第21話

 お父様たちの馬車が屋敷に着いたのは夜遅くの事だった。とるものもとりあえず私の無事を確認してぎゅっと抱きしめてくれた体温に、なんとなく安心してしまう。クリストファー様に感じたものとはまた違う安心感のそれに、やっぱり私はお父様の背に手を伸ばしてぽんぽん、と撫でていた。おそらく一番悪い想像をしていただろうお父様とお母様には、精一杯自分が元気でいることを伝えなければなるまい。


「大丈夫ですわ、お父様、お母様。グレタは無事です」

「しかしそのドレスは? 黒衣なんて持っていたか、お前。もっとパステルカラーのものばかり好いていたと思ったが」


 やべ、そういや着替えるの面倒でそのままだった。


「ちょっと魔族の城に連れて行かれまして……、ほら、この金糸の刺繍、この辺りの地図になっているんです。一番大きなダイヤを埋め込んでいる所が、まだ生きている鉱山かも知れないって、クリストファー様が」

「魔族に? グレタ、お前魔族に黒衣のドレスを着せられたのか?」

「はい、そうなりますね」

「クリストファー君! これはどうなっている!?」

「お、お父様?」


 怒鳴り付けられたクリストファー様が神妙な様子で俯いている。お父様より随分背が高いはずなのに、今は小さく見えた。何か問題があったのだろうか。解らずに私はおろおろと二人の顔を見比べてしまう。


「魔族の婚礼衣装は黒だと聞く。君はグレタを魔王の嫁にしたのか!?」

「ええっ!?」


 知らなかった私は慌てて服を確かめる。プリンセスラインのドレスは確かに見ようによっては婚礼衣装にも見えた。クリストファー様との婚礼の儀すらまだの私にそんなものを着せられていては、確かにお父様が怒るのも道理だろう。


 でも私はこれを自分の意志で着たわけでもないし、クリストファー様が着せたわけでもない。完全にユリウスの悪戯心だろう。そんな事で怒られてしまうのは流石にクリストファー様が哀れに見えてしまう。夜通し馬を走らせて、もしかしたら休戦の状況すら引っ繰り返す覚悟で来てくれた人に、それはあんまりだ。


「奥様、奥様ご無事ですか? 何かされたりしませんでしたか? ああもう魔族の連中片っ端から引っ叩きたいです、うう~」


 父母と一緒の馬車でやって来た私付きのメイドはまだ泣いている。とりあえず彼女の涙を止めるために、私はやっぱり抱きしめて背を撫でた。堰が切れたようにまた泣きだされて、どーしたもんかと思う。腕の中には号泣するメイド。目の前では喧嘩する父と夫。お母様もクリストファー様を睨んでいる。


「取り敢えず! 私は何もされていませんし何ならこのドレスだって今すぐ脱いで暖炉にくべても構いません! クリストファー様もお疲れなんですから、お父様たちも今は引いてくださいませ! 私は、私の名前はグレタ・セルシウス! セルシウス辺境伯夫人です!」


 大声で宣言すると、しぶしぶお父様たちは客間へと案内されてくれる。クリストファー様を見ると、目元を赤くしていた。昼から寝ていたから眠いわけじゃないだろう。まさか悔し泣き? 何にも言い返せなかったから? それともこの人も、それだけ私を心配してくれていた?


 聞いてみたいけれど流石にそれは不躾だろう。心配した、安心したと言ってくれた人だ。疑いようもない、私の夫だ。だけど、だからこそ、自分の無事を伝えたい。こんなもの着せられてても、あなたのものだと言い聞かせて差し上げたい。余計なお世話かも知れないけれど、それでも。


「クリストファー様」

「……グレタ」

「私は何を着せられようと、あなたの妻です。お父様たちが何を言っても、あなただけの花嫁です。どうか信じて下さいませ」

「……お前の方が心配しているようだな、これでは」

「案外そうかもしれませんわよ?」

「グレタ」

「冗談です。でもクリストファー様がご心配になることは、本当にされていません」


 まあドレス一着血まみれお陀仏にはさせられたけれど、その程度だ。ドレスなんて山ほど持っている。なんといっても辺境伯夫人で、金食い虫のグレタだったのだから。それに、休戦になったのだからもう白いドレスだって要らない。この黒いドレスは、もっと要らない。


「そろそろ私達も休みましょう。明日はもっと大変なことになっているかもしれないけれど」

「はい、解りました奥様」

「あ、っと、このドレス後ろはボタンで留めているみたいだから脱ぐのを手伝って頂戴な」

「はい、奥様!」


 まだちょっと鼻水が出ている私付きのメイドは、それでもにっこり笑って私に顔を見せてくれた。本当、良い人達に恵まれている。グレタは恵まれていた。それを自覚できないぐらいには、愛されていたんだろう。意識の奥で私が眠っている間は、ずっと。私には記憶しかないのがちょっと虚しいけれど、今からだって遅くはない。年に一度程度は里帰りして、それ以外はこの辺境伯家の夫人として過ごせば良い。偶にエーギルさんの前では真珠に戻ったりもして。


