第16話
王城から早馬が届いたのは二日後だった。そろそろこの世界に着いて十日目を迎えようとしている私は、相変わらず白いワンピースで傷病兵の手当てに走っている。とは言え重傷者はほぼ居なくなり、みんな良くなりつつあるところだ。メイドさん達に任せても大丈夫なぐらい、怪我は治りつつある。
ワセリン組はやっぱり治りが早いと驚いているし、骨折組はだんだん生活をしやすくしているようだった。両腕骨折の人はまだ食事介助が必要だけれど、それ以外には問題ないらしい。良い事だ。今は本も読める程度にはなっている。書庫は解放して、みんなに出入り自由になってもらった。兵法書とかに混じってたまに娯楽小説もあるので、それを読んでみんなは穏やかにしている。
早馬が持って来たのはパーティーの招待状だった。曰く、魔王と対面するにあたってパーティーの形式をとることになったので、『白衣の天使』も一緒に連れてきて欲しいとの事。何で私も? と疑問が走ったけれど、まあいい。いつかの白いドレスで行こう、とクリストファー様は言った。『白衣の天使』の噂は王都までとどいているのかと思うと小恥ずかしさがまた湧いて来るけれど、客観的に見てグレタは美人な方だと思うから、天使って言ってもまあ許されるだろう。
ドレスの着付けや化粧の為に私付きのメイドを連れて、旦那様はもしもの為に仕込み杖を持って(そんなの持ってるとは知らなかった)、馬車を走らせ王都に向かう。大体二日ぐらい掛かるらしい。援軍の兵達はほぼ歩兵だったから一週間も掛かったんだろうな、と思う。そのハンス卿には辺境を任せて来た。実戦経験こそ少ないけれど、彼も優秀な兵であるらしい。ご武運を、と言われたけれど別に喧嘩しに行くって決まったわけじゃないから、曖昧に笑っておいた。
しかし本当、何で私まで。ごとごと動く馬、うとうとしているメイドさん、体力の温存に寝入ってしまっているクリストファー様。私は一人起きていつもの白いワンピース姿。着替えは少ない方が良いと思ってのことだ。それにかさばらない。いちいちデイドレスを持って来るのも面倒だし、私はこれで良い。お化粧もしていない。本番で恥を掻かなければ良いだけだ。もっともどうなるのかは分からないけれど。
魔族をたくさん殺したことで恨まれてる? ぐさーっと刺されたりする? なるべくクリストファー様の近くにいよう。何かが起こっても良いように。何が起こっても良いように。でもそれって盾にしてるみたいでどうかとも思う。
大体魔王をパーティーで持て成すって言うのが訳解んない。お互い死人も出てると言うのに、今更そんな呑気なことしてる場合じゃないだろう。二年だ。戦争としては短いのかもしれないけれど、食糧事情は悪くなったし物価高にもなった。どうにか農地経営はしているけれど、それも魔物に怯えながらの作業だ。否熊だったら北海道辺りと同じだろうけれど。犬を連れて行くと良いらしい。その内教えてあげよう。もっとも犬に与える食事もままならないとしたら、銀行に投資してもらうしかないだろうけれど。
本当に終わるのかな、戦争。こうして私達が移動している間に魔族が攻めて来ていたら、どうしよう。ちょっと心配になってみたりもするけれど、だとしてももう王都への道を半分は過ぎている私たちには何も出来ない。メイドさん達には手当の仕方を簡単に教えて来たけれど、それが役に立つ状況というのもちょっと嫌だ。
なるべく穏便に事が終われば良いのだけれど、と思っていると、今日宿泊予定の宿に着いた。既に戦地とは遠くなって、賑わっている町である。ちょっと馬車を走らせただけでこんなに平和だと言うのなら、私達も戦ってきて良かったと思うべきなのだろう。達。いや、私はほぼ何もしていないけれど。だってここに来て十日だし。殆ど看護の仕事してただけだし。そしてそれは私にとって、当たり前の事だった。仕事だった。
強いて言うなら傾聴には力を入れていたけれど、それぐらいだ。後は石弓と気球の初期稿にちょっと関わっただけ。ほんのちょっとだけだ、それも。私は私に出来る事をしたけれど、それが戦況に影響を与えたとは思わない。
でも向こうがそう思っていなかったら、私は白衣の天使どころか白衣の悪魔だよなー。起こしたクリストファー様とメイドさんと一緒に宿に入ると、荷物を預かってくれる。火竜の鎧を持ったクリストファー様と、メイドと、得体のしれないすっぴんの小娘。宿の人はちょっと戸惑っていたけれど、軽くスルーして部屋に案内してくれた。
と、そこがダブルの部屋で、そうだ私既婚者だったな、と思い出す。ツインにして欲しいとは言えないだろう、この状況で。部屋に足を踏み入れ、はーっと息を吐く。こういう宿屋さんに入るのは初めてだ。木のベッドの温もりが良い。でもここでクリストファー様と一緒に寝るって言うのはちょっとその、気恥ずかしいなあ。まあ明日を控えているのだから無茶なことはしてくるまい。
食事が運ばれてきて、ポトフによく似たそれにお腹がきゅうっと鳴る。昼抜きだったからお腹が空いているのだ。途中の村には食堂が無かったから。小さな村で自給自足だったから。
ちょっと恥ずかしがってみると、クリストファー様は笑う。本当、優しく笑うようになったよなあ。綺麗な瑠璃色の目。この人に一目惚れをしたんだった。私はこの人を選んだんだった。選んだ? 押し掛けて怠惰に過ごしていただけじゃなくて?
