第22話
思いっきりのろけて見せると、父母はきょとんとした顔になった。クリストファー様はちょっと長い金髪をがしがしと掻いて、照れ隠しのような仕草をする。にこにこ笑って見せてパンを千切ると、はあっと溜息を吐いたお父様も同じように千切ったパンをスープに漬けて食べ始めた。味は悪くないはずだ。見た目はちょっと地味だけれど、人参が入っているからそれほど色味も悪くはない。キャベツは溶けちゃってて色が分からないかな。でもその程度だ。みすぼらしい、と言うほどのものではない。
大体少ない材料で切り盛りしてくれているコックさん達に失礼だろう、その言葉は。甘い玉ねぎを嚙みながら私はちょっとした苛立ちを抑え込む。急な来客もあったしで台所事情は悪いのだ。とは言うまい。
それにしてもグレタは恵まれてたんだなあ、嫁ぐまで。思い出してみると確かに朝からトマトだのパプリカだの色鮮やかな食卓だった。こっちに来てからはそれも不満だった覚えがある。ティータイムも無いし、夫は戦場と中央への書類仕事で忙しい。もしくは疲れを癒すのにぐーすか寝てる。退屈な夫人はドレスを仕立てることでその鬱憤を晴らしていた。
でも今は違う。私はグレタだけどグレタだけじゃない私になった。だからせめて旦那様の汚名は雪ぐ。美味しいでしょう、と父に笑い掛ければ、悪くはない、と低い声を漏らされた。よし。
「お父様たちはいつまで滞在なさるおつもりですか?」
「お前の気が変わるまでだ」
「それはあり得ません。私はグレタ・セルシウスだと昨日も申し上げたではありませんか。休戦になったところで実家に帰る意味もありませんし、まだ手当てが必要な兵もいます。私はここに残らなければならない」
「お前は小間使い代わりにされているのか!」
「違いますよ。看護は立派な仕事です。お医者様ほどでなくても必要な、手数の大切な仕事。大体、だから私は『白衣の天使』なんて呼ばれていたんですから、それを今更否定されるのは心外です」
肩を竦めると。父は顔を真っ赤にする。ちょっと禿げて来た丸い頭はハンプティダンプティを思い出させた。くしゃりと割れて元には戻らない。血圧の高い人だからちょっと心配になる。ここの設備では脳出血の治療なんてとてもできない。技術も無いだろう。当たって倒れたらもうおしまい、と言う世界だ。怖い怖い。
「お前はもう『白衣の天使』でなくても良いだろう! 他の者に任せれば良い!」
「私を必要としている患者がいる限り、『白衣の天使』なんて呼ばれ方は甘んじて受け入れるつもりです。戦後処理だって終わっていない。それだって手伝える限りは手伝うつもりです。出来なくても私に出来ることが皆無と言う訳ではないと思いますし」
「グレタ!」
すがるように呼ばれたけれど、私はスープを飲んでいたスプーンを下ろす。サラダは最初に食べ終えた。パンの残りを少ないスープに浸して。もむっと食べる。物事がうまくいかなくて癇癪を起こす患者には慣れているから、お父様は別に怖くもなかった。ただ、心配している事だけは受け止めよう。それには、感謝しよう。
「お父様。ご心配は本当に有難いです。でも私はここで何不自由なく暮らせています。やりがいのある仕事もあります。どうかそれを、奪わないで下さいませ。グレタはここでクリストファー様と一緒に居ることが、本当に幸せなのですから」
クリストファー様がこれ以上ないほど赤面しているのに気付かない振りをしながら、私は父ににっこりと笑いかけた。この笑顔には弱い父であることを私は知っている。そして確信犯的に使っている。お父様には悪いけれど、私だって譲れないことはあるのだ。私はセルシウス辺境伯夫人。その、グレタなのだから。
「大体お父様達だって、今更娘に出戻られても醜聞になるだけだと思いますわよ?」
ぐっと息を堪えるお父様。まだ若くてもバツが一つ付いた娘なんて市場での買値がぐっと下がる。そう言うものだ、社交界と言うのは。大体私が無名の貴族の娘だったらまだしも、『白衣の天使』として悪名――だよなあ――を轟かせているのだから、余計に目立っていけないだろう。
