三話 ⑥

「……でも、いいのでしょうか。ここを、わたしたちの土地にしてしまって。ここはたしか、ベルリ帝国の領土だったはず」


 アウラは胸の前で手を組み、面を伏せた。


「呪晶獣に支配された土地は、呪晶獣を討った者の土地になる。それが、呪晶石災害が始まって以来の、世界の不文律です。ヤマを討った私たちには、この土地に住む権利があります」

「それ、なら……」


 アウラはおずおずと顔を上げた。


「ここを、わたしたちの新しい里に」

「国です」


 シラヌイは言った。


「国を興すのです」


 アウラは目を丸くした。口もポカンと開いている。


「王妃になっていただけませんか?」

「王妃……? え? 王妃……?」

「姫でなく申し訳ないのですが、王の妻は王妃ということになってしまいますから」


 目を丸くしたまま、アウラは呆然と呟く。


「国……シラヌイさんが王様で、わたしが王妃……」

「ブランに教えてもらいました。あなたがお姫様に憧れていると」

「えっ?」


 アウラの反応に、シラヌイは小首を傾げる。


「……間違えていますか?」

「い、いえっ。お恥ずかしい話ではあるのですが、わたしは物語書を読むのが趣味で、特に『竜の国のアユリア』という物語が好きで、小さな頃から、何度も何度も読んでいます。アユリアという名前のお姫様が主人公のお話なんですけど、内気だけれど強い心を持ったアユリアがとても素敵で、魅力的で、わたしに名前が似ていることもあって、憧れていました」

「つまり、憧れの対象はアユリアという登場人物であって、お姫様になりたかったわけではないということでしょうか」

「お姫様になりたいと思ったことはありません。わたしはただただ、立派な頭領になって、みんなの期待に応えることだけを考えてきましたから」

「……そう、ですよね」


 それは、シラヌイも同じだった。緋眼を持って生まれた者の務めとして、立派な頭領になる。外の生き方を考えたことはなかった。


「でも、お姫様になりたいと思ったことはなくても、お城に住んでみたとは思ったんですよ」


 アウラは微苦笑を浮かべて、城を見た。そして、


「アユリアが暮らしていたお城は、遠目にも白く美しい、白亜の城なんです。だから、このお城を見た時、アユリアのお城みたい、って思いました」


 眩しそうに目を細めた。


「叶わないと思っていた夢がまた一つ、叶いました」


 シラヌイに向き直ったアウラの目には、涙が浮かんでいた。

 喜んでもらえたことに、シラヌイは安堵する。

 ようやく、夫として男として、妻のために、何かを一つ成せたように思う。


「うん……?」


 シラヌイはアウラの言葉を反芻し、引っかかりを覚えた。


「また、と言いましたか?」

「はい」

「私は何か、アウラの夢を叶えるようなことをしていたのでしょうか」

「それは、もちろん」


 アウラはシラヌイの胸に飛び込んで、言った。


「わたしを、あなたのお嫁さんにしてくれたことです」

「え……? し、しかし、それは……」

「絶対に叶わない夢だと思っていました。いいえ、あまりにも遠い夢だったから、自分がそんな願望を抱いていることすら、気づいていなかったんです。でも、あなたは叶えてくれた」


 アウラの細い腕に抱きしめられる。


「あなたはわたしに、たくさんのものをくれています」

「アウラ……」


 アウラの抱擁に、シラヌイも抱擁で応じた。


(そうか。私は、ちゃんとアウラの夫になれていたんだな)


 愛おしさが込み上げてくる。同時に、抱擁では足りないという思いも込み上げてきて、腕に力が入った。

 服越しに伝わってくるアウラの身体の温かさとやわらかさが、より生々しさを帯びた。

 アウラの口からは、「んっ……」と悩ましげな吐息が洩れた。


「い、痛かったですか?」

「いえ。シラヌイさんにこうして抱きしめられていると、頭も身体も熱くなってきて……声が出ちゃいました」


 アウラのその言葉に、シラヌイの理性は崩壊した。

 人は死に瀕すると生殖衝動が強くなるという。そう、書物で学んだ。

 呪晶獣という死の象徴のような存在と交戦した直後である自分は、かつてなく生殖衝動が強くなっている。ならば、理性を失ったとしても、それは致し方ないことだ、とシラヌイは心の中で自分に言い訳する。


