三話 ②

「……まさか、本当に城を建てるつもりですか?」


 ブランの問いに、シラヌイはこう答えた。


「アウラがそれを望むなら、叶えてみせよう」


 シラヌイには一つ、心当たりがあった。

 朱雀の里の北に、ミネルの丘、と呼ばれる丘陵地帯がある。

 そこはかつて、さらに北に帝都を構えるベルリ帝国の領土だった。

 街もあったが、四十年前に呪晶石が飛来し、住民は避難を強いられた。

 以来、ミネルの丘は死の大地と化し、そこに棲まう生き物は、呪晶獣ただ一体となっている。

 ベルリ帝国は過去に幾度か呪晶獣の討伐隊を派遣してはいたが、いずれも返り討ちに遭っていた。呪晶獣とはそれほどに厄介な怪物なのだ

 ミネルの丘に棲息している呪晶獣は特に大型で強力な個体とされており、ベルリ帝国はその呪晶獣をヤマと呼称していた。

 シラヌイは一度、ミネルの丘の呪晶獣――ヤマを見たことがある。

 遠巻きだったために、姿形をはっきりと確認したわけではないが、巨大さと、魔獣のそれとはまったく異なる禍々しい気配は、嫌というほどに伝わってきた。

 その際に、ミネルの丘に城のような立派な建物があることを、シラヌイは確認していた。領主の居城と思われる。シラヌイがミネルの丘を視察したのは三年前。城は今も残っているはずだ。


(あの城を、手に入れる)


 城だけではなく、街も。

 呪晶獣が支配する土地は、呪晶獣を討伐した者の土地になる。呪晶石災害が始まって以来の、この世界の不文律だ。


「私はこれから、ミネルの丘に向かいます」


 翌朝、シラヌイはアウラにそう告げた。


「えっ?」


 シラヌイの家の地下書庫で、書棚に並ぶ魔術書を眺めていたアウラは、背後からかけられた声に振り返り、小首を傾げた。


「ミネルの丘というと、北の……ですか?」

「はい」

「あそこはたしか、呪晶獣の棲息地域になっているはずですが……」

「はい。その呪晶獣を、討伐します」


 アウラが、殊更に大きく目を見開いた。


「呪晶獣を? ミネルの丘の呪晶獣は、ベルリ帝国軍でも太刀打ちできなかった強力な個体と聞いています」

「ええ。相当に手強いでしょうね」

「どうして、そんな」

「ミネルの丘を、私たちの土地にするためです。朱雀の民と白虎の民が共に暮らすには、朱雀の里は狭い。ここで、二つの選択肢があります。森を切り拓いて土地を広げるか、新たな土地を手に入れるか、です」


 アウラはきょとんとした顔で話を聞いている。シラヌイは続けた。


「二つの選択肢を、私は両方選びたいと考えています。森を切り拓く。しかし、これには限界がある。人が増えるのに、森から得られる恵みを減らしてしまっては、食料に余裕がなくなります。それに、白虎の民にとって、この地は故郷であり聖地。大きく手を入れることも嫌がる者もいるでしょう」

