第24話
ネグリジェの下に革のパンツ、アメジストの指輪を首から下げ、プラチナの指輪を握り締めるようにしながら夜中まで待っていると、やっぱりあの歌が聞こえた。私が好きだったバンドの、ボーカルソロだ。何だってそんなのが聞こえるのか、多分生前好きだった曲でも扱えるんだろうと適当に納得していると、ふわっと開いたバルコニーへの窓から風が入って来る。
くつくつ笑う声。でも今日の私は眠っていない。いつもあの歌で眠ってしまい、ネグリジェを着せられるのは流石に勘弁して欲しかったからだ。現れるのは大体三日に一度。面倒だから二度目からは黒いネグリジェで寝ていたけれど、今日は黄色だ。レモンイエローはお月様色。そ、っと首筋に触れられた瞬間、私はその腕を固めていた。
「いだっ! ちょ、グレタちゃん痛い!」
「勝手に人の部屋に入ってくる変態に痛いも何もない。それより静かにしないと屋敷の人間がやって来るわよ。それは休戦協定違反で困るんじゃないの? ユリウス」
ぶーっと頬を膨らませたユリウスの目に、私は冷たい眼差しを向けていた。
エーギルさんが本当に寝ずの番を申し出てくれていたら、やばかった。この魔王地声がでかい。何の物音もしないから、まだ誰にも気付かれてはいないんだろう。それは良かったが、この魔王をこのまま追い出すわけにも行くまい。同じことが繰り返されるだけだ。取り敢えず逃げられないように羽をロープで縛って、絨毯の上に正座させる。私は立って、木剣を手にその姿を見降ろしていた。
魔王(二歳)に口説かれるわけにはいかないのだ、こちとらも。挙句着替えさせられるなんてクリストファー様が知ったら、また怒らせてしまう。心配されてしまう。それは絶対に良くないから、私は乗馬の時に使う革のパンツまで引っ張り出して待ち構えていたのだ。しかしちょっときついな。太ったのかしら、毎日のティータイムで。そのうち気晴らしに遠乗りにでも出ようか。否、グレタは馬に慣れてないから止めた方が良いか。私、真珠だって知らない。
まあそれは良い。圧倒的に優位な状況を作ることが出来たのだから、今はそこに安堵しておこう。飛ぶ以外は出来ないと言っていたから、羽さえ縛ってしまえば大丈夫だろう。ぶーっと口唇を尖らせている様子に、はあっと私は溜息を吐く。
「なんだってこんな時間に来たの」
「寝てるかと思って」
「寝てたらどうしてたの」
「ちょっと悪戯を」
「それはあの黒いネグリジェの事?」
「うん」
「どういう意味で?」
「俺のお嫁さんになってくれないかなって」
だから。
それは即答で嫌だと言っただろう。
「向こうの事も覚えてるみたいだし、話し友達が欲しかったんだよ。城はまだ治ってない連中がうようよいて無傷の俺は居辛いし。しかもそれを台無しにするような休戦協定結んじゃったからあちこちから突き上げ食らってるし。だからちょっとぐらい安心できないかなーって、君の所に」
「魔王がその休戦協定破ってどうすんの。確かにダイヤ鉱山の恩恵は受けてるけれど、だからって簡単に魔族を信用は出来ないわよ。それに私、既婚者なんですからね。諸々の片づけが終わったら王都で結婚式も上げるつもりなんだから」
「俺も招待してくれる?」
「出来るかアホ」
「ひどい……一夜を共に過ごした仲なのに」
「誤解を呼ぶ言い回しをするな。あんたが勝手に私を連れてったんでしょうが」
「でもちゃんと返したよ」
「返せば良いってもんじゃない。攫うのが問題なの」
「うー」
この二歳児は本当に聞き分けないな……尻でも叩くか、木剣で。流石に骨折するかしら。尾てい骨はどの格好してても痛いって聞いた事がある。それを実行してしまおうか、半ば本気で考える私にユリウスは涙目でこっちを見上げてくる。二歳児。うーんでも。
「向こうでも何年か生きたわけでしょ、あんた」
「二十七歳で事故死に見せかけた自損事故起こしたよ」
「ミュージシャンか」
「あれ、知ってるんだ。ちなみにグレタちゃん何人?」
「日本って言う小さな島国よ」
「わぉ、同郷じゃないか。俺、フェアリーテイルって言うバンドのボーカルやってたんだけど知らない?」
は?
