五話 ①
先端に
しかし、その杖を手にしているメイアの足は、生まれたての子鹿のように震えていた。
彼女もまた、体力の限界を迎えているのだと、シラヌイは悟る。
「シラヌイさん、立てますか?」
アウラの問いかけに、シラヌイは頷いた。
しかし、やはり足に力が入らない。
アウラが立ち上がった。彼女に手を引かれ、シラヌイもどうにか立った。
深呼吸を繰り返す。空気が肺を満たすにつれて、少しずつ全身の感覚が戻ってくる。
爪先で地面を叩き、動けるようになったことを確認して、シラヌイはアウラの手を放した。そして、氷塊を飛び降りて、メイアの前に立った。
メイアは足だけでなく、杖を持つ手も震えていた。
「私の、負けだ」
言って、メイアは杖で身体を支えた。
「一つ、問う。朱雀の民を殺したのか」
問うシラヌイを睨め上げ、メイアは首を横に振った。
「死人は出していない」
「断言できるのか」
メイアはきっぱり答えた。
「できる」
「多くの魔獣を死霊魔術で操っていたと聞いた。それで犠牲者を出さないのは、至難の業だろう」
「死霊魔術とは、本来、枯れた土地を甦らせるための魔術だ。生命を尊ぶ魔術だ。無益な殺生は死霊魔術師の倫理にもとる。たしかに私は朱雀の里を攻撃したが、誓って死人は出していない」
メイアの言葉にも目にも嘘は感じられない。
「……わかった。信じよう」
「殺せ」
杖に体重を預けてどうにか立っていたメイアは、地面に両膝をついて、杖を投げ捨てた。
「……死を望むのか?」
シラヌイの問いかけに、メイアは目に涙を滲ませた。
「……私は、あの方の役に立てなかった。生き恥はさらせない。殺してくれ」
「あの方?」
「シラヌイさん!」
隣にやってきたアウラが、緊迫した声をあげた。
「あれを!」
アウラが指し示したのは、空。正確には、空を舞う三つの影。
「あれは、ワイバーン?」
シラヌイは空に向けた目を見開いた。
ワイバーンは、かつて女神ミネルとともに世界を救った聖獣・竜の劣等種とされる魔獣だ。別名は飛竜。
身構えるシラヌイとアウラの前に、三頭の飛竜が舞い降りた。
三頭のうち、二頭の体色は緑。もう一頭は白。
いずれのワイバーンも、鞍と手綱を付けられ、背に人を乗せていた。
白いワイバーンの手綱を握っていた人物と目が合った。
金色の髪の、美しい青年。華美に過ぎない礼服の上に、白いマントを身につけている。マントに金糸で刺繍されているのは、ベルリ帝国の紋章だ。
「私はベルリ帝国皇太子、アルフレド・ベルリ」
金髪の青年が名乗った。
シラヌイは驚かない。彼が何者であるかは、一目でわかったからだ。
「朱雀の頭領、並びに白虎の頭領と交渉したく、参じた」
「私が朱雀の頭領シラヌイだ」
シラヌイが名乗りを返すと、皇太子アルフレドはワイバーンの背から軽やかに飛び降り、目の前に立った。
緑のワイバーンに乗っていたふたりも降りてきた。片方は、紳士然とした壮年の男。もう一人は赤毛の女。こちらの年は三十前後といったところか。すらりと背が高い。どちらも剣を帯び、ベルリ帝国の軍服とマントを身につけている。皇太子直属の護衛なのだろう。その佇まいから、相当な使い手であることが窺える。
ふたりはアルフレドの左右それぞれの斜め後ろに控えた。
「隣は、妻で白虎の頭領のアウラ」
「は、はじめましてっ」
シラヌイの紹介にアウラが頭を下げて挨拶すると、皇太子アルフレドはふっと表情を緩ませた。そして、胸に手を添え、その場に片膝をついた。
「まずはお詫びしたい。此度の件は私の命によるもの。一切の責任は私にあります」
ふたりの護衛も主に倣って片膝をつく。
「で、殿下っ! 頭を上げてください! ミネルの丘を手に入れるべきと進言したのは、私です! 責任は私が負います!」
