四話 ⑧

 アウラが驚きの声をあげた。


紅炎天焦クリムゾン・フレア!」


 続けて、シラヌイが大魔術を放つ。

 しかし、天地を焦がす豪炎は、ヤマの全身から発せられた冷気に相殺されてしまった。


「私たちの攻撃を学習したのか……!」


 アウラの冷気に対しては炎で、シラヌイの炎には冷気で、それぞれ対応してきた。


「シラヌイさん、どうしたら……」


 狼狽えるアウラに、シラヌイは答えられない。

 アウラの魔術もシラヌイの魔術も通用しないのであれば、いよいよ打つ手がない。

 ヤマが、四本の腕を、掌を上にして掲げた、

 シラヌイは天を仰ぎ、目を剥いた。

 上空に、大岩のような氷塊が無数に浮かんでいた。

 優に百を超える数のそれが、落下を始める。


火炎方陣イグニッション!」


 シラヌイは頭上に網状の炎を展開したが、氷塊はそれを容赦なく引きちぎって降り注いだ。

 避けた先に先に、氷塊が落ちてくる。


「シラヌイさん!」


 アウラとの間にも、氷塊が落ちた。


「アウラ!」


 冰眼を持つアウラは冷気で傷つくことはないが、冷気も氷になってしまえば純粋な質量だ。氷の塊に押し潰されれば、死ぬ。

 しかし、シラヌイも氷塊を避けるのに精一杯で、アウラを助けに行く余裕はない。

 広範囲に炎を放って氷塊をまとめて溶かすことも考えたが、アウラの位置がわからない状態では、彼女を巻き込んでしまう。

 焦るシラヌイに、氷塊とは別の大質量が襲いかかった。

 ヤマの、手だ。

 巨大な掌が、唸りをあげて迫る。


火炎障壁ファイア・ウォール!」


 咄嗟に張った炎の壁も、易々と吹き飛ばされてしまう。ヤマの手は、止まらない。

 凄まじい衝撃に、シラヌイの意識は粉々に砕け散った。


 風が、花の香りを運んでくる。

 シラヌイはゆっくりと目を開けた。

 色鮮やかな花々が見えた。

 花畑に、シラヌイは立っていた。


「ここは……」


 見覚えのない、しかし、懐かしさを感じる風景だった。

 ふと、隣を見るとアウラがいた。

 シラヌイの視線に気づいたアウラは、夫を見上げ、微笑んだ。


「――……。――!」


 声がした。

 シラヌイは、声がしたほうに――正面に、目を向けた。

 小さな女の子がいた。年は、三、四歳といったところか。

 シラヌイとアウラに向かって、満面の笑顔で手を振っている。

 シラヌイは目を凝らし、気づく。女の子の瞳の色が、左右で違っていることに。

 右が赤く、左が青い。緋眼と冰眼。

 女の子は振り返って、走り出した。


「待って。待ってくれ」


 遠ざかっていく小さな背中に向けて、シラヌイは手を伸ばす。

 シラヌイは、その女の子を知らない。


「……メ!」


 知らないはずなのに、シラヌイは一つの名前を口にしていた。

 風が吹き、花が舞う。

 視界が揺らいだ。


呪いの鎌カース・サイス!」


 誰かの声、続いて衝撃音が響いて、シラヌイはハッと目を開けた。


「ぐ……っ」


 身体を動かそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。

 歯を食いしばり痛みに耐えつつ、状況の把握に努める。

 どうやら、自分は敵の攻撃で意識を失っていたらしい。身体の状態は、全身打撲に骨折が数ヵ所といったところか。立派に重傷だが、命に関わるほどの怪我はしていない。これならば。


