一話 ⑩
十年ぶりに見えるフロロは、記憶にある姿とまったく変わっていなかった。
「お話は長老の屋敷で。ご案内致します」
三人を先導しながら、シラヌイは改めて事の重大さを思い知った。
白虎の頭領、副頭、長老の三人が朱雀の里を闊歩しているのだから。彼女らの到着が人目のない夜間だったのは、幸いだった。昼日中に、多くの民に白虎が目撃されていたら、大騒ぎになっていただろう。
「こちらです」
屋敷の客間には、既にカガリ、ヒバリ、そしてもう一人――ヴェールで顔を隠した薄紅色の髪の女の姿があった。世界塔の使者、リーリエだ。
リーリエは今日の昼間に、再び朱雀の里に現れた。
「巫女が、シラヌイ様と白虎の頭領にお伝えしたいことがあるそうです」
シラヌイのほうから世界塔に連絡を取る手段はなく、アウラとの決闘に勝ったことも、彼女が求婚に応じてくれたことも報告できてはいなかった。しかし、どうやら世界塔の巫女は全てお見通しということらしい。
そして、間に世界塔の使者を挟んで、朱雀の里と白虎の里の重鎮が一堂に会することとなったのである。
「白虎の御方々、ご紹介致します。世界塔の巫女の使者、リーリエ殿です」
「私が巫女の言葉をお運び致します。どうぞよしなに」
紹介されたリーリエは、姿勢正しく座したまま、口許に笑みを浮かべた。
白虎の三人は顔を見合わせた後、アウラ、ブラン、フロロの順で名乗った。
「あの、えっと……アウラです。と、頭領、です。よろしくお願いします」
「ブランです。副頭として、この場に参じました。世界塔の方にお会いできて光栄です」
「長老のフロロだ。この場に世界塔の使者がいるということは、アウラの言っていた大災厄の話は朱雀の作り話というわけではないようだな」
ハッ、と笑ったのは、煙管を片手に、だらしなく肘掛けにもたれていたカガリだ。
「疑ってたってのかい? フーちゃん」
フーちゃん?
シラヌイは白虎の三人を見る。フーちゃんという、愛称らしき呼称は誰に向けられたものだろうか。
該当し得るのは、一人しかいなかった。
「疑わないわけにもいかないだろう。しかし、嘘にしては真実味がなさすぎる。カガりんならもっとマシな嘘をつくだろうとは思ったが」
その人――フロロが、能面のようだった顔に、かすかな笑みを浮かべた。
「フーちゃん……カガりん……おふたりは、そのように呼び合う間柄だったのですか?」
カガリとフロロは、互いの里の頭領として、シラヌイとアウラがそうだったように、十余年に亘って決闘を繰り返してきた仇敵同士だ。
愛称で呼び合うような関係性に、違和感を覚えたシラヌイだったが、
「意外かい? 宿敵との間に友情が芽生えるってのは」
カガリのその言葉に、納得した。
「いえ、理解できます。大いに」
「あのっ。あたしはヒバリです! 副頭やってます! あ、頭領はあたしの兄です!」
ヒバリが立ち上がり、頭を下げた。
「い、妹さん⁉ ア、アウりゃです。よろしくお願いしますっ」
アウラが自分の名前を噛みつつ頭を下げ返す。
顔を上げたヒバリが、「よかったぁ」、胸に手を当てて笑った。
「アウラさんがいい人で」
「そ、そんなっ。わたしなんて、魔術しか取り柄のない、つまらない人間です……」
アウラは手と首をふるふると振った後、肩を落とした。
「自信を持ってください。アウラさんは、とっても素敵な女性ですよ。なんたって、あの朴念仁の兄様を一目惚れさせたんですから」
「ひ、一目惚れ……?」
「ヒバリ! 余計なことを言うなっ」
「あたし、ずっと心配してたんです。朴念仁で唐変木の兄にちゃんとしたお嫁さんが見つかるのかなって」
「悪口が増えている!」
シラヌイの抗議の声を無視して、ヒバリは続ける。
「アウラさんがお嫁さんになってくれるなら、安心です。兄のこと、よろしくお願いしますね」
