四話 ④
ベルリ帝国は、かつては大陸の東側の大部分を支配していた大国だった。しかし、呪晶石災害が発生して以降、領地の多くを失って国力は衰退し、現在では大陸の北東部のみを支配するに留まっている。そんなベルリ帝国からすれば、大陸の西と南への足がかりとなるミネルの丘は喉から手が出るほど欲しい土地だろう。
アウラリアの王として、安易に土地を譲り渡すつもりはない。とはいえ、いたずらに敵対するつもりもない。
シラヌイが求めているのは友好と協調だ。
向こうからそれを求めてくるというのであれば、無下に断る理由はない。
「ご招待にあずかろう。私としても、皇太子殿下にご挨拶したい」
「シラヌイさん」
アウラが心配そうな声で言った。
「わたしも一緒に」
「奥方はご遠慮いただきたい」
髭面の男が、横柄に腕組みして言った。金髪の優男が、言葉を補う。
「あなた方は、あの呪晶獣ヤマを討伐せしめたほどの魔術師。そんな途方もない力を有する方を一度にふたりもお招きするのは、恐ろしいのです。どうか、ご理解いただきたく」
シラヌイは頷く。
「理解しよう。皇太子殿下には、私一人で会う」
「シラヌイさん……」
不安がるアウラの肩に手を置いて、「心配無用です」、シラヌイは小さく笑いかけた。
アウラリアからベルリ帝国の帝都ベルリウスまでは、馬の足で七日。朱雀を飛ばせば二日とかからないが、使者を置き去りにするわけにもいかない。
旅の準備を簡素に整えて、その日の昼前に、シラヌイはアウラリラを発った。
移動の手段は使者に合わせて馬だ。といっても、シラヌイの馬はただの馬ではない。
「
シラヌイはその身を炎で成す馬を魔術で生み出し、それを乗騎とした。
シラヌイが独自に編み出した魔術だった。燃える馬の姿をしているそれは、実際には火の下位精霊である
ふたりの使者は
シラヌイが呪晶獣を倒した魔術師だと知ってはいても、実際に実力の一端を目の当たりにすると驚かずにはいられなかったのだろう。
彼らはただの兵ではなく魔術師だ。魔力でわかる。帯剣してはいるが、いずれも儀礼用の細剣(レイピア)であることから、彼らの戦闘の手段が剣でないことが窺える。
金髪の優男はレイル、髭面の男はウードと名乗った。
移動中、ウードがシラヌイに話しかけてくることはほとんどなかった。たまに目が合うと厳めしい顔で睨めつけてくる。レイルのほうは度々話しかけてきたが、低姿勢なようでいて言葉の端々にシラヌイを化け物扱いするようなニュアンスが滲んでおり、シラヌイに対して良い感情を持っていないことは明らかだった。
アウラリアを発って三日目。シラヌイを先導していた使者たちは、帝都ベルリウスに続く街道を外れた。
「ベルリウスまでは街道を行くのが最短で安全な道筋では?」
シラヌイの問いに、金髪の優男レイルが答えた。
「実は、皇太子殿下は今、セシリア湖畔の別邸におられるのです。英雄殿はそちらにご案内するよう仰せつかっております」
髭面の男ウードが、続けて言った。
「ベルリウスに向かうとは一言も言っていないはずだが?」
たしかに、彼らは皇太子の許に案内するとは言ったが、目的地がベルリウスだとは言っていなかった。
「おまえのような化け物を、帝都に連れてゆけるものか」
ウードは言葉を選ばない。
(化け物か……)
化け物呼ばわりされていい気はしないが、シラヌイがその気になれば帝都を火の海にできるのも事実だった。
帝国でシラヌイに太刀打ちできる者がいるとすれば、宮廷魔術師長だろうか。
(ベルリ帝国の宮廷魔術師長は、賢者級の実力者だと聞いているが)
無論、シラヌイに帝国と敵対するつもりはない。今も、友好関係を築くために皇太子に会いに向かっているのだ。
街道を外れて一日、昼の前に、シラヌイたちはセシリア湖にたどり着いた。
湖畔には、白く大きな居館が見えた。
「あれが、皇太子殿下の別邸です」
セシリア湖を横目に、シラヌイは進む。
セシリア湖の湖面は雲を映すほどに透明度が高く、美しい。美しいが、シラヌイは嫌な気配を感じた。
居館の前まで案内されたシラヌイは、
ふたりの使者も、馬を下りていた。
「長旅、ご苦労様でした。英雄殿」
レイルが言った。
彼は黒みがかった金属製の鐘を手にしていた。それが何らかの魔術具であることは一目でわかった。
レイルは不敵な笑みを浮かべて鐘を鳴らす。
澄んだ金属音に続いて、ゴポゴポという水音が聞こえた。
シラヌイはセシリア湖に視線を向ける。湖面が泡立っていた。
泡立ちは激しさを増し、水中からそれが姿を現した。
頭が膨らんだ巨大な蛇だ。思考も感情も窺えない眼を見開いて、陸に上がってくる。
胴体からは、体躯に対して歪なほどに太い足が四つ生えていた。
無論、それはただの蛇でもなければ蜥蜴でもない。魔獣だ。
「バジリスクか」
先ほどから感じていた嫌な気配はこの魔獣のものか、と思う一方で、違和感もあった。
「さすがは英雄殿。魔獣にもお詳しいようだ」
「皇太子殿下はここにはいない。あんたには、ここでバジリスクの餌になってもらう」
シラヌイは首の後ろをさすりながら、
(やはり、こうなったか)
小さく嘆息した。
予想していた事態ではあった。ベルリからの使者がシラヌイだけを招待し、アウラの同行を認めなかったのは、ふたりを引き離すためだろう。
「やれ、バジリスク」
レイルが鐘を激しく鳴らすと、バジリスクが襲いかかってきた。
(あの鐘で操っているのか。魔獣を操るとなると、相当に難しい魔術のはずだが)
シラヌイは思考を巡らせながら、大きく跳び退いた。
バジリスクの初手は、その巨体を生かしたのしかかりだった。
地が震え、割れるほどの衝撃があった。
(バジリスクにしてはずいぶん巨大だな)
バジリスクは湿原に棲息する魔獣だ。人一人を丸呑みにできる程度の大きさはあるはずだが、目の前の個体は人一人どころか三人四人まとめて呑み込めそうなほどに巨大だ。
「
起き上がったバジリスクに、シラヌイの放った炎の矢が突き刺さる。
巨体が燃え上がる――ことはなかった。突き刺さったかに見えた炎の矢は、バジリスクの体皮を覆う粘液に阻まれて、消えてしまった。
「バカめ! バジリスクの耐火能力を侮ったな!」
ウードが歓声をあげた。
「侮ってはいないさ」
シラヌイは怒りも狼狽えもしない。
バジリスクの皮膚粘液が高い難燃性を持っていることは知っている。軽い攻撃で、実際にどの程度のものなのかもわかった。
バジリスクが首をもたげ、大きく口を開けた。
(石化毒液か)
バジリスクの吐く毒液は、浴びた生き物を石化させるという。生き物を石にして丸呑みにする。それがバジリスクの狩猟方法だ。
(させはしない。火の精霊よ)
シラヌイの周囲に無数の火球が浮かび上がった。その数、三十。
「
三十個の
炎の華が咲き乱れ、轟音が連鎖的に響き渡る。
バジリスクの巨体が、炎に呑まれて地に伏した。
「バジリスクが燃えるなんて!」
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