三話 ③

 呪晶石が大きいほどに、呪晶獣も強くなるという。あくまでも傾向であって、絶対的な法則というわけではないらしいが、実際に、この地の呪晶獣は帝国の軍力を以てしても敵わなかった、強力な個体だ。

 シラヌイは神経を研ぎ澄ませつつ目を凝らす。


(――いた)


 呪晶石の向こうに、何か大きな生き物の影が見えた。

 呪晶獣には、呪晶石から遠くは離れないという性質があるが、これは好都合だ。探す手間が省けた。

 シラヌイは朱雀の高度を下げつつ加速した。

 一息に呪晶石との距離を詰め、傍らを掠めるように通り過ぎたところで、朱雀の背中を蹴って身を躍らせる。

 そして、シラヌイは、極彩色の柱の傍にいた異形に向けて、片手を振り下ろした。


「いけ、朱雀!」


 朱雀が急速に向きを変え、異形めがけて突進する。

 異形が緩慢に身じろぎする。遅い。朱雀は燃える嘴を異形に突き刺し、その身を炸裂させた。

 ミネルの丘に、巨大な炎の花が咲いた。

 朱雀は火の上位精霊。その身を成す炎は劫火にも等しい。大型の魔獣さえも、たちまち灰にするほどの火力を持つ。

 しかし。

 炎の華の中から、異形は平然と歩み出てきた。

 熱された巨体からはじゅうじゅうと白煙が上ってはいるが、焼けてはいない。


「これが、呪晶獣か」


 驚きはなかった。朱雀を以てしても大きな損傷を与えられないことは想定していた。

 冷静に、シラヌイは眼前の異形を注視する。

 上半身は人に近い。胸も腹も腕も、筋肉が異様に発達している。体毛はなく、皮膚は石膏のようなくすんだ白。頭部には三つの眼と口。口角は笑むように吊り上がっているが、歯は見えない。毛髪のない頭部には、それぞれ長さの異なる角のような突起が十数本。

 下半身は四足の獣。こちらは体毛に覆われているが、色は皮膚と同じ石膏の色。

 シラヌイの知識にある、どの魔獣とも異なる姿。

 呪晶獣の姿形は個体によって大きく異なる。元になった生物の姿が、ある程度は反映されるという話だが、ヤマの場合は半人半獣……該当する魔獣は複数思い当たるが、具体的にどれかまではわからない。

 背筋に、首筋に、掌に、嫌な汗が滲んでくる。恐怖心より生理的な嫌悪感が先に立つ。

 だからといって、怯みはしない。

 シラヌイは深呼吸とともに、魔力を練り上げる。


「我が名はシラヌイ。十三代、朱雀の頭領にして緋眼の賢者。参る」


 果たして、呪晶獣が人の言葉を理解しているのか。

 シラヌイの名乗り応えるかのように、ヤマと呼称される呪晶獣は、歯のない口を開き、咆哮を轟かせた。そして、跳んだ。

 不気味な巨体は、瞬時に、首をめいっぱい反らさなければ見えないほどの高度に到達した。


(なんという脚力だ……!)


 ヤマの獣のような下半身は、隆々とした上半身と比べると些か細く、全体として均整が取れていないように見えていたが、とんでもなかった。

 迎撃するか避けるか。シラヌイが選んだのは後者だった。

 大きく跳び退いた次の瞬間、シラヌイが立っていたその場所に、ヤマが降ってきた。

 まず四本の足が、追って振り下ろされた二つの拳が、地面を叩いた。

 凄まじい衝撃に、ミネルの丘が震えた。

 地が砕け、割れ、飛び散った無数の土塊が、投石の如く降ってくる。


火炎障壁ファイア・ウォール!」


 土塊は、シラヌイの正面に噴き上がった炎の壁に激突し、焼けて砂と化した。


「ふっ」


 細く短く息を吐いて、シラヌイは地面を蹴った。今度は跳び退くのではなく、炎の壁を突っ切って前に出た。


(――攻める!)


