一話 ⑪

「黙れ、ブラン。副頭の出る幕ではないわ」

「……っ」


 フロロに冷たく一喝され、ブランは口を噤んだ。

 アウラはフロロを叔母様と呼んでいる。その呼称からして、三人は血縁関係にあるらしい。さらに、アウラとブランにとって、フロロが叔母というだけではなく、魔術の師であることも想像に難くない。色々な意味で、逆らいにくい相手なのだろう。


「叔母様、お願い!」


 懇願するアウラの目には、涙が滲んでいた。


「泣くほどに、朱雀の坊やと結婚したいのか」

「したいでずっ!」


 嘲るようなフロロの物言いに、アウラは迷いなく頷いた。語尾が「でずっ!」になったのは、鼻を啜りながら喋ったからだ。


「白虎の民を棄てるのか」


 フロロが眼光と魔力をさらに冷たくして、アウラに詰める。

 アウラは意を決した表情で前に踏み出ようとしたが、フロロの圧に押されて、後じさってしまった。

 シラヌイはそんなふたりの間に割って入り、声を張った。


「白虎の民は、誰一人として不幸にはしません!」


 フロロの眼光が向かう先が、アウラからシラヌイに移った。

 アウラが怯んだほどの圧に、喉が強ばる。それでも、シラヌイは下がらない。目を逸らさない。


「豪語したな、坊や」


 フロロの魔力がさらに高まり、シラヌイの鼻先に、無数の氷片が浮かび上がった。刃物のように鋭い。


「一つ、教えてやろう。他人を不幸にしないというのは、存外、難しいということをな!」


 氷片が躍った。冷気をほとばしらせて、一斉に襲いかかる。シラヌイに――ではなく、後ろにいた、ヒバリに。


「――っ⁉」


 ヒバリが息を呑む気配が伝わってきた。


「ヒバリさん!」


 アウラの声が響く中、シラヌイは念じた。


(溶かせ)


 ヒバリに突き刺さる寸前に、氷片は一つ残らず蒸発した。

 シラヌイはフロロから目を離してはいない。


「振り向きもせずに私の氷を溶かしたか。やるな」

「フロロ殿、このような真似はやめていただきたい」


 フロロは、ふっ、と小さく笑った。


「そうだな。やめておこう。姪に殺されたくはないからな」


 フロロは視線で、シラヌイに後ろを見るよう促した。

 シラヌイは振り返り、ぎょっとする。

 ヒバリを庇うように抱きしめた格好のアウラが、凄まじい形相でフロロを睨んでいたのだ。

 青いはずの冰眼が、今にも火を噴きそうなほどに赤く血走っている。


「たとえ叔母様でも、許しませんよ」


 アウラが低い声を出した。

 フロロのそれよりもさらに冷たい魔力がアウラの全身から立ち上り、室内にちらちらと氷の結晶が舞った。


「ア、アウラ殿。落ち着いて……」

「あっはっはっ!」


 シラヌイが諫める声をかき消すような笑い声が響いた。

 声の主――カガリは、大きく開いた胸元をボリボリと掻きつつ、言った。


「もういいんじゃないのかい、フーちゃん。そいつらの決意は、それなりに本物だよ」


 言葉を向けられたフロロが、「ふーっ」と息を吐いた。


「叔母様……?」


 アウラの魔力が解れ、冷え込んでいた室温が戻っていく。


「まあ、一応は合格点といったところか」


 フロロが言った。


「憎まれ役、ご苦労さん」


 カガリが歯を見せ、胸元を掻いていた手をはたはたと振った。

 フロロの美貌に微笑が浮かぶのを見て、シラヌイは察する。


「フロロ殿は、初めから私たちの結婚に反対するつもりはなかったのですね」

「ああ」


 フロロはあっさりと肯定した。


「白虎と朱雀の因縁を終わらせる好機だ。逃す手はあるまいよ。とはいえ、難事ではある。おまえたちの覚悟の有無を、たしかめさせてもらった」

「まー、誰かがやらなきゃなんない役さ。フーちゃんがやらないなら、アタシが同じ振る舞いをするつもりだった」


 フロロとカガリが視線を交わし、小さく笑い合う。


「それでは、私たちの結婚は――」

「認めるよ。姪っ子の婚期を奪って、恨まれるのも御免だ」

「お、叔母様っ!」

「おまえもそれでいいな、ブラン」

「……僕は、姉さんが幸せならそれでいいよ」


 問われたブランが答えるまでに、少しの間があった。


(これで……)