再生の炎リバース・ファイア


 火の揺らめきの如き赤い光がシラヌイの全身を包み、消える。

 シラヌイは上体を起こす。一瞬で完治というわけにはさすがにいかないが、動くのに問題はない。


暗黒の矢ダークネス・アロー!」


 誰かが戦っている。声からして、ベルリの宮廷魔術師長メイアだろう。

 制御の効かなくなったヤマを倒そうとしているのだろうが、無理だ。メイアは優秀な魔術師だが、彼女の攻撃ではヤマに傷一つ与えられない。

 何故、ヤマがメイアの制御から逃れたのか、より強大で禍々しい姿に変貌したのか、その理由はわからない。メイア自身が一番困惑しているのだろう。

 呪晶石も、その毒から生まれる呪晶獣も、人智を超えている。


「アウラ……」


 シラヌイは立ち上がり、アウラを捜した。

 幸い、彼女はすぐに見つかった。

 頭から血を流し、倒れている。

 シラヌイはアウラに駆け寄り、頭を動かさないよう、そっと頬に触れて、声をかけた。


「アウラ」


 アウラは目を開け、シラヌイを見た。


「シラヌイさん、無事だったんですね」


 アウラは淡い笑みを浮かべて、身を起こす。


「頭を打ったのでは?」

「大丈夫です」


 アウラは答えて、頭の傷に手をかざした。その手から発せられた冷気が、傷口を凍らせた。血が止まり、流れていた血も凍って、パラパラと剥がれ落ちた。

 シラヌイは笑う。妻を案じる気持ちは当然あるが、この危機的な状況に於いては、頼もしさが勝る。


「何か策はありますか?」

「正直、打つ手なしです」


 アウラに問われて、シラヌイは首を横に振った。


「ならもう、わたしたちに残された手は、一つしかありませんね」

「アウラ? それは……」

「シラヌイさんが考案した、不可能魔術です」


 シラヌイは息を呑んだ。


「シラヌイさんから理論を聞いて、ずっと考えていました。シラヌイさんとわたしのふたりでなら、不可能魔術も、不可能じゃなくなるんじゃないかって」

「…………」


 シラヌイが考案した不可能魔術を使うには、火の魔術と氷の魔術、二つの魔術に対する、極めて高い適性が必要になる。

 火と氷、属性的に相反する二つの適正を両方備えた人間は存在しない。ありえない適正が要求される魔術。故に、シラヌイが考案した件の魔術は、不可能魔術なのだ。

 しかし。

 シラヌイも考えたことはある。

 ひとりでは不可能でも、ふたりなら。

 緋眼を持つシラヌイと冰眼を持つアウラ。ふたりで力を合わせれば、あるいは、不可能を可能にできるのではないか。

 だが、それは机上の空論。希望的観測にすぎない。


「分の悪い賭けになります。失敗すれば……いえ、成功したとしても、命の保証はない」

「あなたと初めて見えたあの時から、戦いで果てる覚悟はできています」


 アウラの表情は穏やかだった。

 シラヌイは頷く。


「……私も覚悟を決めましょう。アウラ」

「はい」


 シラヌイは地を蹴り、一際大きな氷塊の上に立った。アウラが並び立つ。

 ヤマはさらに変態を遂げていた。腕の数が増え、足の数も増え、頭も数までもが増え、巨大化し続けている。

 ヤマ自身にさえ、もはや自らの変態を制御できていないように見える。


闇黒球ダーク・ボール!」

腐食波ロトン・ブラスト!」

黒き血の洗礼ブラック・ブラッド!」


 そのヤマに、メイアが懸命に魔術をぶつけているが、やはり、効いてはいない。

 ヤマは、もぞもぞと地を這い、たまに腕を振るう程度で、それ以上の攻撃はしていない。身体が大きく重く、そして歪になりすぎて、まともに動けないのだ。

 シラヌイとアウラは見つめ合い、頷き合う。


「魔力を一つに」

「はい」


 魔力を練り上げながら、同調させていく。

 至難の業だが、ふたりにはそれを可能にする技術がある。

 魔力の同調は完璧だ。しかし、


(これでは、足りない……!)


 緋眼と冰眼。相反する二つの才を一つにするには、より深く、シラヌイとアウラが繋がらなければならない。

 心を、重ね合わさなければならない。


(どうする?)


 どうすれば、アウラと心を一つにできるのか。

 ふっ、とシラヌイは小さく苦笑する。


(何事も、頭で考えようとするのは、私の悪い癖だな)

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