だからどうやったって私の居場所はここしかないのだ。たまの里帰りだって、クリストファー様が一緒に行くようにすればいい。そうすれば少しずつでも距離は縮まって行ってくれるだろう。
大体お父様たちだって、最初はこの結婚を祝福してくれたのだ。今更返せは無いだろう。辺境伯家は細々とした産油ぐらいしか特産品はなかったけれど、昔あった炭鉱の名残もちびちびと生きている。あとは農業と酪農を少しだ。今年の畑はちょっと期待できないけれど、だったら牛で食いつなげば良い。テールスープは大好きだ。
乳製品だって加工すれば色々と出来るだろう。バター、チーズ、生乳。他にも色んなものがある。チーズは色んな種類があるから、それで。バターだって切れてるものにしたりすれば便利で売れるだろう。
だから心配は何もいらない。冷たい水をくっと飲み込んでごちそうさまとしていると、私が一番早かった。次にクリストファー様。お父様とお母様はもそもそと、それでも食べ進めている。
「伝令! 伝令ー!」
突然響いた声にびくっとすると、クリストファー様が立ち上がった。玄関に向かうのに、私も気になるけれど、ゲスト二人を残してホストが誰も居なくなるのは行儀が良くないだろう。しかし何だろう、伝令なんて。ああ、そろそろ鉱山の方から何か出たのかな? 鉄鉱石とかが出れば、市場も賑わうんだろうけれど。
「グレタ!」
戻って来たクリストファー様が手に持っていたのは、黒い石だった。やっぱり鉄鉱石? 否、それにしてはキラキラした透明な部分が目立っている。もしかして。
ダイヤの原石?
って事は、ダイヤ鉱山!? ダイヤで示されていたからって、そんなもんぽんと一つ寄越すとか、何考えてんだあの魔王!? いや有り難いけれど! 目立った産業がないこの地方ではダイヤ鉱山なんて有難くて仕方ないけれど、一晩魔族の看護をしただけでこんな、こんな!
「例の鉱山だが、ダイヤの原石がごろごろ出て来ているそうだ! これでお前にももう少しましな指輪やネックレスを作ってやれる!」
「その前に市場に流して適正な価格で買い取って下さいね。見付けたもん勝ちは無しですよ、経済的に」
「うっ。だが見ろ、このダイヤ、ピンク色をしている。珍しいものに違いない。透明度の高いものもあるらしいが、お前はどちらが好きだ?」
ピンクダイヤって確か凄い珍しいんじゃなかったっけ。その原石。研磨師に頼らないと最終的な値段は付かないだろうけれど、下手すると何百万もするだろう。それを買い付けに中央から人が来る。そうすると町が潤う。野菜だってお肉だって買えるようになる。
もしかしたら私のウェディングドレスだって。
いやいや、贅沢はしちゃいかん。まだ戦禍の痕は大きい。先にそちらに回さなければ。市場はくるくる回さなければ。そうしたら来年は、もっと美味しいごはんが食べられる。
呆気に取られているのはお父様達の方で、父は懐から眼鏡を出し、クリストファー様が持って来た原石をまじまじと見つめる。そして呟く。これは。声も出ないぐらいに上質だったのだろうか、だったらちょっとは見返せた気がする。昨日から怒られてばっかりだったから、ちょっとは胸を張れた。
そう言えばあのドレス、他にも小さなダイヤが埋め込まれていたな。後で地図と照らし合わせて見てみよう。しかし一気に大富豪じゃない。戦闘ばかりが押し付けられている魔族との国境線と言うハズレ籤な辺境では、鉱物資源と言うのは有難い。宝石だけど。
取り敢えずはしゃいでいるクリストファー様がなんだかいつもより幼く見えてどっきりしたのは、胸の奥にしまっておこう。
私の事も考えてくれた嬉しさも。
笑っていると、お父様達がぐったり項垂れてかちゃんとスプーンを落とす音が響いた。ちょっと悪いことしちゃったかな。こっちも私を心配して最速で駆け付けてくれた人たちだけに。
だけど今、私が一番好きなのはクリストファー様だから。
そればっかりは、許してもらいたい。
「無色のダイヤで構いません。大きくなくても良いです。あなたが私に、下さる事が何よりのプレゼント条件なんですから」
ふにゃっと笑ったクリストファー様は、案外幼い顔も出来るのかもしれない。
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