第25話

「クリストファー様!?」

「話し声が聞こえたのでな。マスターキーを持って外から聞いていた。ユリウス殿、これは重大な協定違反ではないのか? そもそもグレタを城から連れ出したこと自体が罅だったのだ。このままでは脆いガラスの協定は割れるぞ」

「俺はただ好きな子を迎えに来ただけだぜ、セルシウス辺境伯。そっちこそ白い結婚なら俺にグレタをくれよ。寝室も別なんて、夫婦が聞いて呆れるぜ」


 木剣でその頭を小突くと。いてっと言われた。どの辺りから聞かれていたんだろう。前世の辺りは聞かれてないと良いのだけれど。マスターキーを取りに行く時間があったのなら、そこは大丈夫かもしれない。楽観的になってはいけないと思っているけれど、少しは逃げ道も考えたい。


 白い結婚とはいわゆる処女婚だ。確かに私達はいまだに白い結婚だけれど、それは戦中に子供が生まれてしまったら混乱が出来てしまうからだ。屋敷ではとても育てられない、実家に戻ってもクリストファー様が戦死したら目も当てられない。そう言う意味でもあったのだ、私達の結婚は。積極的にクリストファー様に求められなかったのも確かだけれど。


 グレタは着飾って見せていつもその関心を惹こうとしていた。だけどそれは叶わなかった。キスすらももらえなかった。だから散財に走った。お父様達が来た時の食事に難があったとすれば、それはグレタにも責任がある。欲しい物は欲しいと駄々をこねるように、宝石やドレスを買い漁っていたのだから。まるで子供のように。事実子供だったのかもしれない。二歳の魔王には敵わないけれど。


 クリストファー様は足音荒く私の部屋に入って来て、胡坐を掻いていたユリウスの首根っこを摑まえる。それから羽を縛っていた縄を剣で切った。自由になった魔王はきょとんとしている。それから窓が開けっ放しだったバルコニーに連れ出され、睨まれたようだった。おー、と間抜けな顔をするのが見える。クリストファー様の顔は背中を向けているから分からない。でも多分、機嫌の悪い顔だろう。魔王を驚かすぐらいには。


「二度と妻に近付くな。良いな? そして二度とこの屋敷に近付かないと誓うなら、今回の事は不問にしてやる」

「随分偉そうだねぇ辺境伯。此度のダイヤ鉱山譲渡ではまだ足りないか」

「それはこれとは別の問題だ」

「あーあ、せっかく財産吐き出したのにつれないことだ。まあ良い。どこかでまた会う事があるかもな、辺境伯。出来ればその時は戦場でないことを願うよ」

「こちらは二度と顔を見たくない。さっさと去れ、魔王」

「へいへい。じゃーね、グレタ。またいつか」


 クリストファー様が手を離した瞬間、ユリウスはぎゅんっと鉱山の方へ飛んでいった。

 そしてそれを見えなくなるまで見届けてから、クリストファー様がこちらを向く。

 瑠璃色の眼がギラギラしていて、思わず木剣を落としてしまった。からんからんと音がして、それが終わると静寂が訪れる。


 窓を閉めてしっかり鍵を掛け、レースカーテンを閉められる。一気に部屋が暗くなったのに、クリストファー様に睨まれている感覚だけはじりじりとして解った。怒っている。そりゃあこれは不貞と取られても仕方ない場面だ。でも私にはそんなつもりはなかった。言っても無駄だろう。クリストファー様は私の手を掴んで、廊下に出る。そして連れて行かれるのは寝室だ。

 このまま勢いのままあれこれされるんだろうか、かたかた震えていると。クリストファー様は私に言った。


「脱げ、グレタ」

「……」


 怖い。


「……革のパンツだ。そのままでは眠りづらいだろう」

「へっ」

「俺も着替える。見たくなければ向こうを向いていろ。俺もそうする」


 えっと、えっと。とりあえずちょっときついパンツを脱いで、それを近くにあった椅子の背もたれに掛ける。クリストファー様はシャツだけそのまま、ベッドの中に入ってしまった。私もネグリジェが乱れないように、ちょこん、とベッドの端に座る。チッと舌を鳴らされた。あれ。どうすれば良いんだこれ。


 ぐいっと腕を捕まえられて、隣に引きずり込まれる。新しい枕はふわふわだった。首が落ち着かないぐらい。そのままクリストファー様は私を抱きしめて、はーっと息を吐く。それから今度は吸われた。自分が小さな子供のぬいぐるみになってしまったような気がしてしまう。

