二話 ②

 それは、当然の反応だった。怨敵である朱雀の頭領に、男たちが好意的であるはずがない。

 しかし。


「羨ましい……」「よくも俺たちの頭領を……!」「アウラ様と子作りしやがったんだよな、あの野郎」「あの巨乳を、あの尻を、好き放題しやがったのか……っ!」「俺の女房と交換してくれよぉ」「ちくしょうちくしょう! 俺もアウラ様と子作りしたかった……」「羨ましすぎて気持ち悪くなってきた……」


 ん? とシラヌイは眉間に皺を寄せた。

 男たちから敵愾心を向けられている。それは間違いない。間違いないのだが、シラヌイの想定とは些か違っていた。


「……もしかして、私は妬まれているのか?」

「もしかしなくても、おもいっきり妬まれてるよ。だって、アウラさん、ものすごい美人だもん。男の人たちからしたら、やっぱり面白くないんじゃない?」

「そうなるのか……」

「アウラさん、自分と結婚したがる男の人なんていないって言ってたけど、全然そんなことないよねぇ」

「そのようだな……」

「嬉しい?」

「なにがだ」

「男の人たちが妬むぐらいの美人をお嫁さんにしたんだよ? 優越感あるでしょ?」

「そんなものはない。彼らには申し訳なく思う」


 彼らからすれば、憧れの頭領が決闘に敗れた上に、怨敵の妻にされてしまったのだから、二重の意味で腹立たしいことだろう。

 石を投げつけられないだけマシだ、と思ったその時、背後から刺すような視線を感じて、シラヌイは振り向いた。

 人だかりの中から、何かが飛んできた。

 ひゅん! と鋭く空を切って飛来したそれを、シラヌイは人差し指一本で受け止めた。

 氷の礫だ。

 シラヌイの指に触れるや、それは瞬時に蒸発した。


「シラヌイさんっ!」


 シラヌイに半瞬遅れてアウラが、


「えっ? 兄様⁉」


 アウラから一瞬遅れてヒバリが、事態に気づいて声をあげた。


「大丈夫。小石が飛んできただけです」


 本当は小石ではなく氷の礫だった。団栗程度の大きさしかなかったが、矢のような速さだった。先も尖っていた。当たっていたら怪我ではすまなかった。


「誰かが悪戯で投げたのでしょう」

「いえ、氷の精霊に干渉する魔力を、ほんの一瞬ですが感じました。誰かの魔術です」


 事を荒立てたくなかったシラヌイは嘘をついたが、アウラにはお見通しだった。


「すみません。里のみんなには事情を説明して、わかってもらえたと思っていたのですが、シラヌイさんを良く思わない人もいるみたいで……」

「当然です。こればかりは時間がかかるでしょう」


 シラヌイがアウラの肩に手を置こうとしたその時、


「姉さん!」


 人だかりを掻き分けて、青年がシラヌイたちの前にやってきた。アウラの弟、ブランだ。


「ブラン! どこに行っていたの。一緒にシラヌイさんたちをお迎えしようって言ったのに」

「ごめん、姉さん。準備に手間取っちゃって」

「準備?」

「歓迎の準備さ」


 アウラにそう答えたブランは、シラヌイに目を向け、綺麗な顔に微笑みを浮かべた。


「シラヌイ様、ようこそ白虎の里へ」

「ブラン殿」

「殿は不要です。義理とはいえ、僕はあなたの弟になったんですから」

「では、ブラン。私のことも呼び捨てにしてほしい」


 ブランは片手を胸に添えつつ一礼した。


「僕のような若造に気を遣っていただいて、ありがとうございます。シラヌイ様(・・・・・)」


 表情は柔和。口調は慇懃。しかし、内心ではシラヌイを嫌っていることを、ブランは隠そうともしない。

 彼は白虎の副頭だ。朱雀の頭領であるシラヌイを、安易に受け入れられないのは当然だった。


「ヒバリさんも、ようこそ」

「よろしくね、ブランくん」


 ブランとヒバリ。副頭同士が、笑みと挨拶を交わす。


「……くん?」

「馴れ馴れしかったかな?」

「とんでもない。僕たちは年も近いし立場も同じだから、ヒバリさんとは親しくしたいと思っているんだ」

