エピローグ
そこから半年が怒涛の勢いで過ぎていった。マリーヤがいなくなったことで研究所は完全に権力を失い、解体となった。
後見人を失ったエウリピ楽団はその団員の大半を国が保護する形で落ち着いた。幼い子どもたちは、各地の孤児院へと移った。本当にそれで良かったのか、メドは時折思い出して疑問視しているが、どのみち全員を後ろ盾なしに養う力をメドは持っていなかった。
メドをはじめとした一部の団員達は他所の孤児院には行かず、マリーヤとパナシアの件での後始末のために養護院に残っている。事態の完全沈着はまだまだ遠い。その後のことはまだ何も考えられていない。
やらなければいけないことに追われつつも、何処か以前の空気を感じながら過ごしていたある日、突然訪問者が現れた。
「我が名はアンゼルム! この地に残りしエウリピ楽団を訪ねに参った!」
その早朝から敷地中に響き渡る声に面食らって玄関に飛んで行けば、相変わらず豪勢な服を纏ったアンゼルムが付人を連れてやって来ていた。
突然のことに萎縮しながら応接間にアンゼルムを案内する。その場にはメドとルサルカが付いた。紅茶を差し出すとアンゼルムは優雅に啜った。
「……それで、なんの御用でしょうか」
「先のことは色々と聞いた。私なりにできることを考えてな」
そういうなりアンゼルムは従者に封書を取り出させ、メドの前に置いた。封を切って中身を確認する。そこに記された文字に三人は揃って目を見開いた。
「エウリピ楽団再建、後見人志願書……!?」
「私は元よりエウリピ楽団に友好的な男だ。あの音楽がこの国から消えるのは惜しい。私なりに、君たちへの罪滅ぼしもしたいしな。国に地位を築いて正式に君達を支援しようと思っている」
「職権濫用……」
小さく呟いたルサルカを肘で小突く。
「お言葉は嬉しいですけど……その」
願ってもない提案ではあるが、メドは少し躊躇って返事を出しあぐねた。その隣にいたルサルカが、メドの方を向く。
「メド、私……もう一度演奏がしたいよ……もう一度、みんなに会いたい」
じっと見つめるルサルカの目は真剣だった。その顔を見た瞬間メドの選択肢も一つになった。
「……本当に良いんですね?」
「ああ、なんでもするぞ。国外での巡演も検討しよう」
「ありがとうございます! ……じゃあ、元いたみんなを集めるの、手伝ってください」
その言葉にアンゼルムは一瞬目を丸くしたが、すぐさまにやりと口角を上げた。
「なるほど相手は福祉か……手強そうだ」
そう言って握手を求めてくるアンゼルムの顔はいたずら好きな子供の顔そのものだった。その手でメドとルサルカと握手を交わすとアンゼルムは席を立つ。早速やることがあると言って、忙しなく楽団の拠点を後にした。
二人でアンゼルムの馬車を見送っていると、ルサルカが徐ろにメドの手を取った。
「ねえ、メド」
「なんだ?」
「夢みたい。また、みんなに会えるなんて」
「あの人の頑張り次第ではあるだろうけど……そうだな、全員で」
そこまで言って言葉に詰まる。全員というには、きっと数が足りない。あの日再スタートを切った時よりも、楽団は少なくなってしまった。
「せめてシェリが戻って来てくれたら……私たち、あの子と一度も演奏してないんだよ……」
「……スプラウトが言ってただろ。多分サージェントのタンバンそのものが消えたんだ。マルブエルと同じ、サージェントのタンバンで作られていたシェリは、あの時……」
「だけど、それならメドの心臓は……?」
「……それは」
ルサルカと対峙していた時のことを思い出す。最後に感じたシェリの温もりは自分の中に溶けていったのを覚えている。その瞬間に二人の心臓があるべき形に戻り、不可逆的なものになった。そうしてサージェントの全てを引き受けたシェリは、マリーヤが生み出した指示系統を消滅させるために、自分ごとサージェントの全てを消した。これを解説してくれる人間はこの世のどこにもいないが、それを解き明かすのも自分達の義務だと考えていた。
「シェリが救ったんだ。僕たち全員……シェリに命を貰ってこうして生きている」
「……」
ルサルカは歯を食いしばる。負目と自責。シェリに対する贖罪が、今も彼女の中で絶えない。メドはもう何度もルサルカに責任はないことを言い聞かせていた。それでも拭えない後悔がある。
「私、あの子に報いなくちゃ」
「……みんなで、だ」
メドはルサルカの肩に手を置いて自分にも言い聞かせるように言った。頷いて見つめ合う。独りでは崩れ落ちてしまいそうだったが、こうしてわけあえることに互いに救われていた。
「ルカ先輩ー! ルーカーせんぱーい!」
そこへ空気を断ち切るエケベリアの声が響いてくる。メドとルサルカは笑い合って首をすくめた。声のする方へルサルカが駆けていく。
「エーチェ! こっちだよー!」
走り去ったその背中を見送って、メドも養護院へと向かう。入った建物の中は静かでやはり寂しい。子供達が走っていく音や姿、そんなものがよぎって思わず辺りを見回してしまう。またここが子供達の声と演奏で溢れる日が今から待ち遠しくなった。
記憶を懐かしむようにそこら中をうろつく。食堂を辿って、更衣室に向かった。そこの散らかった荷物は最後にみんなが暮らしていた時のままだ。メドは楽器用具室に向かった。久しぶりに踊りたい気持ちが湧き上がって来た。
用具室の隅に立てかけたフラッグを手に取り、その感触を確かめる。胸が昂ってそれを持って外に出ようとした時、フラッグの端が床に落ちていた何かを引っ掛けた。床に目をやって飛び込んできたものを見た瞬間、メドは息を止めた。
薄紅色の造花が落ちている。とうの昔に忘れてしまっていた、初めてシェリにあった日に渡されたものだった。
メドはフラッグを置いて、造花を手に取った。忘れもしないあの日の衝撃とタンバンの鮮やかな輝きが脳裏を走る。
「……シェリ」
その名を口にした途端、造花から結晶が放たれた。花びらが吹き荒れるように、タンバンがメドの視界を埋め尽くした。
見えなくなった用具室の景色がある向こうから、誰かがメドに手を伸ばす。小さな身体がメドに飛び込んできた。羊色の髪の毛とマスカットの瞳。透き通った白い肌。今見えているものは幻覚か。だがそれでも良いと思った。もう一度見えた少女の姿をメドは静かに抱き止める。
「シェリ、何やってるんだよ……自己犠牲なんて、そんなたちじゃないだろ」
乾いた笑いで話しかける。彼女は何も言わずにメドの鼻先に自分の鼻を近付けた。されるがままに待っているがシェリは何も言わない。
間近にじっと見つめながらゆっくりと近付いてくる。たった一瞬、メドの口元に優しい感触を与えるとシェリは綻んだ笑顔になった。
もう一度とメドが彼女を引き寄せようとする。だがそれは叶わない。薄紅の花びらに包まれて、再びシェリは見えなくなった。結晶に埋め尽くされる視界を閉じる。次に目を開けば、そこにはもう何もなかった。誰もいなかった。手の中に残されたのは、砂になった造花の名残だった。
「本当に、なんでもありだな。君は」
メドは腰を抜かして座っていた。寂しいのに笑いが込み上げてくる。全てを救っていなくなってしまった、機械仕掛けの彼女によく似た笑顔を浮かべながら、自分の心臓に抱き締めるように手を置いた。
(了)
エウリピ奇譚 @06agetate04
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