6.降臨

 現実での記憶が遮断され、メドは意識の中を漂っていた。これは夢だと理解する。同じことが以前にもあったと、記憶していた。

 思い出せば視界一面が赤みがかった乳白色の世界に包まれた。ミルクの海。以前と違い、今は明確な人の気配があった。

「君は誰なんだ」

 メドは問いかける。虚空に浮かぶ影が次第にシルエットを形作っていく。現れたのはメドと瓜二つの、マスカットの瞳をした少年だった。

「君の中の二百五十グラムほどを占めている者さ。分かるかい?」

「……その喋り方、シェリみたいだ」

 メドは少年に手を伸ばす。鏡合わせのように、少年もメドに向かって手のひらを開いた。二人の手が重なり合う。

「君がサージェントか」

「そうだよ。やっと気が付いてくれたね」

 サージェントは穏やかに笑う。ごく普通のその少年の笑みは、達観しているような顔つきで、見た目の年齢には不相応に大人びていた。

「……どうして僕の中にサージェントがいる? 君は何者なんだ?」

「僕はパナシアやマリーヤのずっと昔にタンバンを見つけた人間。この尊く悍ましい鉱物を密かに愛していた人間。そんな風に呼ばれている」

 サージェントはメドの胸に人差し指を伸ばす。その指は貫通して背中に腕ごと突き出た。胸に空いた風穴を、メドは信じられないという顔で凝視した。

「な……!?」

「僕がこうして外に出ているんだ。そうなってしまうのも仕方がない」

 サージェントは腕を引き抜く。その手の中に薄紅色に輝くタンバンを持っていた。糸でメドと繋がっている。絶え間ない規則的な音を立てながら静かに蠢いている。

「僕の心臓……」

「これは僕のものだよ。君の中に仕舞われた、僕の心臓だ」

「どういうことだ……?」

 困惑するメドの前でサージェントはくすくすと笑った。

「これが僕の正体であり、君の正体だ」

 メドはその場にしゃがみ込む。胸に手を当てた。手のひらはその鼓動を感じない。耳が拾うのは目の前の少年から聞こえる心臓の音だった。

「君の心臓はタンバンなんかじゃない。君は動いたままタンバンに囚われた、僕の心臓で生きているのさ」

「僕は、みんなと同じじゃなかった……!?」

 メドは呆然としながら、だが心のどこかで腑に落ちた。そんな思考までも見透かすようにサージェントはじっとメドを見つめている。

「……予感があったんだね」

 サージェントに見透かされて口を閉ざす。マルブエルを生み出せるのが自分の遺伝子だけだった。同じ楽団の中でなぜ自分だけがシェリを通じてタンバンを操ることができたのか。ずっと胸の中にあった疑問が一本の線で結ばれるとようやく納得がいった。

「じゃあシェリは……?」

「彼女は僕の遺伝子を元に作られている。要するに、君と彼女は紙一重の差の、ごく近い存在というわけ」

「……」

「思い出してご覧。君は一体どこで生まれて、どんな命を受けたのか」

 サージェントは心臓をメドの額に押し付ける。目をくらます輝きが瞼の上を明るく照らす。その瞬間、遠い時代の記憶が脳に送り出されてきた。

 赤子を抱いている若い女がいる。隣には彼女に寄り添う男がいた。ぎこちない笑顔の人だった。

 赤子はベッドに寝かされて穏やかだった。そこに母親ではない女が近付いた。女は赤子の胸を割いて、そこに入っている心臓を取り出した。剥き出しの心臓を結晶で包み込み、赤子の胸には別の心臓を入れ込んだ。タンバンの輝きを放つ、透明な心臓だった。女は赤子のいた場所に取り出した心臓を置いて、赤子を攫った。

 赤子を抱いて笑う女の顔を知っている。それは先ほどメドに銃を向けていた人間だ。赤子を奪った女の顔を、知っている。それは、ずっと前から信用し続けていた人間だった。

「そうか……あの赤ちゃんは僕で。僕と君の心臓を奪ったのは、先生だ」

 口にして涙が落ちた。世界で最も信用していた人間の、信用ならざる過去。積み上げてきた時間と感情が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