「それは、はい……」

「ですから、ミネルの丘を手に入れ、朱雀の民と白虎の民が共に暮らす、新たな土地にするのです。幸い、ミネルの丘には街があります。使える家屋も多く残っているでしょう」


 朱雀の民と白虎の民から、有志を募って移り住む。シラヌイはそう考えていた。


「わかり、ました」


 アウラは胸に手を当て、ふーっと息を吐いて、言った。


「わたしもお供します」


 アウラがそう言い出すことは予想できていた。シラヌイは首を横に振る。


「呪晶獣は、私一人で狩ります」

「ど、どうしてですかっ⁉」

「呪晶獣が、危険な敵だからです」

「だったら、尚更二人で戦うべきじゃないですか!」


 アウラの主張はもっともだった。シラヌイも、それはわかっている。


「朱雀の民のためにも白虎の民のためにも、私たち二人が揃って倒れるような事態だけは、避けなければなりません」

「シラヌイさんがいなくなったら、わたしたちの子は生まれません! 世界は滅びます! わたし一人が生き残ったって、意味がないんです! 承服できません!」


 アウラが正しい。ぐうの音も出ない。だから、シラヌイにはもうこうするしかなかった。


「後生です。私一人でいかせてください」


 シラヌイは深く頭を下げた。


「どうして……」


 シラヌイは答えず、ただ頭を下げ続けた。


「……ずるいです。そんなふうにお願いされたら、ダメって言えなくなっちゃいます」


 尚も頭を上げないシラヌイに、アウラが折れた。


「……必ず、生きて帰ってくるって約束できますか」

「約束、します」


 シラヌイは頭を上げ、アウラの目をまっすぐ見て答えた。


「絶対に、絶対に、無理はしないでくださいね」

「ありがとう、アウラ」


 心配させてしまっていることを申し訳なく思いつつ、シラヌイは一人、朱雀の里を発った。


 燃える翼が風を受けて、火の粉が舞う。

 召喚した朱雀の背に乗って、シラヌイはミネルの丘を目指していた。

 今回の件は、アウラ以外には誰も話していない。ヒバリにもカガリにも。

 シラヌイの、完全な独断だった。

 だが、これは、シラヌイにとって、成さねばならない大事だ。


(アウラ……)


 心配で曇ったアウラの顔が、目に焼きついている。


(結局、昨夜も子作りはできなかったな……)


 昨夜、アウラとブランはカガリの屋敷に泊まってもらった。シラヌイも泊まるつもりでいたが、押しかけてきた里の女たちが、女子会の二次会と称して夜中までアウラを囲んで騒ぎ続けたために、子作りに至れなかった。

 やはり、誰にも邪魔されずに子作りに励むためには、愛の巣たる家が要る。

 そして、それは、アウラに相応しい、アウラの望む家でなくてはならない。


(私は、力ずくでアウラを妻にしてしまった)


 アウラが嫌々結婚に応じたわけではないことは、わかっている。

 長年の宿敵だったシラヌイを、長年の宿敵だったからこそ信頼し、尊重し、一定の好意を抱いてくれているということは、わかっている。

 だからこそ、心苦しかった。

 シラヌイはまだ、アウラに何も与えられていない。

 全身全霊で彼女を愛し、幸せにしたいと思っている。その思いを、形にして伝えたい。

 形にするなら、大きなものがいい。

 城ならば、うってつけだ。

 お姫様に憧れていたというアウラを城に住まわせる。そこを、ふたりの愛の巣にする。


(これは、私の男としての意地であり、欲だ)


 だから、この戦いは、一人で勝たなければならない。

 朱雀の里からミネルの丘までの距離は、白虎の里までの距離とそう変わらない。山を二つ越えなければならないのも同じだ。人の足でも馬の足でもそれなりに険しい道程だが、朱雀なら半日とかからない。

 ミネルの丘が、見えてきた。

 ミネルは大陸の北東部に於いて信仰対象となっている女神の名だ。

 天の彼方より聖獣『竜』を伴ってこの世界に降り立ち、平穏と繁栄をもたらしたとされる女神ミネル。

 ミネルの丘は、女神が降り立った、まさにその場所とされている。いわば聖地だ。

 聖地に相応しく、ミネルの丘は美しい土地だった。鮮やかな緑が、煌めいてさえ見える。

 呪晶石の発する毒は、あらゆる生き物を殺す。植物も例外ではなく、ミネルの丘も一度は死の大地になったはずだが、毒の放出がやんでから三十年の時を経て、緑は蘇っていた。

 一番小高い場所、断崖の際に、白亜の建物が見えた。件の城だ。


(城は後回しだ。まずは、呪晶獣を討つ)


 シラヌイは視線を動かし、見つけた。

 城の西側に造られた街。その街の外れに聳え立つ、極彩色の柱を。

 ミネルの丘に突き立った呪晶石は、朱雀の里のそれよりも高く、太い。

 朱雀の里のそれを大樹とするなら、ミネルの丘に聳えるそれは、塔だ。

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