一話 ⑬

「仲良くというのは、その、具体的にどういったことだと思われますか?」

「た、たとえば、一緒に魔術の修行をする……とかでしょうか?」


 答えたアウラの顔は真剣そのもので、冗談を言っているというふうではなかった。

 シラヌイは頭を抱えた。


(なんということだ! アウラ殿は、子の作り方を知らないというのか!)

「シラヌイさん? わたしとの修行は、楽しくはないでしょうか……?」

「そ、そのようなことは決して! アウラ殿との修行は、めくるめく夢のような時間になることでしょう!」


 それは、シラヌイの本心だった。アウラと共に修行に励めば、魔術師としてより高みへと至れるだろう。だが、違うのだ。今、為すべきことは子作りなのだ。


(どうしたものか……)


 緊張に動揺が加わって、喉がヒリついてきた。


(ひとまず、何か飲み物を……)


 視線を巡らせたシラヌイは、布団の枕元に水差しを見つけた。


「失礼」


 シラヌイは水差しの中身を、並んで置いて合ったグラスに注ぎ、一息に飲み干した。


「げほっ! こ、これは……」


 酒だ。水差しもグラスも飴色だったから中身が水ではないことに気づけなかった。


(しかも、かなり強い酒だ……!)


 喉が焼けるようだ。

 シラヌイはカガリを恨んだ。


(長老! なんて物を、なんてところに置いておくんですか!)


 顔も熱くなってきた。


(いや、逆に考えるんだ。酒の力を借りて、勢いをつける……!)


 シラヌイはもう一杯、酒を呷った。


「シラヌイさん? どうかされましたか?」

「ど、どうもしません。しいて言うならば、貴女の美しさに酔っただけです」


 いいぞ! とシラヌイは心の中で声をあげる。

 いい具合に、酒で勢いがついている。素面では絶対に言えない台詞だ。


「わ、わたしなんかがそんな……! 恥ずかしいです……」


 アウラが頬を赤らめた。


「恥ずかしがらずに、さあ、その美しい顔を、もっと見せてください」

「そ、そうだ!」


 シラヌイが伸ばした手から逃れるように、アウラが立ち上がった。


「カガリ様から夜着をいただいたんです」

「夜着?」

「はい。それを着たら、シラヌイさんが必ず喜ぶと仰っていました。着替えるので、後ろを向いていてもらえますか?」

「は、はい」


 シラヌイは言われたとおりに後ろを向いた。そして、しばし、背後から衣擦れの音が聞こえてきた。


「あ、あのっ、明かりを消していただけますか?」


 恥ずかしげなアウラの声に、シラヌイはゴクリと喉を鳴らす。


「消しましょう」


 シラヌイは座ったまま、火の精霊に命じて部屋の出入り口と隅に置かれている行灯の火を消した。

 薄闇が、客間を支配する。

 再び、衣擦れの音が聞こえてきた。

 間を持たせるため、酒の勢いを落とさせないために、シラヌイは待ちながら酒を呷り続けた。


「お待たせしました。こっちを向いてください」


 アウラに促されて、シラヌイは彼女のほうへと向き直り――放心した。

 薄闇に、アウラの肢体が浮かび上がって見えていた。

 細い肩紐に、局部がギリギリ隠れる程度の短すぎる丈。そして、透けて見えるほどの薄さ。カガリから渡されたという夜着は、肌を隠すという意味では、まったく機能していなかった。


「は、恥ずかしいです……」


 アウラはうつむき、内股になった。局部の前で組まれた手も、落ち着きなく親指同士が擦り合わされている。手がその位置にきていなければ、秘めるべき部分が露わになっていただろう。

 アウラの声でハッと我に返ったシラヌイは、


(長老! 刺激が強すぎます!)


 心の中で、抗議の声をあげた。


「これじゃ、ほとんど裸みたいなものですよね……」

「し、失礼!」


 シラヌイは腕で自分の目許を覆って顔を背けた。


「失礼だなんて、そんな。見ていただいてかまいません。お見苦しくなければ、ですが……」

「し、しかし……!」

「見ていただきたいんです。わたしはあなたの妻になったんです。わたしの全部はあなたのものです。わたしの全部を、あなたのものにしてほしいんです」


 シラヌイは恐る恐る腕を下ろした。


「で、では、見ます……!」


 言って、アウラに目を向けようとしたシラヌイだが、見たい、という衝動と、見たら死ぬ、という恐怖心の引っ張り合いで、眼球が動かない。


(見ろ、シラヌイ! 見なければ、子作りできん!)


