四話 ①
絵に描いたような青い空の下、シラヌイは眼前に聳える呪晶石を眺めていた。
天にまで届くほどに巨大なそれは、白い陽射しを浴びて輝いている。ただし、美しくはない。美しいとは到底思えない。ただただ嫌悪感だけがある。
(いつか、必ず消し去ってやるからな)
シラヌイは、朱雀の里の呪晶石に対して日々思っていたことを、ここ、アウラリアの呪晶石を前にしても思うのだった。
シラヌイが、アウラリア王国の建国を宣言してから一月。
開拓は、少しずつだが確実に進んでいた。
シラヌイは、朱雀と白虎、双方の民に諸々の説明を行い、移住の希望者を募った。
朱雀の里からは三十名。白虎の里からは二十名。合計五十名が手を挙げた。これは、シラヌイの予想を上回る数だった。
寒冷地で暮らしていた白虎の民には元々、新天地への移住を希望していた者が少なくなかった。一方、環境的に恵まれていた朱雀の民の中にも、里の外の世界に憧れを抱いていた者が少なからずいたのだった。多くが若者だ。
新天地に憧れていた彼らは、よく働いてくれている。
朱雀の里から食糧と物資を運び、家屋を修繕し、畑を耕す。城の修繕も始まっていた。
家屋が多く残っていたのは幸いだった。湖沼も多く、水に困ることもない。つくづく、良い土地を手に入れられたと思う。
困っていることがあるとすれば、アウラと一緒に過ごす時間が思うように取れていないことだった。
シラヌイには朱雀、アウラには白虎という、それぞれ優れたがある。その足を生かして、シラヌイとアウラは主に物資の搬送を担っているのだが、朱雀と白虎では速度も行路も異なるために、一緒にはいられないのだった。
今も、シラヌイがアウラリアに到着する少し前に、アウラは白虎を駆って朱雀の里へと向かったところだという。こうした入れ違いが、一月の間、続いていた。
一緒に時を過ごせなければ、当然、子作りにも至れない。
「せっかくの愛の巣が、これでは意味がない……」
ため息交じりに城を振り返ったシラヌイは、思わず、「うわっ!」と声をあげた。
人が立っていたのだ。
薄紅色の長い髪に黒いベールを被った、藍色の装束の女。
「リ、リーリエ殿」
「ご無沙汰しております、シラヌイ様」
世界塔の使者は、たおやかに一礼してみせた。
いつの間に背後に立たれていたのか、まったく気づけなかった。目の前にいる今も、まるで幽鬼のように気配がない。
「この度は、建国おめでとうございます」
「……! 耳が早いですね」
建国を宣言したといっても、今のところは朱雀の民と白虎の民に対してのみで、対外的な宣言は、まだ行ってはいない。にもかかわらず、世界塔はシラヌイが国を興したことを既に把握していた。
(さすが、世界塔といったところか)
なにしろ、世界塔は未来を予知する巫女を擁する組織だ。何をどこまで知っていたとしても不思議ではない。
「巫女様が、お祝いを述べたいと申しております」
言って、リーリエは腰帯から例の鏡を取り出し、鏡面を上に向けた。
中空の景色が揺らめいて、目を閉じた少女の姿が浮かび上がる。
大陸では珍しい金色の髪。ゆったりとした白い装束。丸い額が何かしらの明かりを受けて光っている。
「巫女様」
世界塔の巫女グリグリが、ゆっくりと目を開けた。
空色の瞳がシラヌイを捉える。
「なーにをやっとるんじゃ、おぬしは!」
「は、はい?」
「儂はおぬしに何を作れと命じた⁉ 子じゃ! 子を作れと命じたのじゃ! なのになんじゃ、おぬしは! 子ではなく、国を作ってどうする⁉」
「うぐっ」
開口一番、叱責された。
(話が違うじゃないですかっ!)
シラヌイはリーリエに目で抗議した。世界塔の使者は、特に悪びれた様子もなく、にっこりと笑顔を返してくる。
「何故に、まだ子ができておらぬのじゃ」
「こ、子というものは授かり物ですから。時間がかかることもあります」
「それは、せっせと子作りに励んでいる者の台詞じゃ。おぬしの場合、やることをやっておらぬじゃろうが」
「……! そ、そんなことまで把握されているのですか⁉」
「やはり、まだ手を出しておらなんだか」
「うぐっ」
カマをかけられたことに気づいて、シラヌイは呻いた。
「この根性なしめ。妻といたすのに、何を躊躇うことがある」
巫女は容赦がなかった。
「い、色々あるのです」
「ないわい」
「い、今も妻とはすれ違う時間が多く」
「まったく会えんわけでもなかろう。子作りなんて、ガッとぶち込んで、ビャッとぶちまけりゃええんじゃ。時間なんてかからんじゃろ」
「巫女、下品ですよ」
リーリエが巫女を諫める。
「ふん。世界の命運がかかっておるのじゃ。下品にもなる。して、おぬしは何をそんなに躊躇しておるのじゃ」
「そ、それは……。実は、妻は男女の営みに関する知識が乏しく、どうすれば子ができるのかもわかっていないのです。それで、私も――」
「痴れ者め! 恥を知れい!」
シラヌイを遮って、巫女が吠えた。
「自らの根性のなさを、妻のせいでするでないわ! 無垢な妻を俺色に染める。男の本懐じゃろがい。それができぬというのは、ただただ、おのれに根性がないだけじゃ!」
巫女はもう本当に容赦がなかった。
「結局、おぬしのような頭でっかちは、実践できておらぬことには二の足を踏んでしまうということじゃな」
「仰るとおりです……」
シラヌイはぐうの音も出ない。
世界塔の巫女とはいえ、見た目幼い少女に男としての不甲斐なさを攻め立てられるのは、なかなかにくるものがある。
「やむをえまい。リーリエ、相手をしてやれ」
「かしこまりました」
リーリエは地面に薄布を一枚敷くと、その上に巫女を映し出している鏡を置いた。
「? リーリエ殿、何を?」
「シラヌイ様」
リーリエはシラヌイに歩み寄りながら、自らの装束の襟に手を掛け、二の腕のあたりまで下ろして、胸元をはだけさせた。
「さあ。どうぞ。私で、子作りの練習を」
「いや! いやいやいやいやいや! 意味がわかりません!」
「未経験だから緊張するというのであれば、経験を積んでおけばよいのじゃ」
「シラヌイ様、遠慮なく」
リーリエは、さらに露出を高めながら歩み寄ってくる。
必死に顔を背けるシラヌイだが、視線だけが勝手に胸元にいってしまう。
肌の白さも艶も、胸に実った二つの果実のたわわさも、リーリエのそれはアウラに引けを取っていない。
「いけません、リーリエ殿! こんなことは、下品……そう、下品なことではないのですか⁉」
「男女が睦み合うことは、決して下品なことではありませんわ。ただ――」
後じさるシラヌイだったが、リーリエはふわりとした足取りながらも、しかし一瞬で、懐に飛び込んできた。
そして、リーリエはシラヌイの耳元で囁いた。
「下品なのも、私は好きですよ」
温かな吐息に耳を撫でられたシラヌイは、
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
素っ頓狂な悲鳴をあげつつ後ろ方向に走り、呪晶石に後頭部と背中をぶつけた。
「私には妻が! 愛する妻がいるのです! どうか、どうかご勘弁を! 不貞、ダメ、絶対!」
「あらあら。少々刺激が強すぎたようですよ、巫女」
リーリエは、特に気を悪くした風もなく、それどころか楽しげに笑いつつ、着衣を整えた。
「まったく、根性のない奴じゃの。くっくっくっ」
巫女が呆れたような物言いをしつつも笑っているのに気づいて、シラヌイは自分がからかわれていたことを理解した。
「か、からかわないでくださいっ!」
ふん、と巫女グリグリは鼻を鳴らした。
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