四話 ②
「おぬしが妻にさえ手を出せぬ根性なしなのは事実じゃろがい。発破をかけてやったのじゃ。感謝するがいよい。くっくっくっ」
(やっぱり、からかってるだけじゃないか!)
シラヌイは心の中で再度抗議する。
「すみません、シラヌイ様。巫女の悪ふざけとわかってはいたのですが、つい、乗ってしまいました」
「リーリエ殿。もし、万が一、私がその気になっていたら、どうするつもりだったのです」
「あら。シラヌイ様がその気になっていただけるのでしたら、私はいつでも」
リーリエは再び装束の襟に手を掛ける。
「なりません! 決してその気にはなりませんから! 脱がないでください!」
「冗談です」
リーリエは邪気なく笑った。
(この女性には、こんな一面もあったのか)
底知れない女性だとは思っていたが、その認識を、シラヌイはさらに強くした。
「まあ、あれじゃ。大の男を説教するばかりでは忍びない。一つ、褒めてやろうかの。リーリエ」
「はい」
リーリエが、巫女を映す鏡を再び抱え持った。
「火の賢者、シラヌイよ」
尻餅をついた格好だったシラヌイは、立ち上がり、宙に映る巫女の姿の前で片膝をついた。
「よくぞ、呪晶獣より土地を取り戻してくれた」
「はっ」
シラヌイは深く頭を垂れた。
「しかも、国を作ってしまうとはな。些か驚かされたが、来るべき大災厄への備えとしては悪くない」
シラヌイが国を作った意図も、巫女にはお見通しらしい。
「しかし、ミネルの丘は肥沃な土地じゃ。そこに国を建てたとなれば、荒れ事の種にもなろう。呪晶石が飛来する以前より、人の最大の敵は人じゃ。努、忘れるでないぞ」
「心得ております」
「ならば、よい。国の名はなんという」
シラヌイは面を上げて、答える。
「アウラリアでございます」
「妻の名を冠したか。そこまで妻を想うておるなら、さっさと子を作れい」
「は、はい。必ずや」
うむ、と鷹揚に頷いて、巫女グリグリは言った。
「世界塔は、アウラリアの建国を祝福する」
魔女。
彼女はそう呼ばれていた。
畏怖の念に由来する呼び名ではあるが、侮蔑の意味合いを含んでもいることを、彼女は知っている。
メイア・シェリーシュタイン。十八歳。
彼女には、魔女の他にもう一つ、呼び名があった。そちらは歴とした肩書きだ。
ベルリ帝国。宮廷魔術師長。
自室にて、メイアは職務に赴くための準備を整える。
文官用の礼服の上に、マントを纏う。宮廷魔術師長に任命された際に、皇太子より贈られたそれは、黒を基調としつつも華美にはならない程度に装飾が施されている。美しさと威厳を兼ね備えてはいるのだが、メイアの体格には些か大きい。皇太子は採寸が合っていなかったことを詫び、作り直すと言ってくれたのだが、メイアはこれを固辞した。国費を無駄に使わせたくなかった、という思いもあるが、個人的な心情によるところが大きい。
灰色の長い髪を適当に束ね、帽子を被る。マントと同色の、つばの広い三角帽。こちらは亡き父であり先代の宮廷魔術師長からの贈り物だった。
最後に、先端に
胸を張って歩いても、体格に合っていないマントはどうしても裾を引きずってしまう。帽子もぶかぶか気味で、前が見えなくなることもしばしばだった。
メイアは小柄だった。肉付きも薄く、私服で街に出ると子供と間違われることも珍しくはない。
しかし、宮殿に於いては、すれ違う貴族も官吏も、皆、一様に怖れの色を表情に滲ませて、彼女に頭を垂れる。
誰もが、魔女を怖れている。
皇帝の執務室の前には、衛士が二人。メイアの姿に気づいた彼らは、恭しく一礼し、
「宮廷魔術師長がお見えです」
一人が、扉をノックして中に声をかけた。
「入れ」
