第8話

 朝になって朝食の時間になると、食堂にきっちりとした姿のクリストファー様がいて、私はぺこりと頭を下げた。その様子に彼はきょとんとしていたけれど、低い声でおはよう、と言ってくれる。おはようございます、と返し、今日のご予定は、と尋ねてみると、怪訝そうな目で見られた。


「予備役の者たちの訓練だが……また何事か、町を走り回るつもりか。グレタ」


 あら昨日のはもうばれているのか。まあメイド達があれだけ噂をしていたら嫌でも耳に入るんだろう、はい、と頷けば、難しい顔をされる。やっぱり辺境伯家の財政が厳しいのだろうか。新しいやぐらや石弓の設計なんて頼めない程に。

 あの、と私は昨日纏めた傾聴の結果と作戦提案をメイドに預けてクリストファー様に差し出す。一度座ってしまったら席が遠いテーブルだ。長方形で、短辺と短辺が向かい合っている。きょとんとして私の纏めたデータを読み込むクリストファー様は、ふむ、とひとつ相槌を打った。それから私に向かって、真っ直ぐに眼を向けてくる。


「効果的な提案だ。一昨日までのお前からは考えられないほどに。ところで、毒と言うのはどう調達するつもりだ? 毒草を摘みに行ってまた魔獣と遭遇することは許さないぞ」

「あ、それは簡単です」

「ほう?」

「うんちを使います」


 飲んでいた紅茶をぶっと一瞬吹き出して、パンケーキに向かっていたクリストファー様はげほげほ咳をする。しまった、食卓で出す話題じゃなかったな。メイド達も唖然としている。確かに私の、辺境伯夫人の口から突然『うんち』なんて出てきたら、驚くのも無理はない。失礼しました、とぺこり謝ると、いや、とまだ咳が止まらないクリストファー様が深呼吸をする。


「このお城は大きいしメイドを始めとした使用人もたくさんいるので、その汚物を毒代わりに使おうと言う手段です。石弓の矢を尖らせて竜やグリフォンに当てることが出来れば、大分戦力を削げるかと思いまして」

「……破傷風を逆手に取った作戦か」

「はい。なので、なるべく簡単な作りの石弓と、それに耐えられるやぐらがあれば、優勢を保てるかと」

「ふむ」


 やっと顔をいつものキリッとしたものに戻した旦那様は、家令を呼んで何事か話しているようだった。それと、と私は話の邪魔にならないように控えめに入り込む。


「砥ぎ師の方を呼んで剣を磨いていただいた方が良いと思います。欠けていても鈍器としては使えますが、殆どが木の鎧だと言うゴブリンやろくに装備を付けていないオーガには、やはり鋭さが武器になると思います」

「それもそうだな。砥ぎ師は呼んでおこう。後は武器の設計士にやぐらと石弓の相談をしてみようと思う。そちらにはお前が付き合ってくれ、グレタ」

「私、ですか?」


 今度は私がきょとんとしてしまう。こんな専門知識もない小娘に何を期待しているのだろう、思いながら首を傾げてしまう。パンケーキにバターを滑らせてフォークで刺し、小さなそれを食べた。小さいのが五枚、まあ、朝食としては適当な量だろう。私も私で昨日買った白いワンピース姿だ。畏まる事もない、朝の風景。

 そこで私に任ぜられるのが武器の監修? こんな役立たずの、出来る事は外科手術もどきの私に、何を望んでいると言うんだろう。例えば、だ。クリストファー様がそう言う。


「石弓の矢の形。どのようなものを想定している?」

「そうですね、返しのある棘が付いたものの方がよく飛ぶと思いますし、敵に確実に毒を与えることが出来るのではと」

「やぐらの特徴は?」

「足のなるべく太いもの。実際兵が動く上の方は、広く作った方が良いと思います」

「ほら、適材適所だ」

「へ?」


 くくくっと笑って見せたクリストファー様に、ちょっと照れ臭い感情が湧いて来る。否、でも確かにグレタが惚れたのはこんな感じのクリストファー様なのだろう。好きな話で盛り上がれる相手には、ちょっとあどけない顔も見せる。好きな話。今の所は戦争に勝つためのこと。私は役立っているのだろうか、少しでも。