「……なぜ彼女がそんなことをしたのか、僕には分からない。だがあれは危険だ。止めなくてはいけない」

「危険って、なんだ……?」

「マリーヤは君達を媒介に、恐ろしいものを生み出そうとしている……同じ遺伝子を沢山の人に与えて、支配する機関を」

 サージェントはメドの胸にもう一度手を入れると、その空虚な穴から小さな飴玉を取り出してみせた。それを目にした途端、メドはその場に崩れ落ちる。いったいこの国のどれだけの人が、それを口にしたのか。数は知らずとも理解できる。

「……僕が止めなくちゃいけなかったのは、先生なんだ」

 メドの問いかけに頷きながら、サージェントはメドの額に指を置く。その一点がみるみるうちに溝となり、メドの額には銃弾一つ分の穴が空いていた。

「な、んだ……!?」

「彼女を止めるのは僕だ。責任は僕にある。僕の約束を破ったマリーヤを止める……そのために僕は君の身体を貰い受けよう」

 メドの頭が眩む。耐え難い頭痛と吐き気、遠のいていく意識。死を強く感じた。恐怖と痛みに体が支配されていく。

「ま、て……!」

「残念だけどパナシアはトリガーを引いた。その弾にはタンバンが使われているんだ。その弾によって君の脳は本来の使役者へと譲渡される」

「……!」

 心底物悲しげにサージェントは涙を流しながら、メドの顔に触れた。首を捕まれ身動きができなくなる。メドは全力を振り絞って抵抗する。あらゆる感覚が失われ、自分に何が起きているのかも理解できなかった。

 だが、消えることなどできない。まだ何も成し遂げていない。メドは祈った。この絶望を打開する一矢の奇跡を。全てを解決する神の存在を。

 その刹那、世界を埋めていたミルクの海がとぐろを巻いてサージェントの体を捕らえた。さらに別の場所から無数の枝が伸びていき、檻となって彼の身体を取り囲んだ。メドの意識が徐々に戻り出す。身体に力がしっかりと入っていく。

「……しくじったな。そこまで制御できるかなんて」

「君は、先生を止めて特別になるのか?」

「……何?」

 サージェントは途端に顔を白くする。特別の言ったメドの言葉に怯えているようだった。

「研究は先んじて世に出した人間が第一人者……マリーヤ先生の教えだよ。君はそれをしなかった。特別になれなかった」

「……子供の君に何がわかる!」

「分かるだろ。君とはもう十七年も一緒だったんだ」

 メドは枝を登り、サージェントに近付いていく。その手を彼に差し出した。

「僕もまだ、張りぼての団長だ。特別でも何でもない。だけどやらなくちゃいけない。あの人は……僕の先生だから」

 彼は頑なに手を取ろうとしない。怯えて内側に篭ろうとした。それでも腕を檻の中に伸ばし、彼の手を掴んだ。

「やめてくれ! 消えてしまう! 子供達に託した僕の命がもう戻らなくなってしまう!」

「そうだっ! だからただの人間として、僕と一緒に生きるんだ!」

「……ただの、人間」

 掴んだ先からサージェントの身体が消えていく。人の姿を模るのをやめて、タンバンがありのままの姿へと戻っていく。

 ――そうか、だったら君に着いていこう

 その顔が見えなくなる最後の瞬間、サージェントは静かに微笑んでいた。


***


 メドの頭を打ち彼が事切れたかとパナシアが笑う。駆け寄るルサルカを押し退けて、パナシアのヒールがメドの顔面に目掛けて振り下ろされようとしたその時、メドは意識を取り戻した。パナシアのヒールを掴み、彼女の蹴りを防いだ。

「なに……!?」

「メド……ッ!」

 パナシアの足を跳ね返すと、ゆっくりと身体を起こした。血が滴り落ちる額を拭う。激しい出血はなさそうだった。

「メド…‥大丈夫なの?」

「平気! 多分タンバンの弾だったんだ。そうだろう、パナシア先生?」

「……くっ」

 起き上がってパナシアに向き直る。彼女は再び銃を向ける。

「何故効かないッ」

 パナシアはメドの頭を狙って打ち続ける。メドは動じることなく彼女に向かって突き進んだ。銃弾はメドに当たらない。肌も髪も、掠めることさえ許さない。全てが見えない壁によって弾き出された。

