第17話
王城に着くと夕方だった。冬の日の入りは早い。慌ててメイドさんに手伝ってもらいドレスを着て、髪を上げて貰ってお化粧を済ませた。クリストファー様は別室で甲冑を整えている。何があるか分からないから、パーティーでも甲冑姿だ。火竜の皮で出来たそれは、かなり頑丈で、加工も大変だったと言う。そんなものを持って来ているのだから、やっぱりあの手紙は信用していないんだろうな、と思わされた。『戦いに飽きた魔王』なんて人かが本当に来るのだろうか。来るとしてその要件は? 休戦協定? 降伏?
白いドレスをふわりとさせる。鏡の中を見ると、いつか以来見ていない貴族の令嬢姿だ。否、夫人だっけ。今の私は。それにしても本当、お化粧一つで化けるよなあ。
私付きのメイドの子はこんな技術も持っていたのか。ぱたぱた頬に白粉をはたかれて、目を閉じる。全体が薄くなってけばけばしい印象にはならなくなった。自分がブルベかイエベかすら知らない私には、下地を塗っただけで白くなる頬が驚きだった。ちょっと子供っぽく紅い頬をしていたのに、それがさっぱり。プロって強い。
白いドレスはそんなに派手じゃない。そもそも私がこれを最初に選んだのはなるべく地味な物だったからだ。デイドレスとの中間ぐらいの地味さ。派手なレースはパステルカラー、裾が長いだけのパーティードレス。
場所が場所だしもっと派手なのでも良かったんだろうけれど、向こうが『白衣の天使』を御所望ならこれぐらいしかないだろう。流石に普段のワンピースはTPOに合っていない。しかし何で私なんだろう。戦っていたのはクリストファー様達だ。クリストファー様が呼ばれるのは当然かもしれないけれど、私は全く関係ない。
あの戦場の、あくまで後方支援だったのが私達だ。自分達の兵の手当てはして来たけれど、魔族に何かしていたことはない。魔獣からも逃げたし、そう、精々攻撃立案の種をちょっと出したぐらいだ、私個人の活躍なんて。活躍。
戦場での活躍とは命をいかに効率的に奪うかだ。そんな私を魔王はどう見るだろう。憎い仇にしかならないんじゃないだろうか。もしかしたら殺されるための死に装束として白を指定して来たのかも、と思ってゾッとする。出来ればまだ死にたくない。でもそれは魔族だってそうだっただろう。だから私たちはいがみ合う。
暮らす場所を求めていがみ合う。土地を求めていがみ合う。でもそんなのはどっちも同列なのかもしれない。なんて言ったら私は人間の裏切り者になってしまうだろうけれど。だから言わない、言えない、誰の前でも。
それにしても魔王ってどんな相手なんだろう。やっぱりゲームなんかに出て来るように竜王っぽいもの? 翼があって固いうろこで覆われて、巨大な羽を持っていて。竜の一族は魔王に付き従うって聞いた事があるから、そんな感じなのかな。
コンコンコンコン、とノックされて、はい、と応える。入って来たのは兜だけは付けていない鎧姿のクリストファー様だ。私の姿を見てちょっと頬を赤くする。珍しいな。私がグレタだった頃はどんなに着飾っても無関心だったのに。少しはこの人に愛され始めているのだろう。あんなキスもされたし。そう思うと嬉しくて、にっこり笑ってドレスの裾を広げ、頭を下げてみる。クリストファー様もぺこりと一礼して、私の方に手を伸ばして来た。
エスコートだ。これも初めてだな、思いながらちょっと嬉しくて頬を綻ばせてしまう。メイドさんは微笑ましく私たちを見ながら、お化粧道具をしまっていた。
さていざ大広間へ。既に大勢の貴族が集まって色とりどりのドレス達中に入って行くと、ひとっそ噂されるのに気付く。
「あの子が『白衣の天使』?」
「なんでも戦場では後方の手当てを担当していたらしいけれど、貴族の夫人がすることではないわよね」
「しかも魔王の名指しで呼ばれたんでしょう?」
「報復に殺されるかもしれないわね」
「それにしてもクリストファー様は相変わらず凛々しくしていらっしゃるわ」
「あんな小娘だからさっさと離縁するものだと思っていたのに」
「まあ一応子爵家の令嬢だったのだものね、言い出しづらくはあったんでしょう」
