第5話
「お前たちが付いていながらどういうことだ、これは?」
城に帰って来たクリストファー様の声は低く、逃げてきたメイド達は真っ青になっていた。夫人を残して全員退却して来たことを咎め立てているのだろう、でも私は私で私の理由から最後まで残ったのだから、彼女たちに罪はない。おろおろしていると家に残していたメイドの一人が日そろりと耳打ちして来た。
「奥様が帰ってないことを知った旦那様、とても心配しておられたんですよ。シャツ姿で外に出るなんてはしたない事をしてまですぐに馬に乗って」
「はしたない……」
そう言えば中世ではただの白シャツって下着代わりだったと聞いた事がある。そんな姿で外に出るのは確かに恥だろう。でも下は穿いてたし別にそんなに変にも感じないから、そこは世界観の違いというものにしておこう。
並ばされて立ち竦んでいるメイド達は怯えきっている。彼女たちが悪い事じゃない、突然熊――もとい魔獣に遭遇したら逃げるのは当然だろう。私だってそうした。そして追い掛けて来てくれたクリストファー様に拾われた。元々魔物が出たら私を置いてでも逃げるように訓示していたのだから、彼女たちの行動は正しい。
だけどそうも言っていられないのが夫と言う立場にあるクリストファー様だろう。二人はどこでどう出会ったのかな、思い出してみると王都のパーティーだった。盛装をしているクリストファー様に一目ぼれしたグレタが、あの手この手でダンスに連れ出し、持ち前の愛嬌と社交術で婚約に取り付け。
それからクリストファー様の気が変わらない内に押し掛け女房としてやって来た――のだけれど、すぐに魔族が攻めて来て、結婚式もしていない。血の匂いばかりさせて来る夫に飽き飽きしたグレタは城の中でだらだらとお茶を貪りドレスを仕立て、たまには実家に帰って伸ばしている羽を余計に伸ばす。
……ほんと結婚したくないタイプの女だな、グレタ。せめて実家離れはしなさいよ。看護学校に入った時から寮暮らししていた私はそう思わずにはいられない。もっとも、帰る場所がなかったって言うのも事実なんだけれど。
その前にまずはメイド達の弁護だ。ささっとメイド達を庇うようにクリストファー様の前に出て、私は両手を広げる。む、っとしたクリストファー様の様子にちょっと怯えながらも、私は誤解を解こうとその目を見上げた。瑠璃色に近い青の目に軽く睨まれて、すうっと息を吸う。
「元々魔獣や魔族に出くわしたら即刻退避を言い付けていたのは私です。魔獣がこちらに興味を失うまで見張っていたのも私の判断、彼女達は何も言い付けに反したことをしていません。どうかお怒りになるなら、私だけを」
「お、奥様は悪くありませんわ! 私が逃げそびれただけです、それを城の方に促して下さったのは奥様です! お叱りになるなら私を!」
「奥様を見捨てて逃げたのは確かに私達です。罰せられるのは私達で間違っておりません!」
「叱るならば私を!」
「私を!」
「私を!」
集団になった女の圧力は強い。うっと城の玄関ホールで後ずさったクリストファー様の様子に、このままなら勝てると思いながら私はずずいと身体を進める。降参したように両手を上げたクリストファー様に、勝った、と確信した。看護師は多少気も強くないといけない。おっとりした患者さんばかりではないのだ、実際。理不尽に食器を投げつけられることもあれば寂しいからと言って夜勤のナースコールを連打されることもある。
そんな時は睡眠薬と偽ってブドウ糖を出すように言われたこともあった。プラシーボ効果、患者さんはぐっすり朝まで眠ってくれる。女の軍団訴訟も怖いだろう。何もしてないどころか助けに出たのに責められている気分になってしまう。ごめんなさいクリストファー様。でも本当、誰も悪くないんです。メイド達は私の無理をちゃんと聞いてくれた。私を助けてくれた。
