四話 ⑦
赤い髪の男と黒髪の女が、怯んだ様子もなく、それどころか堂々と胸を張って、メイアを見上げている。
男が朱雀の頭領、女が白虎の頭領であることは明らかだった。目の色までは見て取れないが、この状況で、呪晶獣の前に堂々と立ちはだかれる人間は外にはいない。
「私はベルリ帝国宮廷魔術師長メイア=シェリーシュタイン! ミネルの丘を占拠した不届き者どもに、退去を命じる! 速やかに立ち去れば、命の保証はするが、どうか!」
メイアは細く小さな身体で、大きく声を張った。
「私はアウラリアの王、シラヌイ! この地は私が呪晶獣ヤマを討伐し、解放した。通例に則り、この地の所有権を主張する! 世界塔の承認も既に得ている!」
シラヌイと名乗った赤い髪の男の言葉に、メイアはぎりっと奥歯を噛んだ。
(この土地は帝国の、アルフレド殿下のものだ! 盗っ人猛々しい!)
世界塔の承認など、知ったことではない。
「アウラリアには、ベルリ帝国に対し、友好の意思がある! 話し合いたい!」
「話すことなどない! 退去に応じないのであれば、排除するのみ!」
メイアは大きく振りかぶった杖を地上の男女に向けた。
その動きに倣うように、ヤマが大樹のような両腕を振りかぶり、二つの拳を、戦鎚の如く振り下ろす。
衝撃と轟音に、ミネルの丘が震えた。
戦いたくはないが、相手に和睦の意思がないのであればどうしようもない。
ベルリ帝国の宮廷魔術師長が女性であることは知っていたが、実際の彼女は、女性というよりも少女だった。しかし、魔術師の実力に年齢も性別も関係はない。事実、彼女は呪晶獣の死骸を操っている。
メイアと名乗った少女の使う死霊魔術は、対象を、ただ操るだけでなく強化する。
「アウラ!」
街に被害が及ばないよう、逆方向に敵を誘導しつつ、シラヌイは妻の名を叫んだ。
アウラは頷いて、足を止める。
「無慈悲なる夜の女王が天球の星々に告げる。地は廻らず、時は凍るだろう」
そして、彼女は胸の前で手を合わせ、呪文の詠唱に入った。
大魔術、
呪晶獣相手に、出し惜しみはしていられない。
「ヤマ! あの女に術を使わせるな!」
アウラの動きに気づいたメイアが命じ、ヤマの巨体がアウラに向かう。
「やらせはしない!
星々の瞬きの如き無数の光が、ヤマの巨体に降り注いで爆花を咲かせる。
「わあっ!」
爆音に交じって、メイアの悲鳴が聞こえた。
直撃はしていないはずだが、爆風で吹き飛ばされたのだろう。
ヤマは揺らいでさえいないが、それでも動きは一瞬止まった。
「
シラヌイは間髪入れずに術を放ち、ヤマの動きを封じる。
「一切の希望は砕け散る。恒星は闇に堕ちる。命よ、永久の眠りに沈め」
その間に、アウラが大魔術を完成させる。
「
あらゆる生命を凍てつかせる絶対の冷気が、ヤマを襲う。
大気が白く染まり、氷の精霊たちが荒ぶり叫ぶ。
それはまさに、氷雪魔術の極点。あの冷気に呑まれて、生きていられる生物が存在するはずもない。
しかし、敵は呪晶獣。この世界の理の外に属する異形。仮初めの生命を与えられて動いている今は、あらゆる意味で生き物とは呼べない。
「この世すべての紅よ、集え」
シラヌイは、
「紅は始原。紅は終焉。我が心の焦がれるままに、天を焦がし地を焦がせ」
そして、絶対の冷気がやむのと同時に、シラヌイは術を放った。
「
豪炎が、今度は大気を紅く染め上げた。
炎に全身を包まれたヤマが、片腕を振りかぶる。
その腕――左腕が、振り下ろされる過程で、粉々に砕け散った。
「バカな!」
悲鳴じみた声をあげたのは、メイアだ。ヤマから落とされた彼女は、呪晶石の陰に隠れ、戦況を見ていた。
シラヌイはアウラと顔を見合わせて、頷く。
(上手くいったか)
シラヌイとアウラは、ヤマが目の前にやってくるまでの間に、一つの戦法を考案していた。
ヤマには大魔術をただ当てても、一撃では大きな損傷は与えられない。
だが、くらわせる大魔術の順番を考えれば。
具体的には、まずアウラの大魔術で敵を可能な限り冷却し、次にシラヌイの大魔術で急激に熱することで、頑強な肉体の破壊を狙う。
これは、急速に冷却した鉱物を急激に熱すると壊れやすくなるという、物理現象を利用したものだ。
ぶっつけ本番。成功するという確証はなかったが、上手くいった。
「アウラ! 繰り返し、大魔術を!」
「は、はいっ!」
大魔術の連続使用には魔力の暴走の危険が伴うが、シラヌイの見立てでは、シラヌイ自身は九回、アウラなら十回までなら、魔力は暴走しない。無論、相当な消耗は覚悟しなければならないが。
シラヌイとアウラが呪文の詠唱体勢に入ったところで、突如、ヤマを包んでいた火が消えた。
(なんだ……⁉)
ヤマの全身には、無数の深い亀裂が生じていた。バラバラに砕け散る寸前といった感じだが、嫌な予感がした。
ずっと胸をざわつかせていた嫌な予感が、いよいよ明確な姿形を得て、目の前に現れようとしている。それがわかった。
ヤマの全身の亀裂から、見えざる力が噴き出した。
目には見えない、しかし禍々しい力がヤマを包み込み、その亀裂だらけの巨体に異変をもたらした。
亀裂が塞がり、消えていく。砕け散った左腕が、バキバキと音をたてて復元されていく。ただ、元に戻ったわけではない。砕ける前よりも一回り太くなっている。さらに、太くなった腕に釣り合うように上半身の筋肉が盛り上がり、左右の肩から新たな腕が一本ずつ、生え出た。
「何をした⁉」
シラヌイは呪晶石の陰に隠れているメイアに声を飛ばした。
「な、何もしていない! 私は何もしていない!」
メイアから裏返った声が返ってきた。
ヤマの変容は、なおも続いていた。頭は歪に膨れ上がり、腕と背中から、鉤状の棘が無数に伸びている。
あまりにも禍々しい姿。それは既に
「もうこれ以上、あれを動かすな! あれはもう、人の力で従わせられるものじゃない!」
「とっくに停止命令は出している! だが、駄目なんだ! 止まらないんだ!」
呪晶石の陰から転がり出てきたメイアは、ヤマに向けて杖を伸ばしていた。
杖の先の
「くっ……!」
何が起きているのか、シラヌイには正確なところはわからない。ただ、ヤマがメイアの死霊魔術の域を超えてしまったのだということは、わかる。
「仕掛けます!
詠唱を終えていたアウラが、大魔術を繰り出す。
絶対の冷気が荒れ狂う。
しかし。
ヤマの全身から、炎が噴き上がった。
冷気が炎に阻まれ、互いを打ち消し合う。
「そんな……!」
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