三話 ①

 朱雀の里の中央に、極彩色の柱が大樹のように聳え立っている。

 呪晶石。空の彼方より来たる災厄。人類の怨敵。

 朱雀の里のそれは既に毒の放出を終えて直接的に人に害を為すことはなくなってはいたが、忌まわしい存在であることに変わりはない。

 その呪晶石の頂に立って、シラヌイは里を見下ろしていた。

 緑豊かな美しい里だ。ただし、決して広くはない。

 シラヌイは腕を組んで思案する。

 白虎の民を全員受け入れるには、土地が足りない。

 土地を広げるには、森を切り開くか、山を削るかしかない。

 朱雀の民の中には、先祖から受け継いだ土地に手を入れることに難色を示す者もいるだろう。本音をいえば、里が変わっていくことに対する抵抗は、シラヌイの中にもある。しかし、二つの民が共存していく道を選んだからには、変化を受け入れていくしかない。難色を示す者には、根気よく説得を続ける。


(朱雀の里を広げるとして、それだけで足りるだろうか……)


 考えていると、呪晶石がかすかに揺れた。

 シラヌイは思案を中断し、視線を下に向けた。

 駆け上がってくる人影が見えた。

 呪晶石は、ほとんど垂直に立っている。傾斜は至って緩やかで、駆け上がってくることなど常人には無理だ。

 しかし、彼女は常人ではなかった。踏み出した足の下に氷の塊を作り出し、それを足場にして跳ぶ。その動きを繰り返して上ってきているのだ。

 あっと言う間に、彼女はシラヌイの前にやってきた。


「ここにいたんですね、シラヌイさん」

「アウラ」


 彼女――アウラは、シラヌイを見て微笑んだ。

 アウラは弟で副頭のブランを伴い、朱雀の里を訪れていた。

 視察と、朱雀の民との交流が目的だ。

 朱雀の民は、アウラを好意的に受け入れていた。男たちからは「とんでもない美人だ!」と持て囃され、女たちからは「朴念仁の頭領のお嫁さんになってくれた奇特な人」として、ある種の憐れみを向けられつつも、親しまれていた。

 先程も、シラヌイが里を案内していた最中、集まってきた女たちが、女子会と称して、アウラだけを連れていってしまった。

 一人残されたシラヌイは、この場所で思索に耽りつつ、アウラが解放されるのを待っていたのだった。


「女たちが、すみません。皆、あなたに興味があるようで」

「温かく受け入れていただいて、朱雀の里の方々には感謝しています。皆さん、本当に優しい方ばかりで」


 その言葉の後で、アウラは小さくげっぷをした。


「す、すみません。わたしったら、恥ずかしい……」


 シラヌイは苦笑する。


「あれこれと飲み食いさせられたのでしょう?」

「食事もお酒も、たくさんご馳走していただきました」


 アウラの顔がほんのり赤いのは、酒が入っているせいだろう。果実酒の甘い匂いが、ふわりと漂っている。


「朱雀の里は、本当に実りの多い土地なのですね。この土地を諦められなかったご先祖様の気持ちが、よくわかりました。民を寒さと飢えで死なせてしまうのは、頭領にとっては一番辛いことですから」


