四話 ③

「これは好機なんです、殿下。かつての領地を取り戻したとなれば、あなたを侮る者たちを黙らせることもできましょう!」


 口走って、メイアは「しまった」と思った。


「……僕のため、ということか」


 アルフレドは勤勉で聡明だが身体が丈夫ではなく、昔は床に伏せっていることが多かった。ここ数年は健やかに過ごしてはいるのだが、貴族や官の中には、アルフレドが皇帝の座に着くことに対し不安を示し、アルフレドの二つ下の弟、マリクを次の皇帝に推挙する者もいた。

 皇太弟マリクはアルフレドとは対称的に幼少期から頑健で武勇にも優れ、武官からの支持を集めている。


(次の皇帝になるべきはアルフレド様だ!)


 アルフレドがミネルの丘を取り戻せば、大きな功績になる。皇太子を軽んじ、弟を支持する不届き者たちを黙らせることができる。

 しかし、アルフレドが荒事を好まないことを、メイアは誰よりも知っていた。

 もっと上手く説得するつもりだったのに、つい本心が口をついて出てしまった。


「そうです、アル! あなたのためです! ひいてはそれが帝国のためになると、私は信じています」


 アルフレドは目を閉じ、眉間に皺を寄せた。そして、しばしの沈黙の後に、


「……勝算は、あるんだね?」


 目を開け、言った。


「無論です」


 なにしろ相手は呪晶獣ヤマをも上回る化け物だ。無闇に兵を差し向けたところで、どうにかできる相手ではない。


「化け物には化け物をぶつけるまでです」

「……わかった。宮廷魔術師長メイア・シェリーシュタイン。皇太子が命じる。ミネルの丘を占拠した危険分子を排除せよ。我らが領地を取り戻せ」


 メイアは左手で作った握り拳を自分の胸に宛がい、深く頭を垂れた。


「このメイア。帝国と皇太子殿下に、必ずや勝利を」



(まだかまだかまだかまだかまだか)


 街外れの呪晶石の傍を、うろうろと落ち着きなく歩きながら、シラヌイはその時を待っていた。

 アウラと会える時を。

 世界塔の巫女グリグリから叱咤と祝福を受けてから数日。相変わらず、アウラとはすれ違いが続いていた。

 まったく会えていないわけではないが、一緒に過ごす時間が、圧倒的に足りていない。

 シラヌイには、それが耐えられなかった。

 できうることなら四六時中、アウラの美しい顔を眺めていたい。声を聞いていたい。ただただ一緒にいたい。そう思うほどに、シラヌイはアウラにぞっこんになっていた。

 会いたい。会えないのが辛くてもどかしい。

 アウラは白虎の里に保存食やら薬やらを取りに行っているが、予定では今日の昼前にはアウラリアに戻ってくることになっている。

 シラヌイは一つの決心をしていた。今日はもう、アウラをどこにも行かせない。ふたりの愛の巣たる城で、夜を共にする。子作りに励む。


(まだか)