「ア、アウラっ!」


 シラヌイはアウラを抱きかかえた。


「は、はいっ」

「私も、欲しいものがあります」

「な、なんでしょう」

「あなたです。私はあなたが欲しい。あなたの身も心も、全て」


 鼻息荒く、シラヌイは言った。

 アウラは顔を赤らめて、答えた。


「わたしの全部は、あなたのものです。どうか、あなたの望むままに」

「では、遠慮なく!」


 シラヌイはテラスから城内に入り、目についた部屋に飛び込んだ。

 立派なテーブルと椅子。そして、天蓋付きの寝台。壁も床も瀟洒に飾られている。城主か、あるいはその親族の寝室なのだろう。

 シラヌイは、一脚の椅子の埃を払って、アウラを座らせた。


「用意をするので、待っていてください」


 そして、シラヌイは寝台の準備に取りかかった。

 長い年月で、敷物の類はすっかり朽ちていたが、寝台そのものはしっかりしていた。敷物を片付け、寝台の埃を払う。

 必死だった。

 立派な城とはいえ初めてがこんな廃墟というのはいかがなものか、という思いもあったが、頭の片隅に追いやった。


「用意ができました! さあ、アウラ。最高の子作りをしましょう!」


 シラヌイは上着を脱ぎ捨てて上半身裸になった。アウラに歩み寄り、気づく。


「アウラ……?」


 椅子に腰掛けたアウラは、目を閉じ、すーすーと安らかな寝息をたてていた。


「な……っ!」


 シラヌイは愕然としつつも納得する。

 アウラは、暴走していたシラヌイの魔力を鎮めるために力を使い果たし、疲れ切っていたのだ。

 シラヌイはがっくりと膝から崩れた。

 息を吹き返した理性が、諦めろ、と訴えてくる。


(ああ、わかっている)


 と、心の声で答えたシラヌイは、アウラをそっと抱きかかえ、寝台に運んだ。

 アウラは目を覚まさない。すっかり寝入っていた。

 シラヌイは寝台に腰掛け、妻の寝顔を見つめる。

 あどけなく、無防備な寝顔だった。


「シラヌイさん……」


 アウラが寝言を口にした。


「愛して、います……」


 シラヌイは笑い、妻を起こさないよう、小声で返した。


「私もです。愛しています。アウラ」


 後日、シラヌイはカガリの屋敷に、朱雀と白虎、双方の重鎮を集めた。

 朱雀からは、シラヌイ、長老のカガリ、副頭のヒバリ。

 白虎からは、アウラ、長老のフロロ、副頭のブラン。

 カガリは着物をだらしなく着崩し、足を崩し、手には煙管。その隣には、フロロが姿勢良く正座している。

 カガリの対面にシラヌイが座し、アウラはその傍らにいる。

 ヒバリはシラヌイから見て左前に、ブランは右前にそれぞれ座していた。

 集った面々に、シラヌイはミネルの丘を支配していた呪晶獣を退治したこと、その土地に、朱雀と白虎、二つの民が、一つの民として生きていく国を作ろうと考えていることを伝えた。


「あっはっはっ! 子作りもまだだってのに国を作ろうってか! こいつぁ傑作だ!」


 カガリには大声で笑われ、


「坊やが王様か。偉くなったものだな」


 フロロには鼻で笑われたが、反対はされなかった。

 一方で、副頭のふたりは難色を示した。


「兄様、本気で言ってるの? ミネルの丘って、元はベルリ帝国の領土だったんでしょ? そこに国なんて作ったら、帝国が黙ってないんじゃ……」

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