この人にだって選択肢はあっただろうに、子爵令嬢なんて微妙な所を選ばなくたって良かっただろう。では私もこの人に選んでもらえた、と思っても良いのだろうか。部屋にある簡易テーブルで向かい合いながら夕食を共にする。いつもよりずっと近い距離で、その唇の荒れも気になるような距離で。
この人に選んでもらえたのなら、嬉しいなあ。
選び選ばれていたら、嬉しい。
でも私はグレタだけじゃなく、黒井真珠でもあるのだ。
ちょっとまだそう言う事には怯えている、小娘なのだ。
「美味いな」
「はい。お野菜がこんなに食べられるなんて、久し振りです」
「王都から帰る段になったら、来年の作付け用の種も買って行こうか。お前は何か好きなものがあるか? グレタ」
「フライドポテト」
「ふらい?」
しまった本音が出た。でも好きなのよ。
「じゃがいもが好きです。煮たり揚げたり茹でたり」
「揚げる、はあまり聞いた事が無いな。今度城のコックに頼んでみるか」
「ぜひぜひ。パンもバターが蕩けて美味しいですね」
「うちの領ではバターが溶けないと言われているからな。寒すぎてトーストにしか付けられないとか」
イギリスかよ。ちょっと笑ってしまうと、クリストファー様も笑う。そういえば乾パンが出たこともあったな。牛乳に浸して食べるとかで。あれは流石にちょっと固くて、不味かった。だから救援物資は大層喜ばれたけれど、倍以上に増えた兵達相手に何日もつんだろうとはちょっと気になる。城の裏の畑で賄えるだろうか。いざとなったら買い出ししてくるよう、コックには私が持っていたダイヤの指輪を渡して来た。換金すれば結構な額にはなるだろう。一カラット以上はあったし。
魔族の砦にも五十人ほど残して来たけれど、大丈夫かな。夜は気を付けて欲しい。何が来るか分からないし。あの手紙を信じろと言う方が無理だろう。本当にもぬけの殻ではあったけれど、夜は魔族の時間、うかうかうとうとうとはしていられないし。大変な所に志願してくれた若い兵達の気遣いが嬉しい。
食事が終わってナプキンで口元を拭きごちそうさますると、給仕係の人が良ければどうぞと牛乳を持って来てくれた。お酒は飲まない誓いを立てたので、これは嬉しい。一口飲んでみると私の知ってる牛乳と違った。ほの甘くてまろやかでちょっと温かくて美味しい。
搾りたてってやつか。こんなに美味しいとは思わなかった。ほーっと一気に飲んでしまうと、くっくっくとクリストファー様が笑う。とんとん、と自分の唇の辺りを撫でて見せるから、私も触ってみると、牛乳ひげが付いていた。慌ててハンカチで拭うと、くくくくくっと本当におかしそうに笑われる。
ぷう、っと膨れて見せると、ポットに入った牛乳をもう一杯注いでくれた。あーもう、飲んじゃえ飲んじゃえ。牛乳は冷えるほど不味くなる、と聞いた事もある。城にも厩舎はあったけれど、搾って貯めたものしか出されてこなかったんだろう。こんなに美味しいものだとは。
クリストファー様も一気に飲んでしまう。ぷぴ、と飲み干した顔はやっぱり柔らかい。今度は私がクリストファー様に注いだ。空になったポット、飲み干した牛乳。私はトレイにポットとコップを乗せて下げていく。
夜は何にもされなかった。ちょっとドキドキしていたけれど、眠気には勝てなくて、結局眠ってしまった。こめかみにキスされたような覚えはあるけれど、夢か現かは分からなかった。
そして宿を立った次の日の午後、私達は王城に辿り着く。
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