 そうして生きて行ければ、ラッキーだと言うものだろう。白衣はもういらない。私はもう前世の知識を駆使したりしないで良い。社交のシーズンの事も考えなきゃな。もっとも今から冬を迎えるこの国では、まだまだ後でのことになるだろうけれど。それでも出来る事はしなきゃ。


 私がこの世界に来た理由が休戦にあるのだとしたら、その役目は終わろうとしている。だけどユリウスがちょっかい掛けてくる可能性だって十分にある。なんせあんな大粒のダイヤが入ったドレスを着せてくれてるんだから、これからも気を付けなければなるまい。脱いだドレスを型崩れしないようにトルソーに着せて、私はメイドを出し、夜着に着替える。昼まで眠っていたからか、あんまり眠くはなかった。


 でも、無理やりにでも眠らなきゃ目の下にクマが出来てしまう。それはお父様にクリストファー様が怒られる原因になってしまう。無理矢理にでも寝ないと。


 と、うんうん唸っている所で、懐かしい歌が聞こえた。

 バルコニーからだろうか、外で誰かが鼻歌を歌っている。

 懐かしい。懐かしむほど時間は経っていないけれど、そけは私の世界の歌だった。

 好きだったバンドの曲。

 すっかり力が抜けた身体は、その鼻歌で羽根布団に包まれることでゆっくり眠りに向かっている。

 あれ、待てよ、そう言えば――。


 うとうとしながら大きな欠伸が出る。そのまま眠ってしまった私は、ピンクのネグリジェ姿だったはずだ。少なくとも、眠る直前までは。


 朝起きるとそれは真っ黒になっていたけれど。

 メイドが起こしに来る前に慌てて脱いで、藍色のデイドレスに着替える。あぶねー。やっぱり信用出来ねー。あの歌が私をリラックスさせるための魔術だとしたら、まんまと嵌ってしまった事になる。そしてユーリの求婚は割とガチだと解ってしまった。冗談じゃないわ。馬鹿言ってんじゃないわ。ガチだわ。


 食堂に向かうと私が最後だったようで、もう父母とクリストファー様は着席していた。私も座って、そう言えば休戦式でもごちそうはあったよな、と思い出す。うちの領地では食べられないものもあったから、ちょっと惜しかったな、なんて呑気に思う。運ばれて来たのはいつものスープとパン。肉が入ってるのが嬉しい、なんて思っていると、お父様が曇った顔でクリストファー様を見た。私も手を付けるのを一旦止めて、二人の様子を見る。


「これは我々に対する抵抗かな? クリストファー君」

「いいえ、辺境伯家のいつもの食事です」

「そうなのかい? グレタ」

「そうですよ。今日はお肉が入ってるだけ豪華な方です。まだ傷病兵も別室にいますから、主も贅沢は出来ません。ね、クリストファー様」


 はあーっと長い溜息を吐いたお父様は、信じられないと言った様子だった。材料があればここのコックは良いものを作ってくれるけれど、なければ仕方ない、質素にならざるをえまい。先日の支援物資で少しは良くなった方なのだ、これだって。


 でもグレタの両親の領地は肥沃で広いから、色んな野菜が取れるし酪農も盛んだ。それに慣れていれば、これは残飯みたいに映るのかもしれない。じっと私を見ていたのは父母だ。クリストファー様は黙々と食べているから、私もそれに倣う。頭を振って頭痛を払うような仕草を見せたお父様は、もそもそと柔らかいパンを食べた。単品同士で食べればどれだって美味しいのだ。バターが入っててそれが中で蕩けているバターロールだって。


「クリストファー君。この暮らしはいつまで続くのかね」

「野菜の収穫が終わるまでは」

「それはいつかね」

「お答えできません。この所の戦火で畑も傷付いているので」

「……グレタ! この男を捨てて私達の元に帰って来なさい!」

「へ? 何でです?」

「うちに来ればもっと良いものも食べられるし、綺麗なドレスも買ってやれる! 正直辺境伯家がこれほどみすぼらしいとは思っていなかったし、お前の強い要望があったが、これでは娘が不幸になるだけだ!」

「何を仰るんですお父様」


 にっこり笑って私は応えた。


「好きな人と一緒に居られれば、それで天国と言うものですわよ」


 クリストファー様がスプーンを落とす。

 その顔は真っ赤になっていた。

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