第15話
装備も充実し、旦那様は火竜の鎧を身に付け、ハンス卿達も鉄の鎧を着、城に詰めていた人々は青銅の鎧を着けてザッと庭に回った。剣を佩いている者もいれば、小型化した石弓を持っている人もいるし、資材運びの荷車を構えている人も人達もいる。
時間は昼間。魔物の動きが鈍っている所での奇襲だと言う。確かに大傷を負っている所に奇襲までやられたらたまったものじゃないだろう。今までにも機会はあったけれど、今がその時だと言うのを待っていたらしい。それがこの日だった。進軍を決められる日だった。
もっとも負傷兵はまだ多い。それでもハンス卿の連れて来た二百人の兵たちは、頼もしいものだった。若者も多ければ十年前にここで戦ったと言う人もいる。歴戦の兵がいればペーペーの新人君もいる。ごちゃまぜだけれど悪くない。
私はいつもの白いワンピース姿、これも着る機会が減ったら良いんだけれどな、思いながら『白衣の天使』なんて字名を嫌がってみる。私は私、今はグレタ・セルシウスなんだから、それらしくしていなきゃ。でも私らしくってどんなだろう。結局グレタのような真似は私には出来ない。宝石だって買った事が無いし、ドレスのオーダーメイドなんてしたこともない。ダンスは足が覚えているけれど、まだ暫くは使わないだろう。何でも人にしてもらって、なんて考えたこともない。辺境伯夫人としてのグレタは社交的だったけれど、城でのグレタはぐうたらだった。白衣の天使、なんてとんでもないほどに。
でも今は私がグレタでその名を得てしまったんだなあ。じれったい、じれったい。社交術なんて知った事じゃない。大体戦争が続く限りは社交界もやっていられないだろう。まずは平定に注力。でなければ国境戦なんて、すぐに攻略されてしまう。兵はいるけれど無限じゃない。大体今回の援軍だって、一年ぶりだ。一年前は五十人だった。城詰も五十人。合わせて百人で一年間やって来た。
でもそれじゃ埒が開かないからと、クリストファー様は増援を要請した。そして来たのが二百人。一気に片付けられるだろう人数。後方に送った怪我人もいるけれど、三百人弱なんて圧倒的な数なら敵も逃げるだろう。
ざっ、ざっと兵達が行く。先日より少し安堵した様子で見守る私たちは、相変わらず無事を祈るだけ。どうかどうか、クリストファー様達にお怪我が無いように。あっても少ないように。気球が上がる。やぐらの建材が運ばれる。石弓隊が行く。どうかみんな、無事でいて。
祈るように指を組み合わせながら、私はその後姿を――
……。
目で追いかけていたら、すぐに帰って来た。
「え。えええええ!? え、ちょっと待ってみんな、どしたの!?」
思わずおノーブルらしくない口調で訊ねてしまうと、それが、と困惑した兵達にも、よく状況が分からないらしい。馬に乗って戻って来たクリストファー様の手には、書面があるようだった。古臭い羊皮紙のそれ。クリストファー様も困惑しているようで、馬の上から私にそれを見せた。
『ようこそ魔族の砦へ、若き君主。
残念ながら我々はこの地を捨てて撤退することとした。
詳しくは王城に伝書鳥を飛ばしておく。
無駄な戦いに飽きた魔王より』
……。
「めっちゃ自分勝手な魔王ですね!? って言うか自由! 自由過ぎる! そっちが攻めて来たのに勝手に撤退しちゃうとか何事!? 怪我人がいないのは良いけれど、それにしたってこれはない!」
「ない! 無いですよなあ奥様、このハンスもそう思います! 半年前から準備してやっと辿り着いたと思ったらもぬけの殻! そんな理不尽があってたまりますか! 士気もただ下がりが良いところですよ! せっかく昨日盛り上がったと言うのに!」
「まあハンス卿もグレタも静かに、馬が興奮する。王城からの連絡を待つしかないな、これは……皆は一応鎧を着けて、交代で見張りをしていてくれ。こんなのはったりで、武装解除しているところを狙われたらたまらないからな」
「城の外階段の石弓にも人を割いておきましょう。寒いから懐炉でも作ろうかな……」
「カイロ?」
「まあ温かくて重宝するものです。炭も残ってるし丁度良いでしょう。しかし自由過ぎる魔王……もっと厳格で固いものかと」
