一話 ⑫
「私も貴女と同じです。魔術以外のことは何も知らない。私たちは、いわば赤ん坊のようなものです。しかし、赤ん坊は成長します。知らないことは学んでいけばいい。一つずつ、共に学んでいきましょう」
「シラヌイさん……」
シラヌイとアウラが見つめ合っていると、
「コホンコホン」
巫女グリグリのわざとらしい咳払いが、ふたりの間に割って入った。
「イチャつくのは大いに結構じゃが、おぬしらに伝えておくことがある。こっちを向けい」
シラヌイとアウラは巫女グリグリに向かって正座し、背筋を伸ばした。
「朱雀の頭領シラヌイ、白虎の頭領アウラ、おぬしらを賢者に任ずる」
巫女グリグリは白く小さな手をかざすようにシラヌイたちに向けて、そう言った。
「賢者! 私とアウラ殿が、ですか?」
「うむ。七曜の賢者の要である日の賢者。その両親となるおぬしらも七曜に数えられる賢者であるという未来が視えたのじゃ。シラヌイ、おぬしが火の賢者で、アウラが水の賢者じゃ」
シラヌイとアウラは、互いに丸く見開いた目で見合った。
「驚くことではあるまい。予言を抜きにしても、おぬしらにはそれだけの実力がある。誇るがよい」
世界の安寧のために貢献しうる実力を人格を有する魔術師に、世界塔から与えられる称号――賢者。
権力を欲しいと思ったことはない。名声もだ。そんなシラヌイでさえ、賢者という称号に憧れる気持ちはあった。
「ちなみに、拒否権はないからの」
「ぞ、存じております」
世界塔は国の枠組みを超えた機関だ。大国でさえ、世界塔の意向には逆らえない。
「こちらをお受け取りください」
衣擦れの音すらたてずに立ち上がったリーリエが、シラヌイとアウラに、それぞれ一冊の本を手渡した。
厚みのある表紙に描かれているのは、樹木を模した紋章。
「これは……」
シラヌイは、その紋章を知っていた。
魔術師であれば知らない者はいない。人智の彼方、神々の世界に聳えるとされる、生命の大樹。世界樹とも呼ばれるそれを紋章として用いている機関は、一つしかない。世界塔だ。
「悟りの書。賢者の証じゃ」
「これが……」
ゴクリ、とシラヌイは喉を鳴らした。
世界塔から賢者に任じられた者に、その証として与えられる魔術書であり、魔術の奥義が記されているという話だが……。
「な、中を見せていただいても?」
「それはおぬしらにくれてやったものじゃ。好きにせい」
シラヌイはアウラと顔を見合わせ、頷き合った後、悟りの書を開いた。
パラパラとページをめくり、シラヌイは眉根を寄せた。
ざっと見た限り、記されているのは魔術のごくごく基礎的な技術に関することばかりだった。
本を閉じる。
(これでは、まるで)
魔術の入門書ではないか、と思いかけて、気づく。
「あっ。これって……」
アウラも気づいたらしい。
中身は魔術の入門書だが、特殊なのは、表紙だ。
表紙に描かれた紋章は、魔術を用いて刻印されたものだ。それも、極めて複雑な術式が編み込まれている。
何らかの特異な効果があるわけではないようだが、魔術の心得のある者が見れば、舌を巻かずにはいられないほどに、細やかで、そして美しい術式だ。この術式を再現するのは相当に難しい。偽造防止の手段としては完璧だ。
(なるほど、たしかにこれなら証になる)
「あ、あのっ」
悟りの書を胸に抱えたアウラが、小さく手を上げて発言する。
「賢者というのは、具体的に、何をするものなのでしょう……?」
「うむ。立場としては、世界塔所属の魔術師ということになるが、おぬしらの場合、賢者は賢者でも、七曜の賢者だからな。儂の直属として指示に従ってもらうことになるの。とはいえ、指示のない間は自由じゃ。各々の思うままに、世界に尽くせ」
世界に尽くせ。
巫女グリグリがさらりと言ったその言葉に、シラヌイは身を引き締めた。