ヒバリはアウラの手を取って、改めて頭を下げた。
「待て」
客間に冷たい声が響いた。
声の主は、白虎の長老フロロだ。
「ふたりの婚姻を、私はまだ認めていない」
シラヌイに向けられたフロロの目は、声音と同様、冷たい。
「約定は果たす。決闘に敗れた以上、我ら白虎の民は、故郷への帰還を諦めよう。しかし、頭領を差し出すとなれば、これは約定の外。民の中には、白虎が朱雀の軍門に下ったと捉える者も出よう」
凍るようなまなざしに、シラヌイは寒気を覚えた。しかし、怯むわけにはいかない。フロロの目をまっすぐに見返して、シラヌイは言う。
「故郷への帰還を諦める必要はありません。私は、朱雀の民と白虎の民が、共に生きていける未来を作りたいと考えています」
フロロの目が、さらに冷え込んだ。
「我ら白虎の民を、この土地に迎え入れると?」
シラヌイは頷く。
「狭い里ですから、一度に全ての民を、というわけにはいかないでしょう。開拓に時間がかかります。それでも、いずれは」
「何故に、我らを受け入れようとする」
シラヌイは一度、細く、しかし深く息を吸って吐き、答える。
「朱雀の民と白虎の民は家族になれる。そう、信じているからです」
「血の歴史を重ねてきた我々が、家族になれると、何故思える」
「抗争の初期にこそ、たしかに多くの血が流れました。しかし、決闘の規定ができてから先は、互いに規定を遵守し、血は流れていません。この間に、私たちは憎しみではなく、互いへの信頼と敬意を積み重ねてきたはずです。共に生きていける道筋は、既に築かれているのです」
「…………」
「どうか、私とアウラ殿の結婚を認めていただきたい。朱雀と白虎、二つの民が共に生きていく、その最初の例として」
世界のために、という大義名分を、シラヌイはここでは口にしなかった。
二つの民の共存は、巫女から予言を聞かされる以前から考えていたことだった。
「あ、あのっ、わたしからもお願いします! シラヌイさんとの結婚を許してくださいっ!」
「アウラ、おまえは少し黙っておれ」
フロロに冷えた目と声を向けられたアウラは、「うっ」と呻いて怯みつつも、食い下がった。
「だ、黙りません! フロロ叔母様のことは尊敬しています。でもでもっ、今の頭領はわたしですから!」
「ほう。立場を振りかざして、私に楯突くか」
客間の空気が、一瞬で冷え込んだ。比喩ではない。フロロの魔力の高まりによって、氷の精霊が活性化されたことによる現象だ。
「ひいっ」
アウラが震え上がった。
無理もない。シラヌイも肌が粟立っている。反射的に、身構えてしまうところだった。
魔術師としての実力でいえば、アウラのほうがフロロより上だ。戦えば、確実にアウラが勝つだろう。
それでも竦んでしまうほどに、フロロの魔力は練り上げられていた。
「わ、わたしもシラヌイさんと同じことを考えていました! 朱雀の人たちに、里を出ていってもらうんじゃなく、一緒に生きていけないかって。叔母様だって同じはずです!」
アウラは声を上擦らせつつも、後ずさるのではなく、一歩前に出て訴えた。
「…………」
「それにっ」
アウラは、さらに一歩前に出た。
「シラヌイさんを逃してしまったら、わたしなんかをお嫁さんにしたいと言ってくれる男の人は、きっともう現れません! わたしの人生で、最初で最後の結婚の機会を、奪わないで!」
「何を言ってるの、姉さん!」
アウラの後ろで、ブランが声をあげた。
「姉さんより魅力的な女性なんて、この世にはいないよ! 自信を持って!」
「ブラン、あなたは応援してくれるのね」
「もちろん! 僕はいつだって姉さんの味方だよ!」
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