 朱雀と白虎、双方の頭領、副頭、長老が結婚に賛成したことになる。


「坊や。いや、婿殿」


 フロロが、改めてシラヌイに向き直った。


「アウラは私の姉の忘れ形見だ。私はあれに重荷を背負わせることしかできなかったが、親代わりとして幸せを願っている。どうかアウラを、私の姪御を、よろしく頼む」


 シラヌイはその場に座し、左右の拳を床につけて、深く頭を下げた。


「アウラ殿は、私の全てを賭して幸せにします。白虎の民も」

「シラヌイさん!」


 アウラの高い声が響いた。


「わたしたち、結婚できるんですねっ!」


 頭を上げ、立ち上がったシラヌイに、アウラが抱きついてきた。

 シラヌイに、アウラの全身が押しつけられる。そのどこもかもがやわらかい。


「ア、アウラ殿、嬉しい気持ちは私も同じですが、人目がありますので……」

「わたし、気にしませんっ!」

「いや、私が気にするという話で……」

「大いにイチャつくがよい。それが、世界のためじゃ」


 少女の声がした。


「この声は……!」


 シラヌイは驚きつつ視線を動かし、声の主を見つけた。

 客間の中央に姿勢正しく座っているリーリエ。彼女の膝の前には鏡が置かれており、声の主は、その上に映し出されていた。


「巫女様……!」


 アウラがシラヌイに抱きついたまま、「えっ?」と小さく驚きの声をあげた。


「あの可愛らしい女の子が、世界塔の巫女様なのですか?」

「いかにも。儂が世界塔の巫女グリグリじゃ。敬うがよい」


 アウラのシラヌイに対する問いに、巫女グリグリが自ら答えた。


「えっ? ぐ、ぐり……?」

「グリグリ! 儂は名前をいじられるのが嫌いじゃ。憶えておけ」

「は、はい……」


 きょとんとした様子のアウラに、「ふん」と鼻を鳴らし、巫女グリグリは澄んだ空色の瞳をシラヌイに向けた。


「結婚にこぎつけたようじゃな。第一関門は突破、といったところかの。でかした」

「は、はい。しかし、結婚の承諾を得ただけで、まだ正式な夫婦になったわけではありません」

「なんでじゃ? 双方の合意があったら、結婚成立じゃろがい」

「祝言の儀が、まだです」

「シラヌイ」


 カガリに呼ばれて、シラヌイは振り向く。


「それは後回しでいい。とっとと夫婦になっちまいな」

「しかし、それでは里の者たちに事後報告という形になってしまいます」

「それでいいんだよ。先に既成事実を作っちまったほうが、手っ取り早い。フーちゃんも、それでいいね?」


 問いを投げられたフロロが、頷く。


「異論ない」

「つーわけで、シラヌイ、アウラ。おまえたちは今この時から夫婦だ。おめっとさん」

「おめでとう! 兄様、アウラさん!」

「姉さん、おめでとう」


 シラヌイに抱きついていたアウラが、不意に身を離した。


「アウラ殿?」


 アウラは両膝、両手、そして額をも床につけた。


「重ね重ね、わたしは魔術の他にはなんの取り柄もない女です。魔術以外は本当にからっきしで、物知らずで、こんなわたしがシラヌイさんの妻になるなんて、とても恐れ多いことです。でも、それでも、どうかどうか、よろしくお願いします……っ」

「アウラ殿、どうか顔を上げてください」


 シラヌイは片膝をついて、アウラの頬を両手で包み、顔を上げさせた。

 青い瞳に、鏡のようにシラヌイの顔が映る。

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