「なんでっ! どうしてぇっ!」

 降り立てるパナシアの目の前に迫ったメドが到達する。銃を掴む。引き付けて、自分の心臓にわざと押さえつける。

「!」

「……サージェントのタンバンを撃ち込んで、そこから貴方が使役する……ってことなんだろ? シェリが作ってくれた媒介装置の仕組みと同じだ」

「あり得ない……サージェントとあなたが、完全に一体になったって言うの!?」

 もう片方の手で銃の引き金を掴む。パナシアの指に重ねた。メドの瞳に青碧の光がほど走った途端、パナシアの力が緩んだ。それを逃さずに自らトリガーを引いた。

 乾いた音。見開く目。撃ち抜かれた弾丸。一瞬で過ぎ去っていくその全てのものがメドにはゆっくりと流れていくように感じていた。肉を破って心臓に弾丸が到達した瞬間、建物中にあるタンバンが眩く輝き出した。


***


「なんだッ!?」

 タンバンのドーム内にてシェリとアンゼルムは、自分たちを取り囲むタンバンが一斉に外へ向かって飛び出していくのを目撃していた。タンバンが消えたことで進路を得ると、二人は家の外へと走り出す。玄関先、穴の空いた天井から、月に向かって聳え立つ巨大な存在が目に飛び込んでくる。

「あれは……マルブエル……?」

 おどろおどろしい二本の角。表情を覆う頭巾型のメイル。ヘルボレスをあしらった槍。白金の輝きを持つ半人半馬の鎧。瓦礫が積み込まれた景色の中に善と悪の二つの顔を持ったような神と見紛う存在が降臨していた。

「そうか、あれがサージェントか……」

 シェリはため息混じりに呟く。神々しい光に誘われるかのようにゆっくりと外に出ていく。その傍にへたり込むパナシア目掛けて、まっすぐに進んだ。

「シェリ?」

 メドがその存在に気が付くとシェリはマルブエルに向かって微笑んだ。そのままパナシアの元に行き、彼女の肩を抱いて寄り添った。

「……あなたの負けだよ、母さん」

「……シェリ。シェリィ……!」

 パナシアはシェリにすがる。髪を振り乱し、駄々をこねるようにシェリの胸や足を叩いた。加減のないその手をシェリは甘んじて受け入れた。

「どうして、どうして私ばかりが損するのッ……私は何も悪くない、何も悪くないのに! 全部、全部、あの子がァ!!」

 慟哭するパナシアを抱き止め、彼女をマルブエルの真正面へと連れていく。メドがマルブエルの外から現れ、側で見守っていたルサルカも二人に近付いていく。シェリはその場にパナシアを座らせると、静かにメドの心臓に手を伸ばした。指先にシェリを跳ね除けるような電撃が走る。寂しげに諦観した笑顔を浮かべる。

「母さん、もう終わりにしてほしいんだ」

「……嫌っ嫌よそんなの……! 私まだ何もしてないもの……っ!」

 パナシアがシェリの上着を掴み掛かる。シェリは静かにそれを宥めて、パナシアの手を包み込んだ。

「あなたはサージェントの命に固執するばかりで、一番大切なものを無くしたことに気付いていない」

「……なによ、それ」

「……本当は誰が自分の子供なのか、知っているんだろう」

 パナシアははっとする。だが、顔を歪めて一心不乱に首を振った。

「だめ! 今更よ! 私はシェリでいい、女の子でいい……! だってシェリ、約束したでしょう!? サージェントの心臓を取り返したら、一緒に穏やかに生きましょうって」

 シェリは首を振る。鼻声になるのを掻き消すほどに声を張った。

「ダメなんだ……心臓はもうメド君の物なんだ……私には、彼を彼の大事な人たちから奪うことなんてできないよ」

 シェリの説得をパナシアは呆然として聞いていた。その双眸からはらはらと涙が溢れる。シェリを掴む腕が力無く地面に落ちた。やがて掠れた声でシェリの耳元に訴えた。

「約束して……あの人を、マリーヤを殺して……! 私と同じ地獄まで、引き摺り落としてきてぇ!」

「……」

 その言葉はメドとシェリの耳にも届いた。騒然とする木の葉の中で、嫌にはっきりと聞こえてしまった。

「……そう簡単に命を奪ったりしないよ。私はあなたとはちがうから」

 笑いかけながら、シェリはパナシアを引き剥がした。どんなに縋られてもシェリはもう彼女の手を取ろうとしなかった。

「待って、待ってよ……シェリ……私の、」

 パナシアは泣き崩れた。土に爪を立てて、大地に向かって嗚咽を漏らす。哀れにのたうち回っていた彼女だが、突如として転がっていた銃を手に取った。

「!」

 気付いた三人が一斉に止めにかかる。だがパナシアは誰かに触れられるよりも先に、地面にその弾丸を放った。地面にのめり込んだ弾丸が浅い場所で爆発する。その瞬間、地面から無数のタンバンの結晶が突き出ては、パナシアの体を掬って取り囲んだ。