中からそう返事があると、もう一人が扉を開け、メイアを促した。
メイアはずり落ちていた帽子を直し、入室した。
皇帝の執務室は、広くもなければ調度品も最低限のものしかない。華美よりも質実剛健を好む皇帝の人柄が反映されたものだ。
しかし今、机で書面に向き合っているのは、皇帝その人ではない。
「やあ、メイア」
書面から顔を上げた青年が、優しい声音でメイアの名を呼んだ。
「殿下。お知らせしたいことがあり、参じました」
「うん」
やわらかく頷いた青年の名は、アルフレド・ベルリ。ベルリ皇帝ザシオンの第一子にして皇太子である。年齢はメイアより一つ上の十九歳。全名はアルフレド・ウィリアム・フォン・ベルリ。
「聞かせておくれ」
メイアに向けられたまなざしは、優しい。
メイアに対してだけではない。彼は常に、誰に対しても優しい。貴族にも平民にも。女にも男にも。老人にも子供にも。
亡き皇妃に似た面差しは、佳麗。髪色は、こちらも母親に似たなめらかな金色。絵に描いたような王子様といった容貌と、容貌に見合ったやわらかな物腰は、貴族の娘たちや女官たちからは羨望の的になっている。その一方で、武官たちからは「女顔」「なよなよしている」と侮られていることを、メイアは知っている。
「ミネルの丘の呪晶獣ヤマが討伐されたという噂が、事実であることが確認されました」
「本当かい? 一体、誰が……」
「朱雀の民の頭領のようです」
「朱雀の民というと、たしかイーヴ山林で暮らしている火の魔術を得意とする部族だったね」
「はい。長く、イッサ氷霊地帯の白虎の民と抗争を続けていましたが、最近になって和睦したようです」
「つまり、今の頭領は長年続いていた対立に決着をつけたわけだね。たいしたものじゃないか」
「感心している場合ではありません!」
アルフレドの暢気とも言える物言いに、メイアは杖先で床を叩いた。
「今代の朱雀の頭領と白虎の頭領は、それぞれ精霊眼を持っているそうです。呪晶獣ヤマが討伐されたという事実から鑑みても、一軍以上の戦力を有した魔術師たちであることは疑いようがありません」
「精霊眼の持ち主は百年に一人現れるかどうか、といったほどに希有な存在だったはず。それが、同じ時代に二人も現れるなんて」
「彼らは、ミネルの丘に国を作ろうとしているようです」
「国?」
「斥候の報告によると、現時点ではまだ、五十人程度の集落のようですが、侮れません」
「しかし、彼らがミネルの丘を開放したのであれば、あの土地は彼らのものだ。国を作ったとしても――」
「甘い! 甘いです、殿下!」
メイアはアルフレドの言葉を遮って、彼の鼻先に杖を突きつけた。
宮廷魔術師長の立場にあるとはいえ、皇太子に対して無礼千万な行為だが、アルフレドとメイアの関係は、主従であるのと同時に幼なじみでもあった。
宮廷魔術師長であったメイアの父が、アルフレドの教育係も務めていたことから、幼い頃から同じ時間を過ごすことが多かったのだ。
「呪晶獣すら打ち倒すほどの力を持った魔術師が、我が国のかつての領地に国を建てたのですよ! これは、殿下に……いえ、帝国にとって、大きな脅威です!」
「……メイア。君は、何を考えているんだい?」
「彼らを排除します。脅威の芽は、早い内に摘むべきです」
アルフレドは両肘を机に立てて手を組んだ。
「……彼らは、呪晶獣から土地を開放してくれた英雄だ」
「歴史に詳しい殿下なら、英雄と称されながら侵略者となった者を数多知っているはずです」
「しかし……」
宮廷魔術師長の進言に、皇太子は難色を示している。
メイアは、退かない。
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