二話 ①

 目を閉じ、胸の前で手を合わせる。深く息を吐きながら、魔力を練り上げる。


(火の精霊よ)


 心の声での呼びかけに応えて、シラヌイの周囲に火の粉が舞った。

 シラヌイはゆっくりと目を開く。緋色の瞳――緋眼が赤みを増し、背後で炎が生じた。


「朱雀召喚」


 炎は逆巻き、膨れ上がって、巨鳥の姿形を成した。

 火の上位精霊――朱雀だ。

 朱雀は翼をたたんで、頭をシラヌイに差し出すように下げた。

 シラヌイは朱雀の頭を撫でつつ、隣を見た。


「よっと」


 妹のヒバリが、荷袋を肩に掛けて軽く地面を蹴り、朱雀の背に飛び乗った。

 シラヌイは頷いて振り返り、集まった朱雀の民たちを見回した。


「頭領、しっかり子作りしてきてくださいよ!」

「奥さんには、優しくするのよ!」

「子作りのコツが知りたかったら、教えるぜ、頭領!」

「ヒバリちゃん、頭領のこと、お願いね!」


 集まった朱雀の民の数は、二十名ほど。彼らの目的は見送りだ。

 シラヌイとアウラが夫婦となった夜から、十日。

 シラヌイが決闘に勝利し、アウラを妻としたことは、既に朱雀の民の知るところとなっていた。

 民はシラヌイの勝利を喜び、アウラとの結婚も概ね好意的に受け止めた。異を唱える者もまったくいなかったわけではなかったが、覚悟していたよりも、反発は少なかった。

 もちろん、それはシラヌイとアウラが子を成さなければ世界が滅ぶ、という、結婚を受け入れざるを得ない理由があるからだが、先々代の時分から民の血が流れていないというのも大きいとシラヌイは考えている。白虎の民を直接的に憎んでいる朱雀の民は、ほとんどいない。


「では、行ってくる。皆、留守を頼む」


 民に軽く手を振って、シラヌイは朱雀の背に乗った。

 シラヌイが前で、ヒバリが後ろだ。


「飛ぶぞ。しっかり掴まれ」

「だいじょーぶ。あたしだって、朱雀には乗り慣れてるんだから」


 軽口を叩きつつも、ヒバリはシラヌイの腰にしっかりと手を回し、身体を密着させてきた。


(舞え、朱雀)


 念じる。応えて、朱雀は翼を広げ、舞い上がった。

 全身で風を受けつつ、故郷を見下ろす。

 朱雀の里は、山麓の集落だ。

 里の南側に聳える山は四季を通じて実りを与えてくれる。水源にも恵まれている。広くはないが、美しく、豊かな土地だ。

 白虎の民がこの土地への帰還にこだわるのも当然だ、とシラヌイは思う。


「兄様! 白虎の里って、どんな所なんだろうね」


 ヒバリが、風音に負けないよう声を張って話しかけてきた。


「寒い土地だと聞いてはいるが」


 シラヌイが白虎の里について知っていることは多くなかった。


「我々は、白虎の里のことを深く知らなければならない」


 シラヌイがヒバリを伴い向かっている先は、白虎の里だった。

 目的は、視察だ。

 ヒバリが笑った。


「兄様、カッコつけてるけど、本当はアウラさんに会えるのが嬉しいんでしょ」

「ぐっ」


 シラヌイとアウラが正式に夫婦となったその翌日に、アウラは白虎の里に帰っていった。弟で副頭のブラン、長老のフロロと一緒に。

 白虎の民に、決闘の敗北と、シラヌイとアウラの結婚を報告するために。


「べ、別に思っていない」

「嬉しいって思っていいんだよ。ううん、思わなきゃダメ。十日ぶりに奥さんに会えるんだから。アウラさんに会ったら、会えて嬉しいって、ちゃんと言葉にして伝えるんだよ?」

「は、はい」


 アウラに会いたい。もちろん、シラヌイはそう思っていた。

 初夜での失敗を、どうにか早く取り返したい。

 極薄の夜着に身を包んだアウラの姿を思い出すと、血が沸騰しそうになる。あの美しく艶めかしい肢体を抱きしめないまま気を失ってしまったのは、男として一生の不覚だ。

 だが、そうした思いとは別に、アウラに、ただただ会いたいと思う。


(会いたいな、早く)