フェアリーテイル?
私が忙しい中インディーズから追っかけてた、あのフェアリーテイル!?
「ゆ、ユゥリ!? そう言えばいつも聞こえてくる歌がユゥリのソロだった、そう言う魔法かと思ってたけど生歌聞いてたの私!?」
「あ、知ってるんだ、うれしー。そう、そのユゥリです。相互理解が進んだ証として、ロープ解いてくれても良いよ」
「絶対駄目」
「ちっ」
ユゥリ、魔族だったんだ……。
フェアリーテイルは四ピースバンドで、私が一番好きなバンドでもあった。ボーカルでリーダーのユゥリ、サブボーカルとギターのリュウ、ベースのスミレ、ドラムスのキリト。年甲斐もなくライブでも黄色い声を上げていた覚えがある。だって格好良かったもん。曲も良かったもん。詩と作曲はユゥリとリュウが交代ぐらいでやってたけど、私が惹かれたのはユゥリのどこか混沌とした音楽だった。箸休めのリュウ、全力のユゥリって感じで。
でも時系列が合わない。あたしが生きてた頃、ユゥリはそれこそ二十七歳だったはずだ。グレタの中で二十年近く眠っていた私とは、圧倒的に合わない。
「……年が合わない」
ぼそっと感じたことをそのまま口に出すと、あー、とユゥリは――ユリウスは、脚を崩す。
「結構時間差が出るんだよ、知らない? 俺だって前回魔王やってたの二百年ぐらい前だし」
「にひゃくっ」
「魔族は長生きだからそんなに顔触れは変わってなかったけどね。でも今はタカ派とハト派ががんがん言い合ってて、魔王の俺でも止められないぐらいになってるよ。そのために、俺達の事を気にさせないために、ダイヤ鉱山の場所を教えたんだ。お陰で今はハト派が優勢。たった二百年で何がそんなに変わっちゃったのかねえ。曰く、こっちが先に攻めて来たんでしょ? 人間の領地に」
「そう聞いてるけど」
「別に人口問題とか働き口の整備とかが必要な訳でも無かったのにねえ。俺が帰って来た時は断然タカ派優勢だったよ。やっと持ち直して、領地の視察して回ってる所。でも疲れるからやっぱり癒しになるお嫁さんが欲しい」
「やだ」
「即答ッ」
「私が好きなのは、クリストファー様だもの。いくらあんたがユゥリでも、ユリウスじゃないわ。それに私の推しスミレだったし」
「ぐさぐさ刺して来るね!? みんな俺のファンだと思ってたのに……俺の作詞と作曲のファンだと思ってたのに……めげる」
「じゃあその歌で魔族をどうにか鎮めてよ」
「これが逆に昂っちゃうんだな、悲しい事に」
本当にぐったりとして見せたユリウスに、ぷっと私は笑ってしまう。魔王も魔王で大変らしいけれど、だからって無理矢理婚礼衣装着せたりネグリジェ着せ替えさせたりするのはアンフェアだ。ベネディクトさんなら何の感情もなく着替えさせてくれただろうけれど、ユリウスは下心満載だと思っている。それに肌を触れさせるのは、流石に気持ち悪い。爬虫類系より気持ち悪いってのも可哀想な言い方だけど、実際そうなんだから仕方がない。
「大体私の何が癒しになるお嫁さん要素なのよ。魔法も武器開発も力仕事も何にも出来ないわよ、私」
「いるだけで良いんだよ。そう言う人が俺にも出来た、ってだけ。ただ好きなだけじゃ物足りない? 案外我が侭だね、グレタちゃん」
「ちゃん付けすんな。それなら私だって恋してる人がいるんだから、あんたより積極的に動きたいのよ」
「セルシウス辺境伯? 俺の恋の邪魔は彼か」
「邪魔とか言うな。むしろ邪魔はあんたよ。しょっちゅうこっち側の領域に踏み込んで来るなんて危険を犯してまで、何がしたいの」
「結婚」
「だから」
「結婚してよ。グレタ」
「それは俺が許さない」
がちゃりと掛けていた鍵が開けられる音。やべっと思ってしまう自分。にやりと笑うのは、ユリウス。
開いた扉の奥では、シャツに革パンツ姿、剣を携えたクリストファー様が佇んでいた。
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