二話 ④
ブランに先導されて、シラヌイは里外れの森に入った。
「この奥ですよ」
ふと、一本の木が目に入った。幹に、紙がナイフで貼り付けられている。
紙には何かしらの文字が書かれていたが、角度的に読み取ることはできなかった。
その木を境に、さらに森の奥に足を踏み入れたところで、嫌な気配がした。
「もう、すぐそこですよ」
ほどなくして、開けた場所に出た。
そして、そこには複数の人の姿があった。待ち構えていた、というべきか。
男が五人。髪の色と装束から白虎の民であるとわかる。一目でわかったことはもう一つ。全員が、それなりの手練れということだ。身体つきと目つき、何より練られた魔力が物語っている。
そして、男たちとは別に、もう一人少女がいた。――ヒバリだ。
ヒバリは、男たちの中で一番の巨漢に、後ろ手で捕らえられていた。
「んー! んーっ!」
ヒバリが叫ぶような声を発したが、口は布で塞がれており、言葉にはならなかった。
「なるほど」
と、シラヌイは呟いた。
「あれ? 驚かないんですか?」
振り返ったブランが小首を傾げた。
「想定していた事態だ。驚きはない」
「まあ、そうですよね。あなたは姉さんの宿敵だった人だ。愚鈍では困る」
ブランは事もなげに言った。
「あの、ヘイグという男もグルか」
「もちろん」
フェンリルが出た、と報せにきた男は、焦った様子の割に息も切らさず汗の一つもかいてはいなかった。湖から走ってきたわけではなかった。つまり、あれはアウラをシラヌイから引き離すための嘘だったということだ。
ブランがアウラの所在を訊ねてこなかったのも、アウラがフェンリルの対処に向かっていると知っていたからだ。
「私がアウラについて行くとは考えなかったのか」
「姉はああ見えて責任感の強い人ですから。一人で行くと思っていましたよ。実際にそうなった。でしょう?」
姉さんのことは僕が誰よりもわかっているんだ、とでも言いたげな口振りだった。
「ここに来る途中、木に紙が貼ってあるのを見た。あれは呪紙だな?」
「気づきましたか。目立たないように貼ったつもりだったんですけどね」
「呪紙の効果は、火の精霊の力を弱めるものか」
ブランは軽く目を瞠り、
「そこまでお見通しとは! 僕は少しあなたを侮っていたみたいですね」
ぱちぱちと拍手した。
「仰るとおり、火の精霊の力を弱める呪紙を、森の数箇所に貼っています。元々、氷の精霊の力が強く、相反する火の精霊の力は弱い土地ですから、さしものあなたも思うように魔術が使えないはずですよ」
「そうなるだろうな」
シラヌイは片手の人差し指を立て、その先に火を点そうとしたが、火は点かなかった。
火の精霊が、呼びかけに応えてくれない。まったく反応がないわけではないが、極めて弱い。
ヒバリが捕らわれたのも、一応は合点がいく。
シラヌイの反応に、ブランは笑みを消し、不快げに目許を歪めた。
「余裕ですね。状況が理解できていないわけでもないでしょうに」
「概ね理解してはいるつもりだが、一応、要求を聞かせてもらおうか」
「ベン、リーフ、ノルド、ラウム」
ブランの呼びかけに応えて、五人の男たちのうち、ヒバリを捕らえている巨漢以外の四人が、身構えた。
「あなたには彼ら四人と戦ってもらいます」
「何のために?」
「稽古をつけていただく……という名目でどうでしょうか?」
「頭領の屈辱を思い知れ!」
男の一人――濃い灰色の髪を逆立てた青年が、叫んだ。
「宿敵に負けた上に妻にされたんだ! これ以上の屈辱があるか!」
細身だが背高の男が、続けて叫んだ。
「俺たちの頭領が負けるはずがない! どんな卑怯な手を使ったんだ⁉ この赤目野郎!」
シラヌイは男たちを見回し、頷く。
「わかった。応じよう」
彼らの怒りはもっともだし、こういった事態は当然起こりうるものと予想も覚悟もしていた。
「だ、そうだ。おまえたち、存分に稽古をつけてもらえ」
言って、ブランは一歩下がった。代わるように、四人が前に出た。
びょう、と冷たい風が吹き抜けた。
それが合図であったかのように、男たちが動いた。
二人がシラヌイの右手に、残る二人が左手側に走る。
迷いのない動き。
「「「「氷の精霊よ、我が呼び声に応えよ!」」」」
男たちの声が重なる。
「冷たき矢となり、敵を貫け!
