四話 ⑥
アウラがシラヌイの背後を指さした。
振り返ったシラヌイは、彼方の空を舞う赤い鳥の姿を目にした。朱雀だ。
外れたかに思えた嫌な予感が、胸の内で再び首をもたげるのを、シラヌイは感じていた。
「兄様! アウラさん!」
朱雀の背中から飛び降りたのは、ヒバリだった。
駆け寄ってくるヒバリの背後で、朱雀は火の粉に変わって消えた。
ヒバリが朱雀に乗ってこの場にやってきた。それは紛れもなく異常事態だった。
ヒバリは優秀な魔術師だが、火の上位精霊である朱雀を召喚するだけの力はない。朱雀の里で朱雀を召喚可能なのは、シラヌイの外には長老のカガリだけだ。
つまり、ヒバリはカガリが召喚した朱雀に乗ってここまで飛んできたということになる。しかし、召喚者であるカガリの姿はない。カガリが召喚した朱雀を、ヒバリが自らの力でどうにか使役して、アウラリアにたどり着いたのだ。
「大変だよ! ベルリ帝国の魔術師が、朱雀の里を攻撃してきたの!」
軍が、ではなく、魔術師が、とヒバリは言った。
「敵は、一人か?」
ヒバリは首を勢いよく横に振った。
「一人だけど、一人じゃないの!」
「魔獣を従えていたんだな?」
ヒバリは、首を、今度は勢いよく縦に振った。
ヒバリによると、女の魔術師が、十数体の魔獣を従えて朱雀の里に現れたという。
魔獣は、オーガ、ヒポグリフ、ガルム、ヒュドラといった、いずれも危険度中級以上のものばかり。中でも九つの首を持つ大蛇、ヒュドラの危険度は上級で、猛毒のは、村一つすら容易に滅ぼす。
迎え撃ったのは、長老のカガリ、副頭のヒバリ、朱雀の里を訪れていた白虎の副頭ブランの三人。
三人は魔獣の群れを圧倒したが、魔獣は火だるまになろうと全身を氷の槍で貫かれようとおかまいなしに向かってきた。
魔獣たちが
カガリはヒバリとブランに、敵を灰になるまで焼き尽くすか、粉々に砕くように命じた。
ヒバリとブランは懸命に魔獣と戦った。その間に、カガリは女の魔術師に戦いを挑んだという。
「その女は、ベルリの宮廷魔術師長だな」
「うん。そう名乗ってた」
カガリと女の戦いは、ヒバリの目には互角に見えたという。しかし、里の中の戦闘では、カガリは実力を発揮しきれない。規模の大きな魔術を使えば、里に被害が出てしまうからだ。
さらに、ヒュドラが厄介だった。ヒバリとブランだけではヒュドラを仕留められず、カガリはヒバリとブランを助けるために、敵に背中をさらす羽目になった。
「もうダメ! 長老がやられちゃう! って思ったよ。でも、相手の魔術師は長老を攻撃するんじゃなくて、裏山のほうに走っていったの」
「裏山? まさか……!」
ヒバリの話を聞きながら、シラヌイは敵の目的が見えずに困惑していた。
が、一つの可能性に思い至って、背筋に冷たいものが走った。
裏山には、今、あるものが安置されている。それは一月半前、アウラリアから朱雀の里まで運ばれてきたものだった。
呪晶獣ヤマの死骸だ。
ミネルの丘での戦いの後、シラヌイはヤマの死骸をどうするか、という問題に頭を悩ませることになった。
燃やしてしまいたかったが、呪晶獣の肉体は死んでいても変わらず頑強だった。並の火力では傷一つつけられない。大魔術ならある程度は焼けるが、焼き尽くすには何度も何度も大魔術を撃ち込まなければならない。死体一つ処理するのに、さすがにそれは度が過ぎている。地形も変わってしまう。
ならば、穴を掘って埋めてしまえばいい。それが一番簡単な解決策ではあるのだが、シラヌイはある欲を抱いてしまった。呪晶獣を詳しく調べてみたいという欲だ。それは、魔術を極めようとする者であれば、抱かずにはいられない欲だった。ヤマの骸を朱雀の里に運び、当面の間はそこで保管するというシラヌイの提案に、アウラは反対しなかった。