「あはははは! 私は死なない、死んでやるものかぁぁぁ!」

 その絶叫と共に彼女を連れ立つタンバンの結晶が膨れ上がる。空に二つ目の月が浮かんだ。それが割れて、中から鳥が生まれ落ちる。片翼だけを三重に持った、奇形のカーチャだった。パナシアの声で喚くとメドたちに向かってその嘴を突きつけてきた。

「っ! こっちだ!」

 メドはマルブエルの腕を伸ばす。走ってやってきたシェリとルサルカがマルブエルの手のひらに乗り上げる。メドは手をすぐに胸の上に運び、シェリとルサルカを体内へと押し隠した。

 メドはすぐさまマルブエルを動かし、カーチャの攻撃を交わす。距離を取ったマルブエルに向かって、カーチャは翼から凍てつく結晶を放った。雨のように降り注ぐ礫だったが、マルブエルの身体を傷つけることはできなかった。

「今までのマルブエルとは何か違う……?」

「分からないけど、前よりも思った通りに動かせるんだ……かといって、そんなこと言ってる場合でもないんだけどな!」

 メドは次々にカーチャの攻撃を交わす。だが襲いかかることができない。あの中にはパナシアがいる。そのことでメドは足踏みを喰らっていた。

「何か、いい方法は……!」

「……無理だよ。あの人を止めるのは」

 シェリが前に乗り出す。諦めた様子で、じっとガラスの向こうを見つめていた。

「骨が折れるんだよ本当に。あの人は自分勝手で私の話なんか聞いてくれなかった……メド君、今だけマルブエルの制御を貸してくれないか。私が……パナシアを討つよ」

 メドはその言葉に耳を疑った。シェリの顔はいつものように冷静だった。感情を押し殺して本心を隠す仮面を被った顔。それが今は剥がれて見えた。

「……そんなこと、シェリがする必要ないだろ」

「ううん。もう、止めてほしいんだ。あの人が本当に欲しかったものはもう手に入らない。私も、それに成り得なかった。だから、もう……静かに、してほしいんだ」

 マスカット色の瞳が揺らぐ。メドはマルブエルの手綱を握る意識を、一層強く保った。急発進するマルブエルはカーチャと一定の距離を保つ。槍を振り上げて、正面で構える。

「メド君、だめだ、君にはやらせられない……パナシアは、君の……っ!」

「シェリごめん。『君』の大切な人を、一人奪う。君は、誰からも奪いたくないって言ってくれたのに、ごめん」

 一瞬息を呑んだシェリは抜け殻のように足元をふらつかせた。咄嗟に前に出たルサルカがその体を抱きしめる。シェリが正面を向かないように頭を掴んでおく。ジタバタとしていたシェリはやがて諦めたように大人しくなった。

 マルブエルは宙を舞い、カーチャと息を合わせて進む。近付いては離れ、また近付く。優雅に見せて的確に間合いを詰めていく。二体のタンバンの光が双子星のように空高い場所で瞬いた時、マルブエルの槍がその身体を貫いた。音もなく崩れるその人形の中から小さな人影が海に向かって落ちていく。メドとルサルカはそれをじっと見つめていた。背を向けたシェリの代わりに、自分の目に焼き付けようとした。

 何も見ていないシェリは静かに、嗚咽の一つもこぼさないで、ルサルカの胸元を濡らしていた。


***


 楽団に馬で連絡をしに向かっていたスプラウトが再び研究所周辺に戻ってきたのは深夜の二時ごろであった。メドたちは軍が後処理に追われている傍らで抜け殻になったような表情で、密になって座っていた。

