第7話
「わしに襲い掛かって来たのは白竜じゃな。こいつは氷を吐く。この身体じゃガタが来ているからやぐらを立てて上から弓で攻撃していたんじゃが、そこを襲われた。腕全体に軽い凍傷。それとゴブリンが上って来たのを殴り飛ばした。こいつらは鈍器を使うことが多いな。棍棒で鎧をたたき割られ、もう片腕に打撲。こっちは湿布を張って貰ったな、看護師さん」
「はい、覚えています。やぐらの人は少なかったので」
「そう、少なくて孤立しているから竜には狙われやすい。これをどう解決してくれるつもりかな?」
ちょっと悪戯っこく笑ったお爺さんに、うーんと私は悩んでしまう。流石に戦術戦法なんて習ったことが無い。小説でも読んだことが無い分野だ。私がスぺオペ好きだったことも関係しているだろう。有名どころは大概読んだ。もしかしたら永遠に読めないのかと思うとちょっと悲しい。
とそんなことはどうでも良い。戦術だ。竜。図鑑を見ると羽の内側にはうろこがない。柔らかいって事だろう。ふむ。私は提案してみる。
「毒を弓に付けて羽の内側を狙う、と言うのはどうでしょう。毒自体の手配に手間がかかりますが、有効だと思われます」
「ほ。なるほど、確かに羽の内側は広いしうろこもない。考えたな、嬢ちゃん」
「そ、そうですか? ほんと思い付きなんですけれど」
「だがやはり浅い。常に羽ばたいている連中に矢は追い返されてしまう。届かない。さてどうする?」
なんか楽しんでいないか、お爺さん。でも私も考えるにやぶさかではない。何と言ってもこの人達の命がかかっている。人の命にかかわることに、ぐうたらではいられない。かつてのグレタのようにはいられない。
「より威力の強い武器を使う……とか」
「ほう」
「石弓ってあります?」
「仕掛ければその場で組み立てられない事もないな」
「それを使う、とか」
「組み立てている間は無防備じゃぞ」
「そこはほかの兵達に守って貰って、何人かで作れば時間も短縮できるんじゃないでしょうか」
「ほ。悪くない。でも明日はその持ち運びできる石弓を作るとしよう」
「良くなるまで寝ていなくては、」
「気がはやるんじゃよ、策を授けられた兵と言うのは。明後日か明々後日か、また魔族は責めて来るじゃろう。その時のために準備をせねばならん。それにわしは軽傷な方じゃからな、働いていた方が傷も気にならんと言うものじゃ」
「そんな――」
「看護師さんには悪いがな。それが老兵と言う者じゃて」
くっくっくと笑ってお爺さんは起こしていた身体を布団の中に入れていく。これ以上の注意も説得も聞く気が無いポーズだ。仕方なく本を持って立ち上がった私は、次の人に傾聴に行く。と、メイドさんにかち合った。
「あ、奥様、こちらの人たちの分は終わりました」
「ありがとう。予定より随分早く終わったわ、助かりました」
「は、はいっ」
「では私たちはもう出ましょう。ランプも消して。休養の妨げにならないように」
「解りました、奥様。あ、これ、聞いた魔物の特徴と怪我の具合のメモです。お使いください」
「ありがとう。あなた達も今日は大変だったでしょう、早めに休むと良いわ」
ほー……とメイド達に見詰められて、私がグレタになって良かったのかもしれない、なんて思う。本物のグレタはどこにいるんだろう。もういないのかもしれない。私が酒をかっ食らってお風呂に入って、そのまま突然死でもしていたのかもしれない。そして生まれ変わったのがこの身体だとしたら、笑えない。二十年以上も私の魂が眠っていたままだった。だけど戦場の空気に私の『戦場』を思い出してしまった。そう思えば納得が行かないではないけれど、そうなると間抜けな孤独死をした自分が居た堪れない。看護師の死に方じゃない。本当、居た堪れないにも程がある。
まあとりあえず今は自分に出来る事をするしかないだろう。それは今の所、傾聴した情報のまとめだ。殆どの兵はゴブリンとの力負けやケンタウロスの上空支配、竜からの吐息攻撃に爪、オーガの拳、そんな感じであるらしい。向こうの歩兵はほぼゴブリン。力が強いけれど単純攻撃しかしかけて来ない。足を崩してしまえば有効なのではないだろうか。鎧は付けているけれど、木なんかの簡易なものが多いらしい。それなら明日は砥ぎ師を呼んでみんなの剣を磨いて貰おう。
それと予備役の人達の稽古。これはクリストファー様がやってくれるだろう。怪我人でもあるけれど領主であるからには、少し無理をして頂かなくては。申し訳ないけれど、そこはそれなのだ。
あとは石弓を簡易にするために職人さんを呼ばなくちゃな。簡易に、でも一撃の強さは変わらずに。そんな都合の良い注文訊いてくれるか分からないけれど、頼むだけ頼んでみよう。元々石弓は城に付ける兵器だから、反動や大きさは考慮されていないのだ。それをやぐらに、なんて、面倒だろう事はよく解る。下手をすれば一発でやぐらが崩れかねない。
でも作って貰うしかないのだ。空中戦では魔物に圧倒的な利があるし、そうなるとやぐらが主だった戦場になりかねない。やぐらの組み立て方も一考すべきだろう。ぶつぶつ考えながら部屋に戻ると、ドアの外でメイドが待っていた。なんだろう。きょとん、としてしまうと、メイドはにこっと笑って見せた。
「お湯の準備が出来ています、奥様。お手伝いを」
あ、お風呂か。そう言えば今日はあちこち立ち回ったからちょっと埃っぽい。でも私はメイドさんに笑い返して、
「一人で大丈夫です。ありがとう」
「ですが髪を洗ったりするのは難儀でございましょう?」
「一人で出来ない程の事ではありません。大丈夫です。あなたも早く休んで下さいな。今日は私がみなさんを大分扱き使ってしまいましたから」
ぺろ、と舌を出すと、くすっと笑われる。笑い返してドアを開け、おやすみなさい、と声を掛けると、おやすみなさいませ、と返って来る。ドアを閉じて一応鍵も掛けて、ふうっと息を吐きランプをサイドボードに置いてみると、グレタの部屋は奔放な貴族の夫人の部屋そのものだった。クローゼットに入りきらないドレス、ドレッサーには無造作に置かれた宝石、本棚も無く教養が無いのが分かる。否、あるのだ、貴族としてのそれは。その結果がこれなのだから。
思い出してみると、思い入れのあるアクセサリーやドレスは少ない。飽きっぽくてすぐに新しいものを欲しがる。でもクリストファー様に貰ったものは一つもないな、と気付いた。婚約指輪すらもまだだ。結婚して二年、それがグレタには不満だったのかもしれない。もしかしたら寂しかったのかもしれない。毎日泥臭い剣の稽古に励み自分を顧みない夫が、嫌だったのかもしれない。折角一目惚れが叶ったのに、魔族の所為で全然楽しくない。新婚としては、冷めてしまうような致命傷だったのかも。
だからと言って今までの横暴が許されるわけではないけれど。私は思いながらドレッサーに髪から抜いたピンを置き、解いてしまうことにする。豊かな栗毛は確かに洗い辛そうだ。こんなに髪を伸ばしたこともない私にはちょっとメイドを帰してしまった後悔が沸くけれど、後悔役立たずだ、精々しっかりクレンジングして保湿して髪は乾かして眠ろう。結んでしまえば良いかしら、それとも。三つ編みを作って眠っちゃえば――駄目だ。明日の朝ずたぼろになっている予想が揚々と出来る。
まあ取り敢えずさっさとお風呂に入ろう。ドレスを脱ぎ、下着を洗濯籠に入れ、シャワーを出す。最初はちょっと冷たかったけれど、それほど我慢できないものでもなかった。だんだん温まるそれに、まずはクレンジングをして、髪も洗って、身体も洗う。
中々の重労働だな、お風呂って言うのも。酒入りだったら確かに突然死ぐらいするのかもしれない。なんて間抜けな私。こっちでは断酒しよう。思いながら私は乾いたタオルで髪をよく拭いて、ブラッシングをする。全然乾かないからとりあえず傾聴結果をまとめる作業をしようと、書き物机に向かった。時間は午後十時、まあ、二時間もあれば乾くだろう。
やっぱり竜が問題だな。ケンタウロスやオーガは上空からやぐらの弓でいけるけれど、更に上を取られたらどうしようもない。これをきっちり対策しなければと、私は苦手なファンタジー脳をフル活動させた。
グレタの乏しい知識によれば、竜の一族は魔王に仕えるものらしい。って事は大分数がいるって事だろう。どうしたものか。やぐらの構造から変えてみるか? でも最前線でそんな悠長なことはやっていられないだろう。作って持って行く? それはありかもしれない。石弓のように最低限ばらしていくのも良いかも。
考え込んでいるとうとうとしてきて、私はネグリジェのままふわあっと欠伸をする。十一時半。髪は大体乾いている。今日はここまでだ。考えたことは明日、書面でクリストファー様に進言しよう。女の浅知恵と厭われなければ良いのだけど、と、私は綺麗にメイクされたベッドに向かう。
すうっと眠りに入ると、心地良い疲労はすぐに私を深く沈めてくれた。
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