 シラヌイは草原の彼方、地平線を睨む。

 ふと、大気に宿る精霊たちが、さざ波のようにかすかに揺れ動くのを感じた。


「来る……!」


 ややあって、地平線に影が見えた。

 初め小さな点だったそれは、次第に大きさを増し、輪郭が見て取れるまでになった。

 大型の獣、白虎だ。

 草原を駆ける白い虎の背に、待ち人の姿を認めたシラヌイは、


「アウラ!」


 待ち人の名を叫んで駆け出した。一瞬でも早く、アウラの顔が見たかった。


「シラヌイさん?」


 シラヌイに気づいたアウラが、白虎の速度を落とし、停止させた。


「わざわざ、出迎えに?」

「少しでも早くアウラに会いたくて、来てしまいました」

「まあ」


 アウラは白虎の背から下りて、シラヌイの前に立った。


「わたしも、シラヌイさんに早く会いたくて、白虎を急かしたんですよ」


 そして、屈託なく笑った。

 見たくてたまらなかった妻の笑顔を目の当たりにして、シラヌイは打ち震えた。


「アウラ……」


 会えたら話したいことはたくさんあったはずなのに、いざ目の前に本人がいると何も言葉が出てこない。


「不思議ですね」


 アウラが言う。


「ほんの数日会えなかっただけなのに、まるで何年かぶりみたいに思えてしまいます」

「ええ、本当に」


 アウラの言葉に、シラヌイは心から同意した。


「アウラ、今晩は……」

「お城に泊まりたいと思っています。シラヌイさんは?」

「私も、今晩は城に」

「よかった!」


 アウラはぽんと手を合わせた。


「なら、今夜はシラヌイさんにたくさん甘えられますね」

「は、はい。思う存分甘えてください。それで、その、私も……」

「はい。シラヌイさんも、わたしに甘えてください。わたしたちは夫婦ですから、いっぱい甘え合いましょう?」

「……っ!」


 シラヌイはアウラを今すぐに抱きしめたい衝動にかられた。


(抱きしめろ! 抱きしめていいんだ! 私たちは夫婦なのだから!)


 シラヌイは中途半端に持ち上げた手をわななかせる。


「ア、アウラ。抱きしめてもかまわないだろうか?」


 躊躇する必要はない、とわかっていながらも訊ねてしまう。それがシラヌイという男だった。


「はい。どうぞ」


 アウラはシラヌイを見上げ、微笑む。


「では、遠慮なく」


 抱きしめるべく、アウラの背中に手を回そうとしたその時、かすかな振動音がシラヌイの耳に届いた。

 音の聞こえたほうに、シラヌイは顔を向ける。アウラも同じほうを見た。

 遠くに二つの影が見えた。近づいてくる。

 馬だ、ということはすぐにわかった。それぞれ、背に人を乗せている。


「シラヌイさん、あれは……」


 シラヌイは眉間に皺を刻んだ。いい予感はしない。

 まっすぐ向かってきた二つの騎影は、シラヌイとアウラの前で停まった。

 旅人が使う馬ではない。明らかに軍用の馬だった。乗っているのはどちらも三十路前後の男。同じ隊服と、その上にマントを身につけている。マントには、伝説の神獣、竜を模した紋章が刺繍されている。ベルリ帝国の紋章だ。

 馬を下りた男たちは、半ば睨むような目でシラヌイとアウラを見た後、互いに顔を見合わせ、小さな声で短い言葉を交わした。


「緋眼だ」「女は冰眼」


 シラヌイの耳は、男たちの言葉をしっかり拾っていた。


「この地の呪晶獣を討伐した朱雀の頭領、並びに白虎の頭領とお見受けするが、相違ないか」


 男の一人、彫りの深い髭面の男が言った。


「先に名乗るのが礼儀ではないか」


 シラヌイの返答に、髭面の男は面白くなさそうに目許を歪めた。


「これは、失礼を」


 もう一人の、金髪の優男が一歩前に出て口を開いた。


「我々はベルリ帝国の使者。この地を解放した英雄を、お招きに上がりました」

「たしかに、私が朱雀の頭領シラヌイだ。彼女は白虎の頭領アウラ。私の妻でもある。この地の呪晶獣を討伐したのが私たちであることも間違いない。私を招いているというのは、どちらの御仁か」


 金髪の優男と髭面の男は再度顔を見合わせ、金髪の優男がシラヌイの問いに答えた。


「皇太子殿下が、ミネルの丘解放の英雄とお会いし、親交を深めたいと」


 皇太子。たしか、ベルリ帝国は皇帝が病床に伏せっており、皇太子が名代を務めているという噂を聞いたことがある。


(ベルリ帝国が接触を図ってきたか)


 予想していた事態ではあった。ミネルの丘が解放された以上、近隣国が黙っているはずもない。元々、ミネルの丘はベルリ帝国の領土だったのだから、最初に接触してきたのがベルリ帝国というのも当然ではあった。

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