 これは一体どういう意味のある仕種なんだろう。身体を硬直させていた私の背を、クリストファー様はぽんぽん、と撫でた。お父様達に私がしたように。落ち着けと言う意味なのか? これは。でも男の人の抱き枕にされて落ち着ける私でもない。


「ユリウスは、あれからよく来ていたのか」

「三回ほど。殆どただ歌って帰って行きました」

「殆ど。そうではなかったこともあるのだな」

「えっと、ネグリジェを黒くされました」

「脱がされた、と?」

「魔法は飛ぶことしか出来ないと言っていましたから多分……ぐぇっ」

「色気のない声だな、お前は」

「クリストファー様がいきなり抱き締めるからじゃないですか」

「クリスで良い」

「へ?」

「あの魔王がユゥリと呼ばれるのなら、俺はクリスで良い」

「クリス……様?」

「ふふ」

「あ」

「どうした? グレタ」

「笑った顔。レアだったのに見そびれました」

「レア? ステーキか何かか?」

「ぷっ。違いますよ、貴重って意味です」

「お前のその無邪気な笑顔は、時折もどかしい」

「クリス様、妬いてくれているんですか?」

「妻に手を出す男がいると知ればそうもなろう」


 そっか、そうだったんだ。この人もこの人なりの愛し方で私を大事にしてくれている。なんで気付かなかったんだろう。戦場の話なんかすれば心配を掛ける。負傷は士気にも関わるから見せられない。まして妻になんて。

 この二年、私は大事にされて来たんだ。真新しいダブルのベッドで抱き合う程度には、愛されて来たんだ。グレタはそれに気付けなかった。でも私は、真珠は、それに気付いてあげられた。


 着飾る事でなく実務でのお返しが、彼には必要だったんだ。ようやく分かり合えたのかな。思うとユリウスの存在は大きいかもしれないけれど、絶対お礼なんか言ってあげない。どうせなら毎夜リサイタルで返して欲しい。でもそれじゃあクリス様との約束を反故することになってしまうから、やまびこにでも乗せて歌って欲しい。真珠の好きだった音で、グレタも多分癒される。癒し系ではなくハードロックだけれど、響けばまた変わった音色になるだろう。


 ファンでも自分だけの特権だ。そう思うとちょっとおかしくなって、寝入ってしまったクリス様にばれないように笑ってしまう。ぅん、と背中を抱きしめられて、胸と胸が合わさって、どくどくと血の音がした。生きている音がした。これを守るのが次の私の役目だろう。白衣は脱ぎ捨てて、この人の花嫁としてこの人だけを愛する私になる。勿論領民にも愛はあるけれど、それとはちょっと違ったものになるだろう。ちょっと? 大分かな。


「グレタ……」

「クリス様?」

「どこにも……行くなよ……俺を置いては……」


 あ、と思い出す。


 そう言えば血縁でも無い辺境伯家にクリス様が取り立てられたのは、実績はあるものの後ろ盾がないからだった。戦災孤児だったクリス様は、城の寮に入れられて地味に、ひたすら努力を重ねて首席で近衛師団の団員になるはずだった。だけどそれが今は亡き辺境伯に取り立てられて、ここの警護を任されて。

 元々一番兵術と剣術に特化した兵が任されるのが国境警備だから、それはそれで名誉なことなんだけれど、知り合いも誰もいない辺境に来たクリス様は孤独だったのだろう。


 グレタの中の真珠の心が、その寂しさに引っ掛かった。そして今私はここに居る。この人を一人にしないために。

 そっか、そう言う事か。戦禍も看護師の私ならいくらか役に立つ。だから私が目覚めたのか。この人のために。この人の孤独を癒すために。笑い合える、家族になるために。

 そう言う事なら、真珠はぴったりだ。帰る場所もなくひたすら仕事に注力していた私には、ぴったりだ。

 私だって、家族は欲しい。出来ればこの人との間に。ユリウスに背中を押された感はあるけれど、今夜から毎日私の寝床はここになるだろう。後でメイドネットワークに色々流れるだろうけれど、とりあえず今日は眠ってしまって。


 明日の朝にあなたがどんな顔をするのか楽しみですよ、クリス様。

 くふくふ笑って、私は目を閉じた。

 そういや明日何着てこの部屋出たら良いのかも、分からずに。

 私は胸にその金髪を抱きしめて、眠った。


 次の朝に真っ白なウェディングドレスを着せられていることも、知らないで。

 あの魔王、やっぱりいつか侵攻してやろうか。

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白衣の天使から白衣の花嫁になっていました? ぜろ @illness24

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