 シラヌイの思考に応えて、朱雀が速度を上げた。


「わっ」


 突然の加速に、ヒバリが驚きの声を発した。

 白虎の里までは山を二つ越えなければならない。山道は険しく、徒歩では軽く五日はかかるが、朱雀なら半日とかからない。

 二つの山を越えた先に、雪化粧を施された三つ目の山が見えてきた。白虎の里はその麓にある。

 シラヌイは朱雀の高度を下げ、里外れの湖のほとりに着地させた。

 火の上位精霊たる巨鳥は、シラヌイとヒバリを下ろすと、その身を火の粉に変えて消えた。

 シラヌイは白い息を一つ吐いて、空を見上げる。

 晴れてはいるが、小雪がちらついている。真冬のように、とまではいかないものの、空気が冷たい。


「話しには聞いてたけど、白虎の里って寒いんだねー」


 ヒバリが肩を抱いてぶるっと身震いした。


「氷の精霊の力が強く働いている土地らしいからな」


 暦でいえば、今は初夏だ。初夏でも雪が舞うような気候ということは、真冬ともなると相当に厳しい寒さになるのだろうということは想像に難くなかった。

 シラヌイとヒバリはそれぞれ用意していた上着を纏って、白虎の里へ向かった。


「シラヌイさん! ヒバリさんも!」


 里の入り口では、アウラが出迎えてくれた。


「アウラ!」

「シラヌイさんっ!」


 駆け寄ってきたアウラが、そのままシラヌイの胸に飛び込んできた。


「えっと、その……」


 言うべき言葉は無数にあるはずなのに、アウラの顔を見たとたん、頭から言葉が飛んでしまった。そんなシラヌイの腰を、ヒバリが肘で突いた。


「あ、会えて嬉しい、です。アウラ」

「わたしもです!」


 アウラの声は本当に嬉しそうだった。


「兄様の魔力を感知して、待っていてくれたんですか?」

「いえ。シラヌイさんとヒバリさんが今日くることはわかっていましたから、朝からずっと待っていました」

「朝から⁉ 寒くなかったんですか?」


 アウラはちらつく小雪を見て、目を細めた。


「今日はこれでも暖かいほうなんですよ。それにわたしは冰眼持ちですから」

「あっ、でしたね」


 緋眼を持つシラヌイが火で焼かれることがないように、冰眼持ちのアウラは如何なる寒さでも凍えることはない。


「白虎の里を案内します。ついてきてください」


 アウラに導かれて、シラヌイとヒバリは、白虎の里へと足を踏み入れた。

 里の入り口には、白虎の民が集まっていた。待ち構えていた、というべきか。

 ただでさえ冷たい空気が、さらに剣呑な気配を帯びた。

 シラヌイは白虎の民を静かに見回す。

 肌の色は白い者が多い。髪の色は灰色か白で、アウラと同じ黒髪の者は、少なくともこの場にはいない。


「やはり、歓迎はされないか」


 わかってはいたことだが、シラヌイに向けられる白虎の男たちの視線には敵意が宿っている。


「でも、女の人たちは興味津々って感じだよ?」


 ヒバリが小声で言った。


「うむ……」


 たしかに、女たちから向けられるまなざしは、好奇のそれだ。


「あれが頭領の旦那さん?」「けっこうな男前じゃない」「でも、生真面目で面白くなさそう」「朱雀の男の人って、アレも激しいのかしら」


 そんなヒソヒソ話が、耳を澄ませなくても聞こえてきた。


「うっ。好き勝手言われているな」

「女の人たちにとっては格好の噂話の種だもん。我慢我慢」


 シラヌイの小声に、ヒバリが小声で返してきた。


「そうだな……」


 居たたまれないが、敵愾心を向けられるよりはいい。


(問題は、男たちのほうだな)


 下手に視線を合わせて刺激しないよう、男たちの様子を窺う。


「朱雀が何様だってんだ」「許せねぇ」「決闘に勝ったからって、調子に乗るんじゃねぇよ」「ぶっ殺してやりてぇ」

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