 意を決し、歯を食いしばって、シラヌイは眼球をアウラに向けた。

 アウラは、窓から差し込む月明かりを纏って、全てをさらしていた。

 組まれていた手も解かれ、広げられ、今や隠されている部分は一つもない。

 顔には恥じらう色はもはやなく、シラヌイに向けられる眼差しは、慈愛に満ちている。

 死んだ。

 情緒と理性が、木っ端微塵に砕けて死んだ。


「シラヌイさん、いっぱい、仲良くしてください」


 シラヌイはよろよろと立ち上がり、ふらふらとアウラに歩み寄る。


「ま、任せてください」


 全身の血が沸騰し、激しく駆け巡っている。息が荒い。鼻息も荒い。


「ア、アウラ殿」


 シラヌイは左右の手をアウラの両の肩に伸ばし、つかんだ。理性が吹っ飛んでいるせいで思いがけず強くつかんでしまったが、アウラは痛がる素振りも嫌がる素振りもみせず、自らシラヌイの胸に身を寄せてきた。


「殿、はいりません。どうか、アウラ、と」

「ア、アウラっ!」


 シラヌイはアウラを布団に押し倒した。

 アウラは驚いた顔をしたが、すぐにその表情を微笑みに変えた。

 細く白い腕が、手が、シラヌイの頭をそっと包み込む。


(これから、どうするんだ⁉)


 子作りの、知識はある。理論は知っている。

 知っているはずなのに、頭が回らない。頭は回らないのに、目は回っている。冷たい汗が噴き出してきた。


(い、いかん!)


 極度の興奮と緊張。そして、酒。

 シラヌイは思い出す。自分が酒に弱かったことを。


「うぶっ」


 込み上げてきた吐き気に口を押さえたシラヌイは、部屋の隅にあった花が生けられていない花瓶へと転がるように走った。

 花瓶に顔を突っ込み、そして、


「おええええええええええっ!」

「シラヌイさん⁉ 大丈夫ですかっ?」


 大丈夫ではなかった。

 気持ち悪さと情けなさに、涙が出てきた。


「す、すみません。水と思って飲んだものが強い酒で、悪酔いしてしまいました……っ」

「まあ、大変!」


 傍らにやってきたアウラが、背中をさすってくれる。本気で心配してくれているのが、その手から伝わってくる。

 彼女の優しさに、さらに涙が出た。


 白い朝陽を瞼に受けて、シラヌイは目を開けた。

 窓の外から鳥の声がする。


「朝、か……」


 ぼうっと天井を眺めながら、夕べの出来事を思い返す。

 強い酒にやられたが、記憶は飛んでいない。初夜に失敗した忌まわしい記憶は、鮮明に残っている。

 あの後、アウラは水を持ってきてくれたり、汗を拭ってくれたりと、かいがいしく介抱してくれた。吐いた花瓶も洗ってくれた。

 一方のシラヌイはといえば、ひとしきり吐いた後は、布団に横たわっていただけだ。何もできず、自分の情けなさに打ち拉がれながら眠りに落ちてしまったらしい。

 シラヌイは横を見た。アウラの寝顔がそこにあった。

 初夜の失敗で傷ついたのは、シラヌイだけではない。肌をさらして夫に吐かれたアウラのほうが、よほど深く傷ついたはずだ。それなのに、アウラはそんな内心をおくびにも出さなかった。


「もう、失敗はしない」


 シラヌイは、アウラの顔の前にあった彼女の手に触れ、軽く握った。

 すると、アウラの手が、シラヌイの手を軽く握り返してきた。

 目は閉じたままで、


「アウラ?」


 小さく呼びかけてみても、返ってきたのは規則正しい寝息だけだ。


(未来というのは、わからないものだ)


 十年来の宿敵と、今はこうして床を同じくして、手を握り合っている。

 シラヌイは目を閉じる。眠るためではなく、想像するために。

 アウラとの間に生まれてくる、自分の子供の顔を、想像してみる。


(……思い浮かばない)


 子供の顔も、父親になった自分の姿も、まったく想像できなかった。

 アウラが妻になってくれたが、どうにもまだ実感がない。

 それでも、シラヌイは確信している。


(アウラ。貴女となら、どんな未来でも紡いでいける)


 来る大災厄から、必ず、世界を救ってみせる。

 自分と、アウラと、そして子供と。

 そのために。


「私は必ず、貴女と最高の子作りをしてみせる!」


 シラヌイは、心に固く誓うのだった。

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