 シラヌイは頷く。


「ですが、争いの時代は終わりました。私たちが、二つの民が共に生きていく新たな時代を作っていかなければなりません」

「はい」

「長い道のりですが、その第一歩として、家を建てたいと思っています。私たちの家を」

「家……」

「私たちの結婚は、幸い、朱雀と白虎、双方の民に祝福されています」


 納得していない白虎の男たちに戦いを挑まれもしたが、結果として、彼らにもシラヌイがアウラの夫になることを認めてもらえた。


「私たちが一緒に暮らし、こっ、子を成すことで、二つの民が共に生きていけることを示すのです」

「一緒に、暮らす……」


 ただでさえ酒で赤くなっていたアウラの顔が、さらに赤みを増した。


「い、嫌ですか?」


 アウラはぶんぶんと激しく頭を振った。


「嫌だなんて、そんな! シラヌイさんと一緒に暮らせるなんて、それは、とても……とても素敵なことですっ」

「あ、ありがとうございます」


 子を成す、という目的がある以上、アウラが一緒に暮らすことを拒否はしないだろうとは思っていたが、前のめりに同意を示してくれたことは、ありがたく、嬉しかった。

 初夜では酒に酔って気を失い、白虎の里では温泉で湯あたりして気を失った。夫婦になってからこっち、情けない姿しか見せられていないが、愛想を尽かされてはいないようだ。


「それで、ですね。どんな家がいいか、アウラの希望を聞かせていただきたいのです」

「どんな家がいいか……ですか?」

「私たちの場合、大量の魔術書がありますから、それなりの広さは必要になるかと思うのですが、何か、他にあれば」

「んー……」


 長考の末に、アウラが出した答えは、


「ありません」


 だった。


「シラヌイさんと一緒に暮らせるだけで、わたしには十分ですから」

「そ、そうですか」


 嬉しい答えではあるものの、シラヌイは微妙に困った。

 妹のヒバリからは、「家を建てるなら、ちゃんとアウラさんの要望を聞かなきゃダメだよ」と言われていたし、元より、シラヌイもそう思っていた。しかし、肝心のアウラに要望がないとなると、どんな家にしたらいいものかわからない。


(書庫の多い家にするとして、それ以外にはどうしたものか……)


 シラヌイにしても、こういった家にしたいという、具体的なイメージはないのだった。

 だが、他ならぬ、アウラと暮らす家なのだ。彼女にとって幸せな場所にしなければならないという思いは、強くある。


「少し、考えてみます。戻りましょうか」

「あ、あのっ。お酒と人に酔ってしまったので、もう少し、ここにいていいでしょうか?」


 シラヌイは頷く。


「ここはいい風が吹いていますからね。酔いを覚ますにはちょうどいい」

「はい。それにここなら、シラヌイさんとふたりきりですから……」


 アウラが身を寄せてきた。シラヌイの腕に、アウラの肩が触れる。


(こ、これは……)


 肩を抱いてもいいのだろうか。とシラヌイは逡巡する。

 いいのだ。いいに決まっているのだ。自分たちは夫婦なのだから。

 シラヌイはアウラの肩を抱くべく持ち上げた手を、わなわなと震わせた。


(ぐ……!)


 二度、子作りに失敗したことで、アウラの身体に触れる心的な敷居が、殊更に高くなってしまっている。

 風に吹かれながら、シラヌイは持ち上げた手を、ただわなかかせた。


「姉が望む理想の家……ですか?」


 日が沈み、空の色が橙から群青に変わりつつある中、シラヌイはブランを捕まえ、質問していた。

 アウラはヒバリと夕食の準備をしている。


「ああ。本人に訊いたのだが、特にないと言われてしまった。弟の君に、心当たりはないだろうか」


 ブランは顎に手を運び、考え込む仕草をみせた。


「……城、ですかね」


 ややあって、ブランが出した答えが、それだった。


「姉の家は魔術書で埋め尽くされているのはシラヌイ様もご存じかと思いますが」

「ああ。蔵書量でいえば、私以上かもしれない」

「実は姉は物語書も愛読しています。お姫様を主人公にした作品が、特にお気に入りでしたね」

「それで、城か……」

「ええ。お姫様ってのは、城に住むものでしょう?」


 言って、ブランは鼻で笑った。


「姉のために、城を用意してくれるんですか? ちょっと大きめの屋敷を建てて、城だ、なんて言わないでくださいよ」


 ブランはどうやら、シラヌイに対する嫌がらせとして無理難題を提示しているらしい。

 しかし、アウラがお姫様に憧れているというのは、事実だろう。


「貴重な情報、感謝する」


 シラヌイの反応に、ブランは目をすがめた。

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