱雀の民だ。

 白虎の民も朱雀の民も、一つの家族として、守る。ブランがそう考えてくれていることが嬉しく、頼もしかった。


「わたしからもお礼を言わせて、ブラン。ありがとう。偉いわ」


 アウラはそう言って、ブランの頭を撫でた。


「やめてよ、姉さん。人前で。恥ずかしい」


 恥ずかしい、と口では言いつつも、ブランはアウラの手を避けなかった。撫でやすいように頭を差し出しているようにさえ見える。

 昨日の戦いで頭を負傷したアウラも、額に包帯を巻いていた。

 アウラとブランを見て、シラヌイは思う。

 似ているな、と。

 ふたりが血の繋がった姉弟ではないことはアウラから聞いていた。髪色も違う。

 しかし、こうして並んでいるのを見ると、本当の姉弟のように見える。揃って頭に包帯を巻いているから、というのもあるのだろうが、ブランの頭を撫でるアウラも撫でられているブランも、とても自然な表情をしている。幼い頃から、ふたりにはこうした場面がきっと何度もあったのだろうと思わせられる。

 血は繋がっていなくても、アウラにとってブランはたしかに弟で、ブランにとってアウラは紛れもなく姉なのだ。

 シラヌイは振り向いて、ヒバリを――妹を見た。

 シラヌイとヒバリにも血の繋がりはない。それでもシラヌイは、自分とヒバリの間には兄妹の絆があると信じている。

 目が合うと、ヒバリはシラヌイの心中を察したのか、小走りに隣までやってきて、頭を差し出した。


「あたしも、がんばって戦ったよ?」

「ああ。よく里を守ってくれた。頼りになる妹だよ、おまえは」


 軽く苦笑しつつ、シラヌイはヒバリの頭を撫でた。

 えへへ、とヒバリは笑う。

 もう一人の訪問者は、世界塔の使者、リーリエだった。

 リーリエが訪れたということは、巫女グリグリと例の鏡を通じて顔を合わせるということだ。そういう意味では訪問者は四人であるとも言えた。


「よくやった」


 開口一番、叱責されるのではないかと身構えていたシラヌイだったが、褒められた。

 巫女は昨日の出来事を、全て知っていた。


「ベルリの宮廷魔術師長、あの者は七曜の賢者の一人、土の賢者じゃ。もし、おぬしがあの者を殺しておったら、七曜の一柱が早速欠けておったところじゃ」


 シラヌイは肝を冷やした。

 メイアを殺したいとは思っていなかったが、彼女と直接戦闘になっていたら、どうなっていたかはわからない。


「そういうことは、もっと早く言ってください!」

「儂だって、何もかも初めからわかっているわけではないわい。あの者が土の賢者であるという未来が視えたのも、昨夜じゃ。真夜中じゃ。おかげで眠くてたまらんわい。寝不足でお肌が荒れたらどうしてくれるんじゃ!」

「巫女の予知のタイミングは、私のせいでは……」

「言い訳するでないわ! このバカチンめ!」


 結局、叱責された。


(理不尽だ……)

「バ、バカチン……」


 その単語がツボに入ったらしいアウラが、笑いをこらえきれずにいた。


「メイア殿に、この件は?」

「これから伝える」


 メイアが七曜の賢者の一人ということは、いずれは共に呪晶石災害に立ち向かうことになるのだろう。

 希少な死霊魔術の使い手。味方になってくれるのであれば心強い。


「不可能魔術を実現させた件についても、褒めておこう。しかし、あの魔術はもう使うな。理由は、おぬしが一番わかっているはずじゃ」

「それは……はい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る