始動は同時でも、術の発動に至る時間には差があった。
最初に術を発動させたのは、右手に回った糸のように目の細い男だった。
男が突き出した掌の前に浮かび上がった三本の氷の矢が、シラヌイに向かって撃ち出される。
「槍よ! 極寒を纏いて奔れ! 彼方に突き立て!
一瞬遅れて、左手に回った背高の男の術が完成した。掲げた手の上に生じた氷の槍をつかみ、投げつける。
さらに一瞬遅れて、灰色の髪の青年が
(遅いな)
挟み撃ちではあるが、攻撃のタイミングにバラつきがある。無論、避けにくくするためにあえて攻撃のタイミングをずらすというのは定石ではあるが、彼らの場合は違う。ただ、練度の差で揃っていないだけだ。
迫る氷の矢を、槍を、冷気の塊を、シラヌイは難なくかわし、最初に術を発動させた、糸目の男に肉薄する。
「な……!」
目を見開いた糸目の男の鳩尾に、シラヌイは拳を突き入れた。
強打はしない。小突く程度に当てただけだが、シラヌイの魔力が男の魔力に干渉し、衝撃を増幅させることで、脳を揺らした。
目を見開いたまま、男はがっくりと両膝をつき、そのまま倒れた。
「やられた⁉」
「ベン!」
「ちくしょう!」
「嘘だろっ!」
残った三人とヒバリを捕まえている巨漢が、驚愕の声をあげた。
術を編む速度と魔力の練り上げ具合で、魔術師の技量は概ね推し量れる。
細身の男――ベンは、四人の中で一番速く術を編み、魔力もよく練られていた。ブランを除けば、この場にいる白虎の男たちの内で一番の実力者は彼だった、ということだ。
そのベンを、真っ先に倒した。多対一の戦いに於いて、相手方で一番の強者を最初に倒すのは、戦意を挫く最も有効な戦術だ。
「まだ、続けるか?」
シラヌイは男たちを見回し、低い声を出した。
背高の男と小太りの男は怯んで後ずさりしたが、灰色の髪を逆立てた青年は歯を食いしばりつつ前に出てきた。
「白虎の男をなめるなよ! 俺たちの頭領は、返してもらう!」
青年が魔力を昂ぶらせる。
「いい魔力だ。だが――」
シラヌイは浅い呼気とともに土を蹴った。
「氷の精れ――」
青年が呪文の詠唱を始めた時、シラヌイの姿は彼の背後にあった。
「遅い」
シラヌイは手刀で青年の首筋を軽く叩いた。
「――い……?」
青年は何が起きたのかもわからないまま、意識を絶たれてバタリと倒れた。
白目を剥いている青年を、シラヌイは静かに見下ろす。
魔力の強さはなかなかだが、練る速度がまだ遅い。魔力を練る速度は、術を編む速度に直結する。
「ラウムまで……」
「これが、朱雀の頭領の実力……」
背高の男と小太りの男は声を震わせつつも顔を見合わせ、
「覚悟を決めろよ、リーフ」
「あ、ああ! 俺だって白虎の男だ!」
構えた。
「氷の精霊よ、我が呼び声に応えよ」
背高の男――ノルドが呪文の詠唱に入る。同時に、小太りの男――リーフが、シラヌイに向かってきた。
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