「……お疲れ様」

 スプラウトはそれだけ言うとメドたちにコンフィズリーの入った袋を手渡した。

「先生から貰ってきた……甘いもの、いるでしょ?」

「……ありがとう」

 一瞬躊躇いながら何も知らないみんなを思って、何事もない風で受け取った。

「明け方に先生が迎えに来るよ。あんまり色々持っては来れなかったけど、毛布とかカイロとか、馬に積めるものは持ってきたよ」

「……下ろすの、手伝います」

 エケベリアは率先して身体を起こす。馬の荷物を持ち上げようとしたところで、足元が瓦礫に取られる。咄嗟にスプラウトに引き上げられるも、エケベリアは無言で荷物を運ぼうとした。

「疲れてるんなら無理しなくたっていいのに……」

「だって私、何もしてませんから」

 エケベリアは唇を噛み締める。戻ってきたルサルカが傷ついた様子なのを見て、つい先ほどまでメドとシェリに当たり散らしていたところだった。信奉心の強い彼女が、自分が不在だったことを悔いているのは明らかだった。

「俺も! 第二陣なんて出番なかった……つーか、いちいち番号つけてるような状況じゃなかったよ」

「……まあ、あれを見たらなんとなく分かるよ」

 スプラウトは姿の変わったマルブエルを見上げながら答える。巨像は今は微動だにしないが、その物々しさは以前にも増している。

「それで、主犯格は」

「……捕えられなかった。それほどに敵は凶暴で……手が付けられなかった。だけど、仇は取ったよ」

「……そう、か」

 濁された言葉と、全員がここに生還している事実を前にスプラウトは目を伏せる。

「メドのしたこと、罪になるのかな……」

「いや……」

 シェリの声は少し掠れていた。それを咳払いして誤魔化しながら、彼女は続ける。

「パナシアはとっくに死んでいたのさ。彼女は亡霊。マリーヤと袂を分ったたその時から、とっくに生きていなかった……君は、誰も殺してなんかいないよ」

「シェリ……」

「それさえも躊躇っていた私は、心のどこかで彼女を拠り所にしていたんだろうね。今日初めて知ったよ」

 自分の内側のことをそんな風に語るシェリを見るのは初めてで、メドはなかなか口が動かなかった。何か言わなければ、と思っていた矢先、ルサルカが肩を寄せて、シェリの頭を自分の方にもたげさせた。

「……えっ。なに」

「いいの。ちょっとはおしゃべりやめて、身体を休めなさい」

 シェリは所在なさげに視線を泳がせていたが、少しずつ力を抜いてルサルカに身体を預けた。

「……いつの間に仲良くなったんですね」

 エケベリアが羨ましそうな顔で口を尖らせる。それを見ていたスプラウトが呆れた様子で溜息を吐いた。

「エーチェは副団長に依存しすぎだよ。母は皆のものなんだから」

「なんなんですか、あなたに関係ありませんよね」

「おいおいこんなところでケンカすんなよー!」

 エケベリアとスプラウトの口論に、ディルが困りながら仲介に入る。そんな当たり前の仲間たちの光景にメドは自然と笑みを浮かべた。このまま家に帰って、何事もなく朝を迎えられたら。だがその期待とは裏腹に、胸には不穏な予感が疼いている。

「あとは……先生だ。パナシアにしたことと、僕の心臓をタンバンじゃなくてサージェントのものに挿げ替えた理由、きちんと聞かないと」

 全員が一斉に押し黙る。メドは事の始まりを一から話した。楽団にとって、マリーヤの過去はショックが大きすぎる話であった。

「……きっと先生にも何か理由があったんだと思う。じゃないとあの先生が大切なものを、それも家族から奪うなんて絶対にしないよ」

 ルサルカはマリーヤの潔白を訴えるも、そちらに賛同するものもやはりいなかった。エケベリアでさえ、口を噤んで立ち尽くしている。

「それも全部、自分の目と耳で確かめるまで分からない」

「メド……」

「大丈夫だよ。先生が本当に悪いことをしようとしていたんだったら、僕はみんなを必ず守ってみせる」

 メドは力強く頷く。その鼓舞にいち早く反応したのはディルだった。肩を組んで大腕を上げる。

「なんか逞しくなったなお前! 期待してるぜ」

「まあ任せろってこと……な、ルカ」

 メドはルサルカの膝を叩いて、明るく言った。だがルサルカは答えない。首を振って意見を示すこともしなかった。メドを信じられないものを見るような目で、戸惑ったまま固まっている。メドは拍子抜けして、また言葉を失ってしまう。

 ルサルカがメドの問いかけに反応しなかったのは、これが初めてだった。

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