集団で逃げたら熊の興味はそっちへ向かっていただろう。だからばらばらに逃げさせて、残った私たちに引き付けた。私付きのメイドには悪い事をしてしまったけれど、でも、結果オーライだ。なんて、口が裂けても言えないけれど。心配してくれた人にそんな呑気な事は言えない。
「解った。しかし暫くの間、薬草取りは禁じる。良いな、グレタ」
「はい! ありがとうございます、クリストファー様!」
「ありがとうございます、旦那様!」
ほっとしたところで私は振り向き、胸を撫で下ろしているメイド達に向かって頭を下げた。
ぎょっとした空気が伝わって、本当グレタって、と思う。
「みんなも危険に晒してごめんなさい。完全に女主人である私の手落ちだわ。本当、怖い思いをさせてしまってごめんなさい」
「そ、そんな! 奥様どうか頭を上げて下さい!」
「そうですよ! みんな怪我もなく助かったんだから、それで良かったじゃありませんか!」
わたわたしている皆に頭を上げさせられると、その目には信用と信頼がしっかり刻まれていた。よし。掌握完了。ちょっと悪い顔が出ないように笑うと、皆も笑ってくれる。
この話は多分城詰にしていたメイドさん達にも伝わるだろう。実際ちらちらホールを覗きに来るメイドも多い。クリストファー様まで驚いている気配があるけれど、私は瀟洒な辺境伯夫人なのだから、このぐらいしておかなくてはなるまい。パフォーマンスだ、いわば。
まあ魔獣が出るとは思っていなかったけれど、私自ら筆頭に立って物事をこなしていけば、信用も信頼も得ることは出来るだろう。今日のこれはその第一歩だ。人心掌握、これ大事。私は皆から薬草の籠を受けとる。慌ててて逆に落とさなかったらしいそれらは、十分な量だった。
「さあ、ヨモギを乾かすわよ。まずは茎を取るところから。ここからは、一班の人と交代しましょう」
「はい、奥様!」
元気のいい声に、自分が偉くなったような錯覚をする。錯覚だ。いつ黒井真珠に戻るか分からない私の、錯覚。
でも暮らしやすいなあ、ここ。ずっと一緒に居たいなあ、この人達と。でもそれはどうなんだろう。クリストファー様も根の所はお優しいし、メイドさん達も正直で勤勉だ。私の事を常に気遣ってくれている皆だ。一日目にして早くも愛着の沸いた世界で、私はどう立ち回って暮らして行こうか。
取り敢えずヨモギを蒸すための蒸篭代わりがあるか確認しよう。乾燥ヨモギの天然薬は私も庭で作っていたぐらい親しみのある物だ。ある時はおもちにしたりする。ある時は傷に付けたりする。万能。ヨモギ万能。
毒消しとは避けて、玄関ホールで使っていない古いシーツを敷いて茎と葉を分けて行く。あとは炭もあると良いって聞いた事があるな。試してみようか。でもそれってちょっと人体実験っぽくて気分が悪いかも。うーんうーん、柔らかい若葉の部分に取り分けて行って、私は考え込む。
「奥様、お召し替えは」
「この方が動きやすいから結構よ。それとも、泥か何かついていたかしら」
「裾に少し土汚れがありますけれど、目立ったものは」
「じゃあこのままで良いわ。ありがとう、気遣ってくれて」
笑いかけるとメイドはちょっと嬉しそうにする。そうされることがまた嬉しいと思ってしまう私がいる。まあ、いつまで私がグレタでいられるか分からないけれど、暫くの間はせこせことメイド達の好感度を上げておくことにしよう。いつお別れが来ても大丈夫なように。でも元のグレタに戻ったら、この子たち苦労するだろうなあ。思えばちょっと可哀想だけれど、私が戻らない可能性も考えて、精々優しく接するとしよう。
クリストファー様は着替えにホールを出て行く。私たちはヨモギを選別する。これで問題はない。傷ついた人と傷を癒す人間の立ち位置として、何も問題ない。
だって私は看護師のおねーさんだったのだから。
これで何も、問題はないのだ。
患者がいたら手当てをする。私はその為にこの世界に呼ばれたんだろう、多分。
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