そこかしこから聞こえるのは妬み僻み。グレタだったら癇癪ものだけど、私はさらっとスルーすることが出来た。こっちは見た目よりいくつか歳を食っているのだ、そう簡単に腹の内を見せて堪るものかよ。わざとそちらを向いてにっこり笑って見せると、途端に夫や父親の陰に隠れる令嬢や婦人たち。でもその盾がこちらにやって来るのだから、堪らないだろう。やあ、と声を掛けて来るのは後方支援者や貴族たちだ。
「このまま休戦に持って行ってくれれば良いんだがなあ」
「しかし魔王とは如何なる者なのだろうな。文献を漁っても姿は一定しないようだし」
「そもそもこの広間に入って来られるものなのか?」
「人語は解せるのか?」
「『白衣の天使』をどうするつもりなのだろうな」
「ああ、グレタ」
へ、と呼ばれてそっちを向くと、こっちの世界での私の父母が立っていた。黒い燕尾服のお父様に、薄紅色のドレスのお母様。二人は心配そうに交互に私に抱き着き、背をぎゅっと撫でた。
「お前が『白衣の天使』だったなんて。突然戦場からそんな報が届いた時は驚いたが、しっかり成長したのだな。立派な貴族の夫人だ。だが自分で手を貸すことなどないだろう。メイド達にやらせれば良い話だ。それを下手に出張ってしまったから、こんな危険な場所へと名指しで招待されてしまって――ああ、グレタ! 私達の愛しい宝石のお前がどうにかなってしまったら、私はどうしようもなくなってしまうよ!」
グレタ、と母も涙目になっている。メイク崩れるからやめて下さいって、お二人とも。とんとん、とこちらからも背を叩くと、お父様はやっとハグを止めてくれた。ヒールのある靴を履いていない私よりちょっとだけ目線が上の、小柄な紳士だった。こんな良い親に心配かけちゃなんねーな、今も伝わっていた心音は不整脈気味だったし。下手をすると本当、命に係わるかもしれない。
しかし宝石かあ。また大それた言い方をするなあ。そう言えばこの人達がグレタをちゃんと自立させなかったのが、そもそもの問題でもあったんだよな。せめてそこはフォロー出来るように、私はにっこり笑って見せた。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様。グレタはどんな危険に遭っても諦めませんし、何よりクリストファー様が付いていてくださいますもの。私は大丈夫。それよりお父様、ちゃんと薬は飲んでいますか? 顔色が優れませんわ。苦いとか不味いとか子供のようなことは仰らないで下さいね」
「うっ。それは、その」
「そうなのよグレタ、この人三日に一度も飲めば良い方で。何かいい方法はないものかしらねえ」
「錠剤なんて一気飲みにしてしまえば良いだけですわ。今も持って来ていらっしゃいます? 大量の水で飲んでみて下さいな」
「うー」
「子供みたいなことは仰らないで下さいね?」
「娘に子供扱いされるのも癪なものだぞ、グレタ。どれ、……!」
「どうです?」
「す、少ない量で飲むよりはましだな」
「でしたら炭酸水はどうでしょう。こちらも一気に、がネックですけれど」
「……グレタは本当に、『白衣の天使』になったのだなあ」
「あら、私はいつまでもただのグレタですわよ。お父様たちの娘のグレタですわ」
「そうか、……お前を変えたのはクリストファー君かい?」
「それは、秘密です」
手袋に包まれた手指で口元にシィ、とする。お父様はむず痒そうな顔で、私を見た。お母様も少し訝し気にしたけれど、結局は苦笑いになった。
「ウルリカの鎧か」
唐突にホールの中に響いた低い声に、全員がビクッとする。鎧をガチャリと言わせて、クリストファー様は私を背中に隠した。
シャンデリアが揺れて、その上に座っていた人物が背中の黒い羽を上手に使って降りてくる。
蝙蝠のような羽。黒い髪は肩ほどまでの長さ、黒いタキシード。血色の悪い顔に、エーギルさんより濃い青の目。
誰が思うだろう、それが『その人』だなんて。
端麗な容姿で私達の前に現れたのは、
魔王――だった。
「こちらを蛮族扱いしておきながら、倒した敵の皮を剥いで鎧にするのは違うと言う。まったく、人間と言うのは面白い」
くっくっく、喉で笑って、二十四・五歳に見えるその人はシニックな態度を崩さなかった。
「魔王ユリウス、参上仕った」
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