「俺達もそう思っていたんだがなあ。まあ、戦争の最中に居なくなる魔王だったしな、元々」
何してたんだろう、本当気になる。
しかし気の抜けた兵隊さん達が哀れだ。命も捨てる覚悟でやって来たんだろうにまさか『チャオ♪』されてるなんて思いもよらなかっただろう。死ななくて良かったのは良いけれど、これはこれで納得が行かないと言うか、不完全燃焼と言うか。どう受け取ったら良いのか分からないよなあ、そんな手紙。
「ちなみに砦までは行けたんですか?」
「ああ、魔獣も魔族も無く。不自然なほど静かで、いざ乗り込んでみたらこの書置きが貼り付けてあった」
「国境線は奪い返しておいた方が良いですから、そちらに何十人か置いておいた方が良いのでは」
「それもそうだな……かつての魔王との取引で決めた国境線だ、俺達が奪い返してもそれは戻ったことになるだけだろう。進軍は無しとしておいた方が今は良さそうだ。もっとも王城からの返事待ちなのは、変わらないが」
「そうですね……なんか頭一つ飛び抜けて行かれたみたいで納得しないですけど、そうするのが良いと思います」
まああたら若い命を救ったという点では魔王にも感謝しておかないといけないのかもしれないな、思いながら私はうんうんと頭を悩ませる。気球も下ろして、アクセルさんやバルタザールさんは複雑そうな顔をしていた。エーギルさんだけがけらけら笑っていたけれど。いや笑い事かなこれ。まあ笑えない事ではないけれど、積極的に笑う事は出来ない……複雑な感情だ。
魔王が『無駄な戦い』と称するのも微妙だし、って言うか仕掛けてきた方にそう言われるのも微妙だし。何もかもが微妙だった。メイドさん達は嬉しそうにきゃっきゃとはしゃいでいるし、若い兵も笑みを漏らしている人たちが多いけれど、これはこのままにして良い事なんだろうか。
王城に飛ばされた書面は一体どうなってるんだろう。同じようなことが軽い調子で書かれているのだろうか。そしたら王様も流石にぶっ倒れるかもしれない。元気なおじちゃんだったと記憶しているけれど、それでもこれは流石におったまげても良いだろう。二年続いた戦線だ。今更なかったことには出来ない。確実に人間と魔族の間に亀裂が残っている。もっとも、そんなのは何百年も前からある古傷みたいなものなんだろうけれど。
それにしても唐突過ぎる戦線の消滅に、私たちは茫然とするしかない。取り敢えず。
「病室に行って、この事を負傷兵の皆さんにも教えましょう。それと、はしゃぎ過ぎた人の手当て。傷病兵がゼロになったわけではないのですから、そちらに今は集中しましょう。幸い食料もありますし、ちょっとしたパーティーを開くのは良いかもしれません。勿論、ほどほどに、ですけれど」
「はい、奥様!」
「みなさーん、戦争が終わりましたよー! 敵の無条件降伏ですよー!」
いやそうなのかなこれ。取り敢えず懐炉は面倒だから温石にしよう。その方がこの時代には合っている。
それにしても、戦争って突然始まってあっさり終わるものなのかなあ。それで良いんだろうか。グレタの記憶には死んだ兵達の顔もぼんやりとだがある。勿論クリストファー様だって沢山の魔族を殺して来た。戦争なんて結局お互い様なのかもしれない。でも仕掛けてきた方が悪いのは知ってる。そして抗わなければ何もかもを奪い尽くされるだろうことも。
だとしたらそれに飽きてくれた魔王は常識的判断力を持っているのかな。そうだと良いけれど、と、私はちょっとクリストファー様の乗る馬に背を預けてみる。それから、はぁーっと息を吐いた。
脱力だ。こんな書面一つで何もかも終わるなんて、聞いてない。馬鹿馬鹿しいことをしてきたのかもしれないと思う。最初から上で取り決めがあったら、こんな辺境で命を失う者もそうなかっただろう。取り敢えず来年の作付けの為に、早く若手には治って貰わないとな。土起こしもしなきゃだし、そう出来るほどみんなが元気になるまで、今しばらく私の戦場は続くだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます