第6話

 両親が死んだのは私が小学生の頃だった。当時の私は身体が弱く、短い風邪が何度も続く状態だったから、ほぼ毎週病院に通っていたんだと思う。お父さんの運転する車で、まだチャイルドシートに乗せられるぐらいの小柄さだった私は、その日もけふけふ言っていた。乾燥した空気は喉に悪い。冬に入りかけていた頃だったから、余計に。運転するお父さんもちょっと心配だったんだろう。せわしなく指でハンドルを叩いて、左折車線に並んでいた。

 信号が変わった時、左折しようとしていた車に向かいの左折車線にいた車が突然向かって来た。おそらく右折と左折の車線を間違えていたんだろう、と言うのがのちの警察の見解である。もろに腹にぶつかられて、父は即死、母も病院に運ばれたものの死亡確認がされた。一人遺された私は軽傷だった。場所が良かったんだろう。普通は一番死にやすいと言われている助手席。チャイルドシートにばたばたと散らばった父の血。後部挫折でひしゃげた母の血。


 その時の自分に何が出来たかは分からない。チャイルドシートは自分で外せないタイプのものだったし、外せたとしても出来たのは精々泣き喚くことぐらいだろう。でも母の止血が出来ていたらとか、そもそも私が風邪なんかひかなければすべての事態は回避できたはずだったとか。そう思うと罪悪感で毎日叫びながら夜中に飛び起きたし、首が変な方向を向いたお父さんがけたけた笑っている夢も見た。

 私を引き取ってくれた祖母は心配して心療内科に通わせてくれたので、それで大分落ち着いたけれど、今でも見ない夢じゃない。月に一回ぐらいは血まみれの両親が立っている夢を見る。一人っ子だったから苦痛を分かち合える相手もいない。唯一祖母だけが私の心配をしてくれた。毎年神社でお守りを買っては持たせてくれていた。交通安全と健康のお守り。だけど祖母は私が看護師の専門学校に行っている間に死んだ。肺がんだったそうだ。


 どうして気付いてくれなかったの、とは叔父や叔母に言われた事だった。そんなこと言われたって学校は寮だったし、課題や実習の忙しいさなかちょくちょく家に帰る事も出来なかった。私は父母の遺産で学校を卒業し――十八も過ぎれば誰も引き取ってくれようとはしなかった――准看から正看に順調にステップアップして、今の病院に勤務することになった。六年前である。

 倒れたり具合悪そうにしている人には、道端でもなんとか助けて来た。病院では医者の指示を聞き、後輩に指示も出し、人間関係は夜勤明け呑みに行ける友達が何人かいるぐらいの普通の暮らしをしてきた。病院も寮に入り、祖母の家は相続した叔父が取り壊して売りに出したので、私に帰るところはない。


 家族での新年会や忘年会が無いのは寂しいかも知れなかったけれど、代わりに職場が私のすべてになっていた。病弱だった身体はいつしか人並みになり、看護師として働くのに至ってむしろ頑丈になって来ていた。院内感染もしたことが無いし、インフルエンザなんかの季節性のものもきちんとワクチンを打っている。健康元気そのものだ。グレタの身体になってからは筋力が落ちてちょっと貧弱になったけれど、悪いって程じゃない。

 まあ破傷風のワクチンは打ってないけれど、それは援軍が来てからだろう。あと数日待てば良い。その前に魔王軍が攻めて来なければ良いのだけれど。魔獣って言うか、野生動物も使役して使って来るのかな。兵の皆が付けてるのは青銅の鎧だけれど、引っ掛けられたりしたら結構脆いのかもしれない。どうやって戦っているのか知りたいけれど、そんな自分の野次馬根性の為にみんなが戦っている場所に向かうのは失礼だろう。


 私が出来るのは簡単な外科的手当て。しかも薬草やワセリンを使った急ごしらえ。そんなの持って付いて行ったって、足手まといになるだけだ。でもどんな状態でどんな攻撃を受けているのか、そう言った状況を把握しなければ適切な処置も出来ない。それは看護師の私にとって、敗北だ。負けるのは嫌いだ。誰だってそうだろう。


 という訳で私は夕飯の後、怪我をしている兵士達から傾聴をする。簡単に言えば、戦争がどうなっているのか聞くことをしている。書庫から持って来てもらった魔物図鑑を手に、ベッドを一つ一つ回りながら。


「俺が出くわしたのはこれです、グリフォン。爪に鎧を引っ掛けられて引き摺られて、傷が出来ました」

「大きな擦り傷でしたね。今の状態はいかがですか?」

「ちょっとひりひりしますけれど、そんなに痛みは感じません。奥様の手当てのお陰かな」

「あら嬉しい。それじゃあ他に見た魔獣や魔物も教えて下さいますか?」

「はい、お役に立てるのなら」


 若い兵たちがちょっと照れながらも自分の傷の事を教えてくれる。若い子は良い、素直だ。でもそうでもないのが往年の兵士たちで。ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向き、図鑑を見ようともしてくれない。


「我武者羅に戦ってただけだ、いちいち覚えていませんよ、そんなもん。大体分かったって避けられなきゃ意味もない。だったら剣を振り回しているだけの方がよっぽど役に立つ」

「あら、私の治療は役に立っていませんか?」

「うっ」

「大きな爪痕がありましたね。ドラゴンの類でしょうか、こちらを見て教えて下さいませ。ドラゴンも種類によって攻撃方法が違いますよ。火を吹いたり、毒を吐いたり、水を吐いたり。水が一番安全ですね、カッター状になっていなければただ押されるだけで済みますし」

「……これだ。火竜。爪も使って来る」

「と言う事は、魔物の群れの中に混じってしまえば迂闊に攻撃されない、と言う事ですね」

「あ? ああ……まあ、そうなる、な。でも爪は強いぜ」

「青銅の鎧の下に、鎖帷子を重ねましょう。火竜への対策はそんな感じで良さそうですね。貴重なお話をお聞かせ下さり、ありがとうございます」

「いえ、その……奥様」

「はい?」

「傷の手当て、ありがとうございました」


 相手に貸しを作りたくないタイプの人も、どうにか出来る。にっこり笑って、私は礼をし、次の患者さんに向かった。気分は野戦病院だけれど、間違ってもいないだろう。唸って痛みを訴える人もいなくなった。自分の手当ては間違っていなかったと、ホッとする。問題は毒。それで動けなくなっている人もいるかも知れないから、顔色はなるべく見るようにしている。

 メイド達は鎧の簡単な修繕や洗濯物、食器洗いに駆けずり回りながら、時々ちらちらと大部屋の病室を見にやって来る。私が何をしているのか興味があるらしい。手隙になったメイド達を手招きしてみると、猫が尾を立てるようにびくっとして、それからそろそろと近付いて来る。


「みんなにどんな敵に遭ったか、どんな傷を追ったか、確認してください。多分後続が来た時に貴重な資料になると思いますので」

「奥様自らそんな事をしなくても……それこそ、私たちメイドの仕事ですわ」

「だから今、あなた達に頼んでいるの。仕事が一息ついたようだったから。それともまだ、残っていた? それなら無理にとは言わないわ」

「い、いえ、洗濯も洗い物も終わっています!」

「奥様の御命令とあらば!」

「命令と言うより頼みごとかしら。流石にこの数の人たちから眠る前に一人で傾聴することは出来ないと思うから、お願いね」

「はいっ! 奥様!」

「眠っている人は無理に起こさないであげてね。休養は必要よ」

「はい!」

「それと元気なのは良いけれど、なるべく静かに」

「はい……」


 しょぼんとさせてしまったのにくすくす笑って、私は次のベッドに向かう。まさに老兵、と言う人だった。ふさふさの顎髭を撫でながら、じっとこちらに値踏みするように見ている。片目は見えないようで閉じていた。こんな人まで戦線に繰り出されるのか。改めて戦争とは嫌なものだな、と思わせられる。私だって災害地に派遣されたこともあるけれど、ここほどじゃなかった。そして老人はやや頑なである。


「こんばんは。お話を聞かせて頂きたいのですが、構いませんか?」

「その前にお前さん」

「はい?」

「お前さんは――何者かね」


 ヘッドレストに身体を預けた老兵は、ぎらりとその片方だけの水色の目で私を睨んだ。

 ばれている。

 まあ、ばれるよなあ。


「看護師です」


 素直に答えてみると、そうかい、と老人は笑う。


「なら、信用しよう」


 なんで彼がそう思ったのかは、分からない。

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