メイアが声をあげた。
「決断したのは僕だよ、メイア」
片膝をついたまま、アルフレドは顔だけを上げ、メイアを見た。メイアに向けられるアルフレドのまなざしは、優しい。
「アルフレド殿下、交渉というのは、彼女を……?」
「はい。メイアの命を、どうかお助けいただきたいのです」
メイアが悲鳴じみた声をあげた。
「殿下! 私の命など、お捨ておきください!」
「そうはいかないよ、メイア。君は帝国に必要な人材だ。僕個人にとってもね。僕は君を、失いたくない」
「殿下……」
メイアは顔を覆って泣き出した。
「シラヌイさん……」
アウラがシラヌイの袖を引いた。
アルフレドとメイアに向けられたアウラの目には、同情の色があった。
シラヌイは頷く。
メイアを殺すつもりはない。しかし、利用はさせてもらう。
「アルフレド殿下、あなたは交渉と仰った。それは、メイア殿をお返しする代わりに、こちらの要求に応じていただけるという解釈でよろしいか」
「そう受け取っていただいてかまわない」
「では、まずはアウラリアを国として認めていただきたい」
「アウラリア……奥方の名を冠されたのですね」
アルフレドはやわらかく笑み、応えた。
「ミネルの丘は、呪晶獣ヤマを討伐したあなたたちの土地だ。ベルリ皇帝の名代として、新国アウラリアの誕生を、心より慶賀いたしましょう」
「感謝いたします、アルフレド殿下」
シラヌイは自らも片膝をついて、アルフレドに手を差し出した。
「もう一つ、要求させていただく。アウラリアと帝国の、末永い友好を」
「喜んで」
アルフレドは、これにも応じた。
アウラリアの王とベルリの皇太子は手を取り合い、立ち上がって、さらに両手で握手を交わした。
大陸北東部の大国が、アウラリアを国として承認し、友好を誓った。アウラリアにとって、これは大きな意味を持つ。
大陸東部には他に、アスラムとドムドという二つの大国があるが、ベルリがアウラリアの友好国となったことで、アスラムとドムドは、おいそれとアウラリアに手を出せなくなった。
「友好の証として、街を再建するための資材と人材を支援させていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「ご厚意に感謝を。必ず、このミネルの丘を復興するとお約束します」
「で、殿下っ!」
涙交じりの声をあげたメイアに、アルフレドが優しい目を向ける。
シラヌイは一歩下がって、アルフレドに道を空けた。
「ありがとう」
感謝の言葉を口にして、アルフレドはメイアの前まで歩き、身を屈めた。
「メイア、君が無事でよかった。シラヌイ様とアウラ様の慈悲に感謝しよう」
「本当に、よかったのですか……?」
「ミネルの丘は手に入らなくても、英雄と友好を結べたのはベルリにとって大きな利だよ」
皇太子アルフレドは、優しいだけの青年ではない。シラヌイは彼に対する評価をそう改めた。
互いに利をもたらさない友好関係は脆いということを、アルフレドはよくわかっている。
油断はならないが、利害が一致している限りは、信頼できる人物だ。
「さあ、メイア。帰ろう」
座り込んでいたメイアを、アルフレドが抱え上げた。
「でで、殿下⁉ お、下ろしてくださいっ!」
「自力では立てないのだろう? もしかして、気恥ずかしいのかい?」
「あ、当たり前ですっ!」
「僕は気にしないよ」
「私が気にするんです! クロエに抱えさせてください!」
顔を真っ赤にしたメイアに、アルフレドが微笑みかける。
「僕は君が生きていてくれて、本当に嬉しいんだ。帝都まで、僕が君を運ぶよ」
「……アルのバカっ!」
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