 呪晶獣は姿形だけでなく、能力も個体によって異なる。

 ヤマの能力の全容は把握に至っていないが、凄まじい腕力と脚力、耐久力は確認できた。

 地を割った腕力も脅威だが、より厄介なのは脚力だ。助走もつけずにあれだけの跳躍を見せたのだから、走り回られたら手に負えない。

 走らせないためにはどうするか。攻めて攻めて動きを封じる以外にはない。

 シラヌイは右手の人差し指と中指を天に向けた。二本の指の先――空中に、無数の白い光点が生まれた。

 その光点の一つ一つが、眩いほどの輝きを放ち始める。

 今が夜だったなら、それはまさしく夜空に煌めく星々に見えただろう。


星光華炎スターライト・エクスプロ―ジョン!」


 シラヌイは声を張るとともに天を差していた指をヤマに向けた。

 光点が、流星雨の如くヤマに降り注ぐ。

 振り仰いだヤマが一瞬身じろぎしたのは、眼が眩んだからだろうか。

 光点は次々とヤマの石膏色の巨体を捉え、炸裂した。

 星光華炎スターライト・エクスプロ―ジョンは、シラヌイが詠唱なしで繰り出せる魔術の中では、最も破壊力が高い。星光の一つ一つが、火炎球ファイアー・ボール十数個分の威力を持つ。

 本来は、大軍相手に広範囲にばら撒いて使用する術だが、今は全弾をヤマにぶつけた。

 爆発の轟音をかき消すように、ヤマが再び吠えた。


(効かないか)


 爆煙でヤマの姿は影しか見えないが、効いていないことはわかる。手応えがない。

 しかし、動きは止まっている。初撃の目的は果たした。


「紅は始原。紅は終焉。我が心の焦がれるままに、天を焦がし地を焦がせ」


 左右の掌を正面にかざし、緋眼を見開いて、シラヌイは力ある言葉を紡いだ。

 掌の先に、赤い光点が浮かび上がる。それは、先の攻撃で熱された空気を吸い込み膨れ上がっていく。


紅炎天焦クリムゾン・フレア!」


 赤く紅い巨大な火球が、ヤマの巨体を丸呑みにして、天に届く火柱と化す。

 アウラとの決闘のために編み出し、実際に使用した大魔術だ。あの時はアウラの大魔術に相殺されたが、今回は完全な形で発動した。

 天に届いた炎は広がり、青かった空を、紅く染めている。

 シラヌイは油断なく火柱を睨む。

 果たしてヤマは火柱の中からゆっくりと姿を現した。

 肉の焼ける臭いが鼻をついた。

 石膏色の皮膚は焼け、その下の肉も紅く焼けている。


「くっ……」


 シラヌイは歯噛みした。

 効いている。効いてはいるが、表面だけだ。

 ヤマの地を踏みしめる四本の足にも、隆々とした上半身にも、力が満ちている。

 やはり、硬い。紅炎天焦クリムゾン・フレアでも一撃で仕留められるとは思っていなかったが、皮膚と肉の表面を焼くのが精一杯とは。

 ヤマが歯のない口を丸く開いて、大きく息を吸い込んだ。


(くる……!)


 危険を察知するのと同時に、シラヌイの身体は動いていた。

 大きく横に跳んだシラヌイの傍らを、灼熱の奔流が通り過ぎた。

 ヤマが口から火を吐いたのだ。

 凄まじい熱気に、シラヌイは顔を歪める。

 緋眼を宿しているシラヌイが、火と熱で傷つくことはない。それでも戦慄せずにはいられないほどの炎だった。


(離れろ……!)


 さらに距離を取ろうとしたシラヌイだが、ヤマはそれを許してはくれなかった。

 巨体が、瞬時に目の前にまで迫った。――疾い。


火炎障壁ファイア・ウォール!」


 避けられない。シラヌイは魔術での防御を試みたが、ヤマの拳は炎の壁を易々と貫いた。

 大岩のような拳に打たれて、シラヌイは宙を舞った。

 一瞬、意識が飛んだために、咄嗟には魔術が使えない。頭の下に地面が迫る。

 どうにか右手で受け身を取って転がり、身を起こしたシラヌイは、


「……っ!」


 左腕に走った激痛に、呻いた。

 ヤマの拳を両腕を交差させて受けたが、左腕の骨が折れてしまったらしい。


「はあっ……はあっ……」


 俄に、呼吸が乱れ始めた。

 大魔術を行使した疲労もある。腕の痛みもある。だが、それ以上に、焦りがシラヌイの息を荒くしていた。

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