「当面、おぬしらへの指示は一つじゃ。せっせと子作りに励むがよい」
巫女グリグリは、左手の親指と人差し指で輪を作ると、そこに右手の人差し指をスコスコと通した。
「巫女、下品ですよ」
それまで黙っていたリーリエが、囁くような声音で苦言を呈した。
「シラヌイさん、あの仕草にはどんな意味が?」
「さ、さて」
見たことのない仕草だが、リーリエが言ったように、品のない仕草なのだろうということはわかった。
「固いことを言うでない。こちとら塔に閉じ込められて退屈な身なのじゃ。新婚夫婦を下ネタでからかう程度の楽しみはあっ――」
言葉の途中で、中空に浮かび上がっていた巫女グリグリの姿が、消えた。
「下品はいけません、と申しましたのに」
リーリエが鏡を手に取り、腰帯にしまった。
「よかったのですか? 巫女様のお話を途中で切ってしまって」
「問題ありません」
リーリエはヴェールから覗く形のいい唇に小さな笑みを浮かべて、立ち上がった。
「私はこれで失礼致します。シラヌイ様、アウラ様、どうかお幸せに」
そして、世界塔の使者は去った。今回も、シラヌイが里の出口まで送りたいと申し出たが、断られた。
「さて、色々と後回しにしちまったわけだが、やることはやってもらわないとな」
カガリが、煙管に詰めた煙草に魔術で火を点けつつ言った。
「やること、というと?」
「決まってるだろう?」
シラヌイの問いに、カガリは赤い髪を掻き上げつつ煙を吸い、吐いて、答えた。
「新婚夫婦の最初のお務め……初夜さ」
初夜。
新婚夫婦が共に過ごす、初めての夜。
アウラとの初夜を、シラヌイはカガリの屋敷で迎えることになった。
カガリの屋敷は朱雀の里で一番大きく、空き部屋も多い。フロロとブランにも、それぞれ別の部屋が割り当てられている。といっても、カガリはフロロと一晩中酒を酌み交わすつもりのようだったが。十年ぶりの再会。積もる話もあるのだろう。
「すみません、アウラ殿。本来なら、私の家にお招きするのが筋なのですが、私の家は、客間を含め、全ての部屋が魔術書で埋め尽くされている状態でして」
「お、お気になさらず。わたしの部屋も同じですから……」
正座で向かい合っているシラヌイとアウラ。アウラの背後には、布団が敷かれている。布団の数は一つ。枕の数は二つ。
膝の上に置かれたアウラの手は、固く握りしめられている。肩にも力が入っているのが見て取れる。緊張しているのだろう。
「き、緊張しますね」
肩に力が入っているのは、シラヌイも同じだった。
「シ、シラヌイさんも緊張されてるのですね」
「そ、それはもう。なにせ、しょ、初夜ですから」
「しょ、初夜ですものね!」
初夜。夫婦となった男女が、初めて夜を共に過ごす。
共に、何をして過ごすのか。ただ寝るだけではない。愛を語り合うだけでもない。
為すべきことがある。それは何か。答えはもちろん、
(子作りだ)
子供を作る。古来より男と女が成してきた、最も原始的な人の営み。新たな生命を現世に導く、深淵にして崇高な行為。
それが、具体的にどういった行為であるかをシラヌイが知ったのは、ほんの半年前のことだ。知ったといっても、あくまでも知識としてであって、実践も体験もしてはいない。
「アウラ殿、つかぬことをお訊ねするが」
「は、はい」
「男と女が、どうすれば子を成せるか、ご存じでしょうか」
「それは、えっと……男性と女性が結婚して、仲良くしていると、お嫁さんのお腹に赤ちゃんがやってくる、というふうに認識しています。ま、間違っているでしょうか……?」
自信なさげなアウラの回答に、シラヌイは不安になる。
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