「お前の目の付け所は悪くない。だからそちらはお前に任せる。兵士達の看護はメイドに任せて構わない」

「え」


 私そっちが本職なんですけれど。言いたい言葉は口からでてこない。私看護師なんですけど。戦略とか兵器とかさっぱり分からないんですけれど。そんな私に何をしろとおっしゃるんですか、この旦那様は。鉄砲も無い時代の戦争なんて、それこそ小説で読んだこともない。

 でも期待されてしまった。期待させてしまった。これは本を読んで、私も知識を付けなくちゃなるまい。最後のパンケーキを飲み込んで、牛乳で流し込む。無殺菌牛乳だからか、とても美味しかった。本当は低温殺菌ぐらいでもした方が良いのだろうけれど、搾りたての味と言うのは良いものだ。そう言えばこの城、厩舎もあったな。でもそっちの肥やしは畑作が復活した時に取っておこう。人糞は流石に多用するまい。否どうだろう。どっちもうんちで有機肥料には変わりない。口元をナプキンで拭いて、私は立ち上がる。


「グレタ?」

「書庫から武器関係の本を持って来ます。付け焼刃でも知識があるのとないのとでは大違いでしょうから」

「そうか、頑張ってくれ。ところでドレスは、着ないのか?」

「そんな場合でもないでしょう。髪は纏めて貰いますけれど、服はこれで充分ですわ」

「服が、充分……お前何か悪いものでも食べたのか?」

「私が悪いものを食べていたら、クリストファー様もそうだと言う事になりますよ。同じもの食べてるんですから、私たち夫婦」


 夫婦。夫婦から始まる恋ってのも何だか順番が違って面白いな。まあ私の方はグレタの初恋の名残みたいなのだけれど。でもクリストファー様は悪い人じゃない。多分ちょっと、思いを伝えるのが不器用なんだろう。それでもグレタを愛していなかった訳じゃないと思いたい。それならもうとっくに、この関係は崩壊していただろうから。


 思いながら私は立ち上がり、椅子を戻してからスリッパをぱたぱた言わせて書庫に向かう。紙魚臭いのは嫌いじゃないけど、こんな北向きの部屋に入れていたらカビてしまうのではないだろうかと心配になった。平和になったらぜひ虫干ししたい。

 えーと武器の新しい本と、やぐらをたてるのに必要なのは建築の本かな。戦術を練るのに必要な本は揃っていた。流石辺境伯。伊達で領主はやってられない。しかもこんな時なんだから。


 部屋に持ち帰って読み進めていくけれど、訳の分からないものは分からないのでぺらぺらと絵の付いているページを読み進めていく。と、見たことのある物があった。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたと言われているヘリコプターの原型だ。こっちでも考えた人がいるんだ。でもやっぱり実現はされなかったらしい。ん。

 空。もし、さらに上空からの攻撃が出来れば?


 私は書き物机に向かって、覚えている限りの知識で『それ』を描いて行く。まだ父母が生きていた時代に一度イベントで見たきりの、気球の絵だ。問題は燃料だけど、この辺りは産油で元々財を成したらしいので、それを使えば何とかなるだろう。提案をするだけしてみようと考えて、私はふうっと息を吐く。と、零れて来た髪が邪魔になる。

 切っちゃおうかなあ。邪魔だし。でもそうすると大量に持っている髪飾りが使い道無くなってしまう。メイド達にあげようか。流石にそれは過ぎた振る舞いだから冗談だけれど。でもこのたわわな髪は邪魔くさい。

 ちりん、とベルを鳴らしてメイドを呼び、私付きのメイドが現れる。髪を纏めて貰って、さあ私はちょっと別のものになっている私の『戦場』に向かうことになった。気球は一蹴されるだろうな。熱気球は単純だけれど燃料を食う。その前に密封された巨大な袋が必要だ。そこからして無茶だろう。まあ、言うだけ言ってみるだけだ。


 こちらでございます、と案内されて、ひげを蓄えた博士然としたお爺さんと好々爺と言った感じのちょっと食えないお爺さんがいる部屋に招かれ見止める。ぺこりとお辞儀をすると、髪がちょっと崩れた。まあ良い。


「辺境伯夫人、グレタ・セルシウスと申します。今日はよろしくお願いいたします、お二方」

「こちらこそ、お嬢さん」

「どんな案でも持って来て下さい。実現できる限りは協力します」


 さあて私は何をどう教育されちゃうんだろうなあ。ちょっと不安だぜ。おどけながら私は、にっこりと笑った。

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