「敵の狙いは、ヤマの骸か!」
シラヌイが声をあげた直後、地が震えた。
初めは小さく、少しの間を置いて、初めよりも強く、重く。
近づいてくる。地を震わせるほどに重く巨大な何かが。
彼方に、それが見えた。
見覚えのある輪郭。しかしそれは、シラヌイの記憶にあるよりも、一回りも二回りも大きい。
「長老が、兄様に伝えろって」
ヒバリが震えた声で言った。
「ベルリ帝国の死霊魔術師が呪晶獣を蘇らせた。敵の狙いはアウラリアだ。今すぐ逃げろ」
震動が、さらに強く大きくなる。
(長老。すみません)
シラヌイは深呼吸を一つ。心の中で、カガリに詫びる。
(私は、アウラリアを捨てて逃げるわけにはいかない)
ヒバリの肩に手を置いて、シラヌイは言う。
「おまえは城にいる皆を避難させろ」
ヒバリは息を呑んだ。
「……! 兄様は、逃げないの?」
「王が国を守らずにどうする」
「で、でもっ!」
「案ずるな。私は一人ではない」
シラヌイは彼女を振り返る。
最大の宿敵にして、最愛の妻にして、最強の戦友を。
「アウラ。共に戦ってほしい。あなたの力が必要だ」
アウラは微笑んで頷く。
「はい。どこまでも、あなたと共に」
シラヌイは笑みを返し、ヒバリの背中を押す。
「いけ。皆を頼む」
ヒバリは目に涙を浮かべ、
「死んだら許さないから! アウラさん、兄をお願いします!」
そう言い残し、走り去った。
シラヌイとアウラは並び立ち、敵を待つ。
ここまでは、上手く事が運んでいる。
呪晶獣ヤマの肩の上で、メイア・シェリーシュタインはここまでを振り返る。
朱雀の頭領をおびき出し、白虎の頭領と引き離して一時的に戦力を分断する。これは上手くいった。しかし、こちらはあくまでも本命から目を逸らすための陽動。
本命は、初めからヤマの骸だ。
ヤマの骸が朱雀の里に運ばれていることは、斥候から報告を受けていた。
ベルリ帝国が過去に幾度となく討伐隊を編成して挑んでも歯が立たなかった呪晶獣ヤマを討ってしまった精霊眼の魔術師たち。そんな途轍もない化け物に真正面から戦いを仕掛けるのは、愚の骨頂だ。
化け物の相手は、化け物にしてもらうしかない。しかしこれは、メイアにとっても大博打だった。
。
死体に仮初めの生命を与え、操る、死霊魔術の本領にして秘奥。
メイアはこの術で、数多の死せる魔獣を操ってきた。ヒュドラのような大型の魔獣さえ、難なく使役できる。
しかし、呪晶獣に死霊魔術が通じるかを試したことはなかった。
呪晶獣はこの世の理から外れたような生き物だが、それでも生き物である以上、操れない道理はない。
そう腹を括って試した
「はは、ははは……!」
ヤマの歩みが地を揺らす度に、衝撃でずり落ちそうになる帽子を押さえつつ、メイアは笑った。
帽子を押さえる手は、瘧のように震えている。
怖かった。自らが使役している骸が、怖くてたまらなかった。
メイアは今、魔力でヤマと繋がっている。ヤマの巨体に秘められた力の強大さ、異質さに、怯えずにはいられない。
同時に、この化け物ならば、相手が何者であろうと勝てるという無敵感に、メイアは支配されていた。
ミネルの丘が見えてきた。
忌まわしき呪晶石。その向こうには、帝国が築いた街と、白亜の城。
そして、呪晶石の傍には、人影が二つ。
呪晶石の前でヤマに足を止めさせたメイアは、帽子のつばを持ち上げて顔をさらしつつ、人影を見下ろす。
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