第4話
メイド達を連れて野山に出ると、丁度良い山裾に薬草が群生していた。持って来ていた本のしおりの挟まったページを捲って見せ、薬草の特徴を確認してもらう。籠を持ったメイド達は熱心にページを覗き込む。毒消しのページも見せれば、それは一層更になった。
「取り敢えずこの辺りから始めましょう。二人一組になって、迷子にならないようにしましょうね。私にも誰か、付いてくれる?」
「では私が!」
今朝髪を整えるのを手伝ってくれた子だった。グレタ付きのメイドだったのだろうか、鼻を膨らませてふんっと張り切っている。お願いするわ、と笑いかけるとメイド全員にまじまじと見つめられた。グレタ。あんた本当に横暴だったのね。
「魔獣が出たら大声で知らせて逃げるのよ。それだけは徹底して。薬草取りに来て薬草が必要な身体になったら元も子もないもの」
「はい、解りました奥様」
「では解散! 一時間ぐらいで終わりましょう。城での仕事もあるだろうからあまり時間は掛けずに、出来るだけ精いっぱいのものを!」
「はい!」
元気な返事に私は笑う。さてと、多分この辺りの草に混じっているだろう――ああやっぱり、ヨモギだ。鎌を構えてざくざく取って行くと、その手慣れた動作にメイドがふわあ、と驚いているのが分かる。
私の住んでいた部屋は一階だったから庭付きだったのだ。そこで雑草を刈ったり抜いたりしていたから、鎌の扱いには比較的慣れている。軍手はなかったから持ってこなかったけど、下手に尖った葉っぱの物はない様子だから、大丈夫だろう。それより錆びた鎌で手を傷付けないようにしないと。それこそ私が破傷風になってしまう。自分のワクチンは打っていないのだ、本末転倒にも。
だってどうせ城を出る事なんか無いだろうしー、戦場に行くなんて絶対ないだろうしー。ちょっと冷たい風にストールを上げながら、私は自分で自分に言い訳をする。クリストファー様の分さえあれば良いかなって思っても仕方ないだろう。戦線は一進一退の膠着状態だけど、援軍が来れば何とかなるはずだ。押し返して国境線を封鎖してしまえば何とかなる。
それまでもたせるのが私達の仕事だ。戦っている兵たちは勿論、控えている私達だって戦わなければならない。病院は戦場だ。町医者にも応援を頼むけれど、基本的に一番近くにいるのは私達城の人間なのだ。ならば私達も専門知識を少しでも付けて役立てるようにならないと、役立たずになってしまう。クリストファー様の汚名にもなりかねない。それはいけない。絶対この国境戦は負けられないのだ。
籠がいっぱいになったところでふうっと息を吐くと、メイドの籠も半分ぐらいになっていた。熱心に確かめながらだから、ちょっと手が遅いらしい。仕方ないか、それにしてもよく私についてこようなんて思ってくれたな、この子も。一番近くにいたのなら一番私の変化に戸惑っているだろうに。それでもそんな様子は見せず、熱心に、熱心に草を選んでいる。
「握った時に柔らかければ大体ヨモギよ。ちょっと固いのが毒消し。基準になるから掴んでみると良いわ」
「は、はい! ……あ、本当だ、すごい。奥様、鎌の使い方もそうですけれど、こんな知識何処で得られたんですか?」
「知識はちょっと本を読んだだけよ。鎌は、そうね、実家で庭いじりをしていたとでも言っておこうかしら」
「それは嘘ですよ。私、奥様付きのメイドととして何度もご実家にはお世話になりましたけれど、奥様ったら部屋から出てこないか、お茶の時間になったらお菓子を食べに来るかだったじゃないですか。庭師の仕事を奪う人ではありませんでしたよ」
うっ。流石によく見てるなあ。肩を竦めて、まあ内緒って事で、と苦笑いをすると、むーっとしながらも彼女は薬草取りに戻った。私も鎌をさくさく使って彼女の籠に毒消しを入れていく。と、そこで、嫌な気配に気づいた。
獣臭い匂い。呼吸。鼻を鳴らす音。
そろりと振り向いてみると、そこにいたのは熊だった。
一瞬遅れて気付いたメイドが、ヒッと声を上げる。
「魔獣よ、逃げて!」
その声に遠くからメイド達がきゃああと叫ぶ声が聞こえる。魔獣って言うか害獣かよ! それは確かに怖いわ! メイドは腰を抜かしてしまったようで動けないらしい。私が何とかしないと、思いながら握りしめたのは錆びの浮いた鎌だ。とその前に、ストールを留めていたブローチを外して布地を丸くまとめる。
