二話 ⑤
ノルドが術を編む時間を、リーフが肉弾戦で稼ぐつもりだ。
(悪くない判断だ)
体格に似合わず、リーフは素速い。シラヌイとの距離を瞬く間に詰め、拳を唸らせる。
「俺だって! 俺だって俺だって俺だってえええええっ!」
シラヌイはリーフの拳を右手で払いのけつつ、左の掌で、肉の余った顎を軽く叩いた。
「とう、りょう、と、結婚、した、かった……っ」
白目を剥いたリーフは、願望を口にしながら倒れた。
「冷たき嵐となり、吹き狂え!」
ノルドが詠唱を終えるのを待って、シラヌイは駆け出した。
「
シラヌイの前方に、吹雪が巻き起こった。
ただの吹雪ではない。拳大の氷が無数に飛び交っている。呑み込まれれば、凍えるだけではすまない。
シラヌイはそこに、真っ正面から突っ込んだ。
練り上げられた魔力は、魔術に対してある程度の抵抗力を持つ。
さらにシラヌイは、魔力そのものから熱を発することで、
「バカな……っ!」
驚きに目を見開いたノルドは、鳩尾を打たれて、そのまま白目を剥いた。
ゆっくり倒れ込んできたノルドを片腕で抱き止め、横たえて、シラヌイはヒバリを捕らえている巨漢を見た。
「おまえはどうする?」
「ひっ……ひいっ!」
悲鳴をあげて後じさった巨漢に、ブランが声を飛ばす。
「ヴント。手を離すなよ。手を離したらどううなるか、わかっているな?」
ブランの冷たい声と、声以上に冷たいまなざしに、ブントという名前らしい巨漢は、コクコクと頷いた。
「それでいい」
ブランが耳飾りを指で弄びながら、シラヌイの正面に立った。
「僕にも、稽古をつけていただけませんか?」
「……いいだろう」
ただでさえ冷たい空気が、さらに冷えていく。ブランの魔力の高まりに、氷の精霊たちが呼応している。
「あの四人はあなたに魔術を使わせることすらできなかった。白虎の男の代表として、せめて魔術を使わせてみせますよ! ――
無詠唱で氷の矢が放たれた。数は十本。アウラの三分の一ほどだが、これだけの数を、しかも無詠唱で撃てるのは、相当な技量だ。
(さすがは副頭といったところか)
シラヌイは、魔力を込めた拳で、迫る氷の矢をすべて叩き砕いた。
「
ブランは笑みを浮かべつつ、腰を深く落とし、構えた。
「
ブランが掲げた掌の上に、冷気を凝縮した白い球体が三つ、浮かび上がった。
「凍れ!」
ブランの怒濤の攻撃が始まった。
「
「
「
「
「
氷術だけでなく、風術をもブランは使ってきた。
風術は避けにくい。ただでさえ視認しにくい上に、氷術の合間に撃たれるとさらに見切るのが難しくなる。
が、目視に頼るのではなく、魔力と精霊の動きに留意すれば、避けられないということはない。次第に目も慣れてくる。
「
「
ブランの魔術は結局、シラヌイにかすりもしない。
「く……!」
ブランの顔からは疲労の色がはっきりと見て取れるようになっていた。術を編む速度も落ちている。
ブランは優秀な魔術師だ。一流といっていい。しかし、アウラには遠く及ばない。
「もう十分だろう」
「まだ、だ……!」
肩で息をしつつも、ブランはシラヌイを睨めつけてきた。
「姉さんに恋していない白虎の男は、一人もいない!」
そして、叫んだ。
「当然だろう! 姉さんの美しさに、目を奪われない男がいるものか! 心惹かれない男がいるものか! 誰もが姉さんを娶りたいと願いながら、それが叶わないもどかしさを抱えている! 何故か⁉」
「……アウラが、強いからだ」
「そうだ! 姉さんは強い! 強すぎて、釣り合う男がいないんだ。男たちは皆、自分では姉さんの夫になりえないという事実に打ちのめされながら、姉さんを娶れる男がいないことに安心していたんだ。そこに、あんたが現れた!」
ブランの魔力が、軋みをあげながら高まっていく。
「よりにもよって朱雀の頭領に! あんたはこの世で一番、姉さんと結ばれちゃいけない男だ! あんたは白虎の男たちに! 僕に! 二重の屈辱を与えたんだ! 許せるものか!」
「ブラン、君は」
アウラの夫になりたかったのか、という言葉を、シラヌイは呑み込んだ。
「このまま、あんたに魔術の一つも使わせずに負けたんじゃ、三重の屈辱だ! 僕にだって意地がある!」
場に満ちる氷の精霊たちが、ブランの魔力に当てられて悲鳴をあげているのが、シラヌイにもわかった。
「氷の精霊よ、我が呼び声に応えよ! 我が意に従え!」
これまで無詠唱で術を使ってきたブランが、詠唱を始めた。
(大魔術を使う気か)
シラヌイは浅く腰を落とし、呼吸を整える。
「雷の神よ、その手に剣を! 極圏の光を纏い、万物を切り裂け!」
氷の精霊たちの悲鳴が、いよいよ声として響き渡った。ブラン自身の限界を超えて練られた魔力に力ずくで従わせられて、苦しんでいるのだ。
「
ブランが天に掲げた両手から、赤、青、緑、三色が入り交じった光が噴き上がった。
ブランはそれを、巨大剣の如くシラヌイに向けて振り下ろす。
凄まじい破壊力を秘めていることは明白だった。しかも、ブランはその破壊力を制御しきれていない。地を打ち、炸裂すれば、地形が変わってしまうだろう。
シラヌイは双眸を見開き、迫る極光の巨大剣に向けて左右の手を伸ばし、十本の指で、真っ向から受け止めた。
指に込めた魔力で、ブランの魔力に干渉し、波長を合わせる。
一人一人、顔の形が違うように、魔力にも、人それぞれ固有の波長がある。それは先天的なものであり、基本的に、生涯変わることはない。
魔力の扱いに長けた魔術師であっても、自らの魔力の波長を変えられるものではない。
しかし、シラヌイには、限定的な条件下ではあるが、それができた。
相手の魔力に直接触れ、かつ、魔力の大きさ、強さに於いて、明確に勝っていた場合のみ、ほんの一瞬ではあるが、シラヌイは自らの魔力の波長を、相手のそれに同調させることができた。
「氷の精霊よ、我が意に従い――」
シラヌイは術を構成する氷の精霊たちに、術者は自分であると錯覚させた。そして、命じた。
「――散れ!」
極光の巨大剣が、澄んだ音を響かせて砕け散った。
「バカな! 大魔術を分解した……⁉」
ブランが驚きの声をあげ、膝から崩れた。
三色の燐光が煌めきながら降り注ぐ。それらは地に落ちると淡雪に変わって消えた。
「これが、朱雀の頭領の実力……次元が、違う……」
うなだれ、呆然と呟くブランの前に、シラヌイは立った。
「結局、僕たちは、あなたに魔術の一つさえ使わせることができなかった……」
シラヌイは片膝をついた。ブランと目線の高さを同じにして、言う。
「魔術は凶器だ。家族に凶器は向けられない」
「家族……?」
「以前に言った。私は、朱雀の民と白虎の民は、家族になれると信じている。それに、ブラン。君はアウラの弟だ。紛れもなく私の家族だ」
ブランは長く息を吐いて、顔を上げた。
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