四話 ⑤
悲鳴じみた声をあげたのは、レイルだ。
「どれだけ高い耐火能力を持っていたとしても、無敵でさえなければ、私に燃やせないものはない」
シラヌイは緋眼を使者たちに向ける。
レイルは顔を引きつらせ、ウードは腰を抜かしていた。
(これで、終わりなのか?)
シラヌイは眉根を寄せた。
シラヌイを騙し討ちにするつもりだったのだろうが、魔獣一匹というのは、戦力としてはずいぶん乏しい。
「こ、これで終わりだと思うなよ!」
ウードが、尻餅をついた格好のまま叫んだ。
直後、バジリスクが後ろ足だけで立ち上がった。その巨体は依然として炎に包まれている。苦しんでのたうち回っているのではない。
全身を焼かれながらも大きく口を開けて、バジリスクは明らかに攻撃の態勢に入っていた。
「
バジリスクの口から吐き出された大量の石化毒液が、地面から噴き上がった炎に衝突して、蒸発する。
「なに……⁉」
石化毒液の量の多さに、シラヌイは驚かされた。巨大なバジリスクだ。身体が大きい分、毒液の量が多くてもおかしくはないが、それにしても多すぎる。
蒸発させはしたが、炎の壁も消されてしまった。
気化した毒液が霧のように立ちこめる。
(まずい……!)
シラヌイは蒸気を吸い込まないよう腕で口を覆いつつ、
「
目の前に火柱を生み出し、その中に飛び込んだ。
炎で気化した毒液から身を守りつつ、バジリスクを睨む。
シラヌイの火は、バジリスクの皮膚を焼き肉を焼き、骨にさえ達しているはずだ。たしかな手応えがある。実際に、肉の焦げる臭いが鼻をついている。しかし、バジリスクは死ぬことなく、毒液を再び吐き出そうと口を開いている。
「
炎の中で、シラヌイはさらに炎を放つ。
網状に広がった炎が、まさに投網の如くバジリスクに絡みつき、超高熱で肉を、骨を、断ち切る。
シラヌイは軽く手を払って、自らを包む火柱を消した。石化毒液の霧は既に消え、空気は揺らめきつつも清浄さを取り戻していた。
シラヌイはバジリスクを見やる。
バラバラに切り刻まれ、燃えながらも、バジリスクはまだ動いていた。
「これは……そういうことか」
シラヌイは理解する。
死なないのではない。このバジリスクは、初めから死んでいたのだ。
「死霊魔術」
死んだ生き物に仮初めの生命を与え、操る高等魔術。
魔術には大きく分けて三つの系統がある。
精霊の力を借りて元素を操る精霊魔術。そして、物理法則を一時的に変えることで元素を操る理魔術。この二系統は、元素を操るという結果は共通しているが、アプローチが違う。
もう一つは、神の力を借りて奇跡を起こす神聖魔術。
死霊魔術は、この三つのどの系統にも属していない特殊な魔術だ。その特殊性故に、修得は難しく、使い手は極端に少ないという。
ベルリ帝国に死霊魔術の使い手がいるとすれば、
(宮廷魔術師長か)
賢者級の実力という噂は聞いていたが、死霊魔術の使い手だとすると想定以上に厄介な相手になることは必定だった。
今戦ったバジリスクが並外れて巨大だったのも、死霊魔術の影響によるものと考えるべきだろう。
バラバラになったバジリスクは、いよいよ燃え尽きて灰になった。
シラヌイは目を閉じ、死してなお戦うことを強いられた哀れな魔獣に、短い黙祷を捧げた。
「さて……」
シラヌイはふたりの使者を捜した。問い質したいことが多々あったのだが、彼らは戦いの場に背を向けた格好で石化していた。気化した石化毒液の危険性に気づいて逃げ出そうとしたが、間に合わなかったのだろう。
「すまないが、ひとまず放置させてもらう」
バジリスクの毒液で石化した人間を戻す方法はないわけではないが、様々な薬品と時間が必要になる。今すぐは助けてやれない。
シラヌイは石化した男たちに背を向け、
「朱雀召喚!」
火の上位精霊を顕現させた。
朱雀の背に飛び乗って、シラヌイは服の胸元を握りしめた。
(嫌な予感がする……)
アウラが無事であることを疑ってはいない。罠の可能性を疑いつつもシラヌイが一人でここに来たのは、アウラを絶対的に信頼しているからだ。
シラヌイが百一度戦い、百度引き分けた最強の魔術師。今のアウラは正真正銘の賢者だ。ベルリの宮廷魔術師長が賢者級の実力者だとしても、アウラが負けることはありえない。そうは思っていても、やはり心配だった。
「翔べ、朱雀。稲妻よりも疾く、空を駆けろ」
応えて、朱雀は全速力で空を駆けた。
雲を抜けた先に、西日が目に染みた。
眩しさと強風に目を細めつつも、シラヌイは天に向かって聳える呪晶石を見た。
アウラリアだ。日没前に帰ってくることができた。
朱雀の高度を、ほとんど急降下といっていい勢いで下げ、その背中から飛び降りる。
主人を目的地まで送り届けた炎の鳥は、再び空高く舞い上がり、消えた。
シラヌイが降り立ったのは、街の入り口。空の上からは街に異変はないように見えていたが、
「これは……」
あたりを見回し、シラヌイは異変に気づく。
大小、無数の氷塊が転がっていた。
「シラヌイさん!」
聞き慣れた声に、聞きたかった声で名前を呼ばれて、シラヌイは顔を向ける。
駆けてくる、アウラの姿が見えた。
「アウラ!」
「シラヌイさん!」
全身で抱きついてきた妻を、全身で受け止める。
抱擁を交わしつつ、シラヌイはアウラに怪我がないかを確認した。掠り傷一つ負っている様子はないが、戦闘があったことは、転がる氷塊が物語っている。
「ベルリ帝国が攻めてきたのですね?」
「はい。十人ほどの兵と、オーガが十体」
オーガは食人鬼とも称される、巨人型の魔獣だ。強靱な肉体そのものを武器としており、拳の一撃は岩をも砕き、硬い皮膚は並の刀剣であれば弾かれてしまうという。山岳地帯に棲息しているが、時に人里に現れ、食人鬼の名のとおり人を食い殺す。
「オーガは、通常より巨大ではありませんでしたか?」
「……! はい。オーガは白虎の里にも現れたことがあって、戦うのは初めてじゃないんです。でも、ベルリの兵が連れてきたオーガは、白虎の里に現れたものよりも、身体が大きかったように思います。力も強くて、それにとても頑丈で、驚きました。全身を凍らせて、砕いて、ようやくやっつけられたんです」
「やはり」
転がっている大小の氷塊は、十体分のオーガということか。
「あなたが戦ったオーガは、死霊魔術で仮初めの生命を与えられた、
シラヌイは帝都ではなく皇太子の別邸に案内されたこと。そこでバジリスクに襲われたこと。そのバジリスクが
「死霊魔術……実在していたんですね。でも、合点がいきました」
「街の皆は?」
「お城に避難しています。みんな無事です。安心してください。ベルリの兵士も、全員捕まえました。尋問しようとしていたところに、お城の窓からシラヌイさんの朱雀が見えて、走ってきたんです」
シラヌイは頷く。
アウラもアウラリアの民も無事だった。嫌な予感は当たらなかったわけだが、気になることはあった。
敵は、こちらの力を見誤っているのか。あるいは――。
「……!」
不意に、火の精霊のざわめきを感じて、シラヌイはハッと顔を上げた。
「シラヌイさん、あれを!」
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