第3話

 熱を出していないか、心配になった私は買い出しから帰ると同時クリストファー様の部屋に向かっていた。時間は昼間、昼食は食べただろうか。コンコンコンコン、とノックをすると、入れ、と低い声が入室を促した。ドアを開けると私の部屋と同じ作りだ。本棚があるのが違いだろうか。ベッドの傍にはメイドが立っていて、クリストファー様は食事中だった。ナイトガウンにカーディガンを掛けて膝にトレイを乗せている。

 お邪魔をしてしまったけれど今更引き下がっても仕方あるまい、私は部屋に入ってぱたんとドアを閉じた。食べているのは固そうなパンとシチュー。農業が上手く行ってないのか、それとも農地を魔族に荒らされているのか、或いは両方か。ちょっとひもじい病院食のようなものに目を向けていると、何だ、と問われる。


「用があって来たのではないのか、グレタ。医者が来て何事かしていたが、あれもお前の手配か? 俺も注射を打たれたぞ」

「はい、破傷風のワクチン接種です。みなさん切り傷が多いのであった方が良いかと。クリストファー様は発症していなかったみたいですね。お熱もなさそうですし食欲もあるようで、安心しました」

「安心? お前が俺に?」


 ハッと鼻で笑われた。まあスープの冷めきった距離のある夫婦だ、そうもなろう。でもそう言う患者さんの態度には慣れているので、特に気にしない。

 きょろ、と背表紙を見るのは本棚だ。用兵術や剣術の本が多い。それなら付き物の怪我についての本も無いだろうかと思ったけれど、それは見当たらないようだった。自分の傷は他人に任せる主義らしい。自分は武器の一つ、という考えか。いるんだよなー自分がいなきゃ家が回らないからって入院拒む奥さん。あれと同じだ。自分がいなければ兵が回らないと思ってる性質だ、これは。どんなに怪我が深かろうと。


 まあ今回は腕の凪傷一つだし、次の魔族の襲撃には大方直っているだろう。縫うほどじゃなかったし、ナイトガウンから見える油紙にも異常はない。出血が止まらない、と言う事もなさそうだ。


「クリストファー様、薬草の本ってありますか?」

「薬草?」

「ええ、近くの山に生えていないかと思って。午後はメイド達と摘みに行こうと思っているのです」

「お前が? 薬草を摘みに? メイド達と?」


 鳩が豆のマシンガンを食らったような言い方に、ちょっと笑ってしまう。昼食を摂ったら私もまた外に出て、野山に見聞するつもりなのだ。初夏ならベリー摘みもするようなのどかな山だ。薬草摘みにはぴったりだろう。なんなら山菜も欲しいけれど、季節じゃないし多分こっちの世界では食べない。


「本なら書庫に――しかしお前、本当にどうしたんだ? グレタ。今まで戦場は男の仕事場だとまるで気にしたことも無かったのに」

「気分が変わったのです。大切な旦那様が苦労しているのに何もしないでいるのは罪でしょう?」

「罪? お前、本当に何があった?」


 どんだけ怪しまれるんだこの辺境伯夫人は。まあその立場だけですでに城から出るような性質のものではないのだけれど、私は私に出来る事をするだけだ。それがここに飛ばされてきた意味だと言うのなら、甘んじてそれを受け入れるだけである。

 職業病ってのもあるけれどね。怪我をしている人を放っておけないって言うか、医術を必要としている人にそれを施さずにはいられないって言うか。そう私にだって理由はある。看護師になった理由が、私にはある。


「取り敢えず、暫くは私も私のやり方で戦場に関わって行こうと思っただけです。それでは失礼いたします、クリストファー様」


 背を向けてさて書庫とはどこだろうと記憶をたどってみる。ああなんか紙魚臭くて陰気な北向きの部屋にあったな、確か。その前に私も昼食を摂ろう。朝はスープとパンだけだったから、町中駆けずり回ってお腹が空いているのだ。食堂に向かうとメイドが食事を持って来てくれる。ありがとう、と言うとこっちも鳩が豆鉄砲を食らった顔になった。