「うーん……」


 ヒバリは人差し指を頬に添え、首を浅く傾けた。


「あたしとブランくんの立場は、同じじゃないと思うよ?」

「えっ?」

「だって、決闘で勝ったのは兄様なんだから。あたしは勝った側で、ブランくんは負けた側。対等じゃないんだから、その辺はわきまえてほしいな」

「……っ」


 ヒバリのその言葉に、ブランの顔色が変わった。笑みは浮かべたままだが、口の端はひきつり、こめかみも震えている。


「ヒバリ! なんてことを言うんだ」

「もちろん、冗談だよっ」


 ヒバリはぺろりと舌を出し、自らの頭を拳で小突いてみせた。


「本気にしないでね、ブランくん。仲良くしてもらえたら嬉しいな!」

「は、はは。冗談。冗談かぁ。ヒバリさんは面白い人だなぁ」


 シラヌイは眉間を押さえた。

 ヒバリはシラヌイと同じように、朱雀の民と白虎の民の融和を望んでいる。そのヒバリが、ブランに対して煽るような言葉を口にしたのは、シラヌイへの敵意を隠さないブランへの牽制――と見せかけて、実際には、ブランの態度が気に食わないから一発かましてやった、といったところだろう。

 明るく人懐っこい性格のヒバリだが、それだけではない。火の魔術を得手とする朱雀の副頭らしい気性の激しさもしっかり持ち合わせている。


「ブランとヒバリさん、早速、打ち解けてくれたみたいですね」

「そ、そうですね……」


 ニコニコ顔のアウラに、シラヌイは乾いた笑いを返す。


「そうだ! あたしはブランくんに里を案内してもらうから、兄様はアウラさんに案内してもらいなよ」

「どうした? 急に」


 ヒバリは爪先立ちして、シラヌイに耳打ちした。


「アウラさんとふたりっきりにしてあげるって言ってるの」

「む……」


 ヒバリはシラヌイに片目をつむってみせると、跳ねるような足取りでブランに近づき、彼の手を取った。


「な、何を……」


 いきなり手を握られたブランは狼狽えたが、ヒバリはおかまいなしで、


「というわけで、ブランくん! 案内よろしくねっ」


 ブランの手を引いて、行ってしまった。


「勝手な奴だな……」


 シラヌイは渋面で後頭部を掻いた。


(彼とふたりにするのは、正直、不安だが……)


 先程の氷の礫。あれを撃ってきたのは、ブランかもしれないのだ。礫が飛んできた方向はブランがやってきた方向とは違っていたが、あれは魔術による攻撃だ。術者からある程度離れた位置に魔術を発生させることは、難しいことではない。

 だが、ヒバリなら、仮にブランに害意があったとしても上手くあしらえるだろうという信頼もある。


(まあ、問題はあるまい)


 自分を納得させて、シラヌイはアウラに手を差し出した。


「愚妹は気を利かせたつもりのようです。ふたりになってしまいましたが、案内をお願いできますか?」

「はいっ。喜んで」


 アウラは花のように微笑んで、シラヌイの手を両手で包んだ。


 アウラに案内されて白虎の里を一通り見て回った。

 この土地に暮らす白虎の民の数は、現在、アウラを含めて七十一人。シラヌイが抱えている朱雀の民は百三十三人なので、人口で比較するとおよそ半分ということになる。

 土地の広さでいえば、白虎の里と朱雀の里はそう変わらない。にもかかわらず人口に開きがあるのは、土地の生きやすさの違いだろう。

 白虎の里はお世辞にも豊かな土地とはいえない。白虎の人々は主に農業と狩猟で糧を得ているが、寒さが厳しくなる冬には、飢えと寒さで命を落とす者も少なくなかったという。

 これは、温暖で土地が豊かな朱雀の里にはない問題だ。

 白虎の民が故郷への帰還を切望していたのは、望郷の念によるものだけではなかったということだ。

 アウラは言った。

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