ゆーらゆーらとそれを揺らせば、のっそり出て来た熊の視線はそっちに釘付けになる。こんなことなら鈴でも持ってくれば良かった。でもそんないつ使うか分からないもの、屋敷にはないだろう。どうしようか。ゆーら、ゆーら、目はストールに注がれている。
思い切って遠くに投げると、熊の興味はそっちに行った。その間にメイドを立たせて逃がす。私もそうしようかと思ったけれど、しんがりとしてちゃんと熊を見届けなければなるまい。そのまま逃げるもよし、人間の気配に気づくならこの鎌で応戦するもよし。目を狙えば何とかなるだろう。ヒグマってほどでかくないし、ツキノワグマぐらいだから、リーチはこっちにあると見て良い。懐に入り込めばこっちの勝ちだ。
ごろごろとストールで遊び始める熊。熊は普通人間の気配を感じると逃げるものだと聞いたけれど、流石に魔獣と言われるだけあってそうでもない。薬草の入った籠を二つ持って、私はそろそろと後退していく。熊はこっちを見る気配もない。じりじり下がる。じりじり。鎌を持つ手は震えたままで。
そしてそのまま逃げだすと、熊が追い掛けてくる気配はなかった。城までの道を必死に走ると、馬の蹄の音がパカパカ響いて来る。
白馬に乗ってやって来たのは、部屋着のシャツ一枚姿のクリストファー様だった。
「グレタ! 怪我はないか!?」
「だ、だんなさまぁ……」
その金髪を見止めた瞬間、私はへたり込んでしまっていた。馬が止まってクリストファー様が鐙から足を抜いて降りてくる。肩を掴まれてあちこちを確認されたけれど、どこも傷はない。ただ緊張が抜けた所為で、ぐったりしてしまっただけだ。
多分先に逃げたメイドから熊もとい魔獣が出たとの知らせを受けて、出て来てくれたのだろう。自分も怪我をしているのだから適当な兵に言い付ければ良いだけだろうに、自身自らやって来てくれた。そこにグレタへの心配はあったのだろうか、あったら良いな、思った私の頬を挟んで覗き込む人は、ほっと一息ついていた。
「そう言えばお前、ストールはどうした?」
「あ、おとりに使いましたの。魔獣が向かってこないように、丸めてポーンと投げて」
「あれはお前が実家から持って来るほどお気に入りだと言っていたものだろう。よっぽど巨大な魔獣だったのか?」
「背丈はクリストファー様ぐらいですわ。立ったら恐ろしいけれど、四つ足でしたからちょっと上に翳してぐるぐる振れば注目を集められます。それから投げて、追いかけて行ったのを確認してから逃げてきました。非常事態にはお気に入りも何も構いませんわ」
「……随分慣れた、と言うか、落ち着いた行動だな。お前、魔獣が恐ろしくはなかったのか?」
「怖かったから今は腰抜けになっているんじゃありませんか。それよりクリストファー様にご迷惑をおかけして申し訳ない限りです。すみません、馬まで出して来ていただいたと言うのに」
「お前が無事で、メイド達も全員無傷だったから、構わない。しかしこれに懲りたら薬草取りは暫くやめておけよ」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、ボッと赤面してしまう。それは卑怯だろう、弱っている所に優しくされたら惚れてしまうではないか。って言うか元々グレタはクリストファー様の妻なのだから、今更惚れても何を、って感じではある。あるんだけれど、恥ずかしいと言うか。私はやっぱり、黒井真珠だから。貴族の奥方なんて何してるのか良く知らない、看護師の私だから。
クリストファー様に馬に乗せられ、ぽくぽく言わせながら城へと戻る。薬草の入った籠を持ってきた私グッジョブ。みんなも持ち帰って来ていると良いのだけど。
取り敢えず乾かして、乳鉢で粉にしよう。そうして傷に掛ければ、天然の消毒になる。その前にメイド達の無事を確認しなくちゃ。私と最後までいたあの子も、ちゃんと怪我をしていなければ良いのだけれど。
思いながら開いた城門をくぐる。ちょっと寒いな、ストールなしだと。編み物は出来るから、自分の分編んでおこうかな。戦闘が無い時は比較的暇だし。だったら自分に出来る事をしよう。出来ない事は無理しない。これが今回の学びだ。
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