 本当、どんだけ横柄なお嬢様だったんだ、グレタ。メイドの仕事と言えばそうだけれど、感謝の言葉ぐらい口にしても良いだろうに。減るもんじゃなし。なんなら好感度が上がるぐらいだ。そう言うところだぞ、グレタ。まあ私はグレタじゃないんだから、平民中のド平民、なんなら3K――きつい、汚い、危険――の仕事やってたぐらいだから根性は据わっているけれど。


 それにしても良くないな。ここはメイド達の好感度上げて行かないと、いざという時に見捨てられる。どんな状況かは分からないけれど、そうだろう。まあ、今まで大して辺境伯領の経営に関わって来なかった私だから、いなくなっても困りはしないだろう。強いて言うならグレタの実家と険悪になるぐらいか。王都近くに住む子爵だったと思う、確か。親離れできなくて何度も里帰りしては辺境伯の財産を食いつぶしていた。

 向こうも向こうで迎えてくれるし甘やかしてくれるもんだから、余計自立が出来なかったんだろう。女が仕事をするなんてメイドか下々のものだから、私も気ままにドレスを作ったりして社交界で華々しく遊んでいた。


 あれ? グレタってもしかしてとんだお荷物じゃね? 居なくなった方が辺境伯家には良いような存在じゃ。否否、それも引っ繰り返していかなければ。本格的に魔族が城に侵攻してきた時に置いて行かれても仕方ない。


「奥様? あの、お気に召しませんでしたでしょうか」


 おどおど訊いて来るメイドの言葉に、いつの間にか自分のスプーンが止まって眉間にしわが寄っているのに気付く。はっとしてにっこり笑ってみせた。ほっとした顔。多分メイドたちにも無理言って来たんだろうなあって感じの。ごめんね、これからは改めるからね。グレタじゃない私だけど。


「いえ、とても美味しいわ。ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたの。そうだわ、昼食を済ませたらメイド達を二班に分けてくれないかしら。一班は城で兵たちの看病、二班は外に出て野山で薬草を摘む。私は二班について行くわ」

「お、奥様が薬草摘み!?」


 ここでも盛大に驚かれるか。本当どんな生活してたのよ、グレタ。ここに嫁いで来てから遊び惚けてばかりじゃないの。いくら近所に知り合いがいないって言っても、自分から作って行けば良いだけじゃない。自分の領地に籠って自分に傅く人間しか相手にしてこなかったんだろうけれど、流石にこれは酷いわ。


「書庫から薬草の本を探しておいてくれると助かるのだけれど、お願いできる?」

「は、はい、喜んで! ですが季節が季節ですし、あまり野山に立ち入るのは危なくはないでしょうか……」

「そんなに深くまで立ち入るつもりはないわ。麓でとれる分だけで、とりあえず今は十分。ワセリンが無くなった時の為の予防程度にあれば良いなってだけよ。ヨモギでも摘み取れればそれで」

「奥様、いつから薬草に詳しくなったんですか?」

「ちょっと齧っただけよ。漢方は調剤薬局の範囲だしね」

「ちょうざいやっきょく?」

「ごめんなさい何でもないわ忘れてちょうだい」


 いけね、素が出るところだった。


 さっさと昼食を済ませると、手元には古いけれど荘厳な表紙の薬草辞典が渡されていた。さて、季節と効能で調べて行くと――今は多分秋頃なんだろうから、夏ほどは期待できない――、それでもヨモギは有効だと解った。他にもいくつかの薬草をピックアップして、しおりを挟んでいく。大体固まって生えているから、見付けるのは簡単だろう。よし、と本を持って、屈むことを考えて着替えをする。ゆったりとしたワンピースだ。午前の買い物で一応買って来た、庶民向けの安物である。

 本来なら貴族の奥方が着るようなものじゃないそれに着替えた私を、メイド達は目をぱちくりさせながら見てくる。籠を持って、さて一番近くの野山に入るか。鎌を持って班分けしたメイドに案内を頼む。


「でも魔物が出ることもあるかもしれませんよ、奥様。やっぱり奥様はお留守番をして――」

「長がそれでは示しが付かないわ。いい、魔物が出たらみんな、一斉に別方向に逃げるのよ。私の事は置いて行くの。大丈夫よ、悪運は強い方だと思っているから」


 そして私は本当に強い悪運に遭遇する。

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